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    筑波山大御堂のスダジイ

    巨木の写真

    筑波山大御堂のスダジイ 【01】巨木の宝庫である筑波山で最大と見られるスダジイは大御堂にあり 筑波山大御堂のスダジイ-01
    【02】 筑波山大御堂のスダジイ-02
    【03】 筑波山大御堂のスダジイ-03
    【04】 筑波山大御堂のスダジイ-04
    【05】 筑波山大御堂のスダジイ-05
    【06】 筑波山大御堂のスダジイ-06
    【07】 筑波山大御堂のスダジイ-07
    【08】 筑波山大御堂のスダジイ-08
    【09】 筑波山大御堂のスダジイ-09
    【10】 筑波山大御堂のスダジイ-10
    【11】 筑波山大御堂のスダジイ-11
    【12】 筑波山大御堂のスダジイ-12
    【13】 筑波山大御堂のスダジイ-13

    巨木の基本情報

    巨木の名前 大御堂のスダジイ (仮)
    樹種 スダジイ(すだ椎)
    幹周 7.50m [1]
    樹高 20.0m [1]
    推定樹齢 不明
    特徴 隆起した根本、広い枝張り、幹の瘤
    保護指定 不明
    所在地 茨城県つくば市筑波
    所在施設 大御堂
    撮影日・状態 2021.12.26:樹勢、樹容に特に変化なし、正面 (南側) の根本の一部が石垣で覆われた
    2015.12.10:樹勢、樹容に特に変化なし、背後 (北側) にも2本のスダジイがある
    2014.03.11:目立つ損傷なく樹勢良好、樹冠も大きく繁茂、すぐ西側の根本に舗装の小道
    アクセス
    常磐自動車道・土浦北ICから約19km(筑波山市営第3駐車場の場合)
    電車 TXつくば駅から距離約20㎞、以下2つの路線バスを利用可
    バス 筑波山シャトルバス:筑波山神社入口
    つくバス     :筑波山口 (神社前まで約3㎞、近くにシャトルバス乗換えの沼田バス停)
    参考情報 ■外部ウェブサイト
     [1] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり(2010年度の調査記録)
     [2] 筑波山神社ホームページ:由緒歴史の情報を参照
     [3] 大御堂ホームページ  :由緒歴史の情報を参照
    ■少遠景の記録
     [4] 筑波山神社の社叢   :御神木の他のスギやスダジイなども
     [5] 筑波山の巨木たち   :山中の巨木群、スギの他にブナ、シラカシ、モミなど
     [6] 紫峰杉        :男体山と女体山の両峰の間、御幸ヶ原にある大スギ
     [7] 薬王院のスダジイ樹叢 :桜川市、筑波山の西山麓、スダジイの巨木群が茂る薬王院
     [8] 筑波山の登山記録   :2015年12月の記録、御幸ヶ原コースから白雲橋コースで周回

    巨木と雑記.巨木の宝庫である筑波山中でも珠玉の一本

     筑波山神社を参拝する際、併せて参拝しておきたいお寺が大御堂 [3] です。 筑波山神社と深い繋がりのあるお寺。 神仏習合の時代に筑波山神社の別当寺であった、知足院中禅寺を前身として再興されたお寺です。 そして境内には、筑波山中でも最大と見られる、素晴らしいスダジイの巨木があります。

     筑波山で登山後の大いなる楽しみは、この大シイに会うことです。 樹勢の良さ、力強さ、風格、個性。 何れも秀でた樹容の大シイではないでしょうか。 南側と北側で大きく表情が変わるのも面白い。 陽の良く当たる南側は、コブが多く古木らしい表情。 脈動する臓器が連なっているような凄みがあるものの、全体的に温かな雰囲気があります。 北側は逞しい筋肉質の背中。 太い幾重もの筋が立ち昇り、大きく腕を広げている。 巨木の宝庫である筑波山でも、特に印象深い巨木の一本です。

    巨木と雑記.筑波山大御堂の由緒

     筑波山大御堂 [3] の由緒について。 現在の宗派は真言宗豊山派で、東三十三観音霊場の第25番札所。 はじまりは延暦元年 (782)、徳一上人により筑波山に開山された知足院中禅寺です。 以後、筑波山は神仏習合の一大修験場となっていきます。 江戸時代になると、徳川家康により別当を任された宥俊により中興。 知足院は徳川家の祈願所として、社領の寄進、堂塔の造営を受け大いに興隆します。 宥俊から2世別当である光誉の代で、江戸に別院が建立。 以後、別当は江戸別院に在府し、筑波山には院代が置かれ、 別院は護持院と号されるようになります。 享保2年 (1717) 小石川馬場火事にて、護持院は焼失。 その後、護国寺の境内へ移って合併し、寺領二千七百石という大寺院となったそうです。

     最盛期は徳川将軍家の祈願所として栄え、江戸別院では護国寺の別当も務めたという知足院中禅寺。 しかし、明治の神仏分離により廃寺となってしまいます。 筑波山では本堂含め堂塔が破却されるも、本尊の千手観音像は隠され守られたそうです。 時は流れ昭和36年 (1961)、護国寺別院として筑波山大御堂が再建。 令和2年 (2020) 2月、新しい本堂が建てられました。