• TOP
  • 巨木
  • 登山
  • 渡良瀬
  • 旅日記
  • 更新履歴
  • PR
  • 巨木TOP / 群馬 / 金山の大ケヤキ

    金山の大ケヤキ

    巨木の写真

    撮影日:2023.09.11 【01】金山城本丸跡のすぐ手前、門番のように根差す巨木 金山の大ケヤキ-01
    【02】 金山の大ケヤキ-02
    【03】 金山の大ケヤキ-03
    【04】 金山の大ケヤキ-04
    【05】 金山の大ケヤキ-05
    【06】 金山の大ケヤキ-06
    【07】 金山の大ケヤキ-07
    【08】 金山の大ケヤキ-08
    【09】 金山の大ケヤキ-09
    【10】 金山の大ケヤキ-10
    【11】 金山の大ケヤキ-11
    【12】 金山の大ケヤキ-12
    【13】 金山の大ケヤキ-13

    巨木の基本情報

    巨木の名前 金山の大ケヤキ [3][4]
    樹種 ケヤキ (欅)
    幹周 6.79m [3][4], 6.55m [5], 7.15m (実測)
    樹高 17.0m [3][4], 15.0m [5]
    推定樹齢 800年 [3][4]
    特徴 幹は地上5m付近から東西に分かれて広がる
    保護指定 太田市指定天然記念物
    所在地 群馬県太田市金山
    所在施設 金山城跡 (国指定史跡)
    撮影日・状態 2023.09.11 : 一部に空洞があるが、樹冠は大きく根元は健全、樹勢は良い様子
    アクセス
    西城駐車場まで北関東道・太田桐生ICから約5km
    電車 西城駐車場まで太田駅 (東武伊勢崎線・小泉線・桐生線) から約5km
    徒歩 太田駅から大光院まで約2km、そこから西城跡までハイキングコースで約30~40分
    参考情報 ■現地資料
     [1] 金山城跡の解説板   :内容は下記雑記の写真01を参照
     [2] 新田神社の解説板   :内容は下記雑記の写真07を参照
     [3] 大ケヤキの解説板   :内容は上記巨木の写真03を参照
    ■外部ウェブサイト
     [4] 太田市ホームページ  :当巨木と金山城の情報あり
     [5] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録)
    ■少遠景の記録
     [6] 旅日記・金山城跡   :金山城跡の詳細はこちらをご参考に
     [7] 東光寺のムクノキ   :太田市、県内最大級のムクノキ
     [8] 市場の大ケヤキ    :太田市、群馬県の名木十選の一本
     [9] 生品神社のクスノキ  :太田市、本丸の新田神社の祭神、新田義貞が倒幕に挙兵した地
     [10] 鑁阿寺のイチョウ   :栃木県足利市、寺叢が金山城の本丸から遠望できる

    巨木と雑記.太田市のランドマークたる山と巨木

     太田市の市街中心部にそびえる金山 (標高236m)。 太田市を代表する風景、緑豊かな好展望の山。 その山頂と主稜線には、国指定史跡の金山城跡 [1] [4] [6] があります。 戦国時代に当地を領した由良氏の主城であり、石垣を多用した関東屈指の山城。 曲輪外郭・土塁・壕・虎口などの遺構がよく残っている。 その中でも特に、堅牢な大手虎口は壮観です。 さて、大ケヤキが根差しているのは、新田神社 (後述) が鎮座する山頂本丸の手前。 重量感のある太い根元で踏ん張り、 両手を広げるように大枝を伸ばし、参道を覆っている。 城の門番のように逞しく凛々しい姿をしています。 金山城の戦乱から江戸時代の変遷、神社の建立を見守ってきた生き証人です。

     なお金山城跡の各曲輪の詳細および沿革については、 旅日記 [6] をご参考ください。以下は旅日記より簡単にご紹介する城内の様子です。

    cm-金山城跡-01 【01】金山城の曲輪図と沿革の解説板。大手虎口に接した南曲輪に設置されているもの。
    【02】西城の展望 cm-金山城跡-02
    【03】物見台下虎口 cm-金山城跡-03
    【04】物見台下虎口 cm-金山城跡-04
    【05】物見台の展望 cm-金山城跡-05
    【06】月ノ池 cm-金山城跡-06
    【07】大手虎口 cm-金山城跡-07
    【08】大手虎口 cm-金山城跡-08
    【09】日ノ池 cm-金山城跡-09
    【10】新田神社 cm-金山城跡-10
    【11】新田神社 cm-金山城跡-11
    【12】御嶽神社 cm-金山城跡-12
    【13】御嶽神社 cm-金山城跡-13
    【14】稲荷社と摂社 cm-金山城跡-14
    【15】本丸石垣 cm-金山城跡-15
    【16】本丸の展望 cm-金山城跡-16
    【17】本丸の展望 cm-金山城跡-17



     おわりに金山城の旅日記 [6] でも触れなかった新田神社の由緒 [2] について。 祭神は太田出身の武将である新田義貞です。 義貞は元弘3年 (1333) 5月、護良親王の論旨を奉じ、 現在の生品神社 [9] にて鎌倉幕府打倒の挙兵。 同月末には鎌倉に進撃し、倒幕の最功労者となりました。 その後は後醍醐天皇を奉じて南朝の総大将となり、足利尊氏が率いる北朝の軍勢と奮闘。 やがて延元3年 (1338) 7月、越前の藤島にて戦死をとげます。 ちなみに、戦国時代に金山城を築いた岩松家純、 その後に代々の城主となる由良氏は、新田氏の支族です。 金山城は天正18年 (1590) に廃城。 江戸時代には幕府天領となります。

     新田神社の創始は、江戸時代の手前か初期の頃か。 義貞の家臣である江田行義の10代の孫、 森下大膳が江田館跡 (地図リンク) に社を建て、義貞と祖霊を祀ったのが始まりとされるそうです。 時代は下って明治6年 (1873)。 新田氏の末裔である新田俊純と横瀬貞篤の両氏が中心となり、 神社建立の計画が動き出す。 そして有志や近郷村落より大勢の奉仕を得て、明治7年に起工、明治13年に竣工。 新田義貞の神霊は、金山の頂上で太田市の発展を見守り続けています。