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金山の大ケヤキ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 金山の大ケヤキ [3][4] |
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樹種 | ケヤキ (欅) | |||
幹周 | 6.79m [3][4], 6.55m [5], 7.15m (実測) | |||
樹高 | 17.0m [3][4], 15.0m [5] | |||
推定樹齢 | 800年 [3][4] | |||
特徴 | 幹は地上5m付近から東西に分かれて広がる | |||
保護指定 | 太田市指定天然記念物 | |||
所在地 | 群馬県太田市金山 | |||
所在施設 | 金山城跡 (国指定史跡) | |||
撮影日・状態 | 2023.09.11 : 一部に空洞があるが、樹冠は大きく根元は健全、樹勢は良い様子 | |||
アクセス | ||||
車 | 西城駐車場まで北関東道・太田桐生ICから約5km | |||
電車 | 西城駐車場まで太田駅 (東武伊勢崎線・小泉線・桐生線) から約5km | |||
徒歩 | 太田駅から大光院まで約2km、そこから西城跡までハイキングコースで約30~40分 | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 金山城跡の解説板 :内容は下記雑記の写真01を参照 [2] 新田神社の解説板 :内容は下記雑記の写真07を参照 [3] 大ケヤキの解説板 :内容は上記巨木の写真03を参照 ■外部ウェブサイト [4] 太田市ホームページ :当巨木と金山城の情報あり [5] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録) ■少遠景の記録 [6] 旅日記・金山城跡 :金山城跡の詳細はこちらをご参考に [7] 東光寺のムクノキ :太田市、県内最大級のムクノキ [8] 市場の大ケヤキ :太田市、群馬県の名木十選の一本 [9] 生品神社のクスノキ :太田市、本丸の新田神社の祭神、新田義貞が倒幕に挙兵した地 [10] 鑁阿寺のイチョウ :栃木県足利市、寺叢が金山城の本丸から遠望できる |
巨木と雑記.太田市のランドマークたる山と巨木
太田市の市街中心部にそびえる金山 (標高236m)。 太田市を代表する風景、緑豊かな好展望の山。 その山頂と主稜線には、国指定史跡の金山城跡 [1] [4] [6] があります。 戦国時代に当地を領した由良氏の主城であり、石垣を多用した関東屈指の山城。 曲輪外郭・土塁・壕・虎口などの遺構がよく残っている。 その中でも特に、堅牢な大手虎口は壮観です。 さて、大ケヤキが根差しているのは、新田神社 (後述) が鎮座する山頂本丸の手前。 重量感のある太い根元で踏ん張り、 両手を広げるように大枝を伸ばし、参道を覆っている。 城の門番のように逞しく凛々しい姿をしています。 金山城の戦乱から江戸時代の変遷、神社の建立を見守ってきた生き証人です。 なお金山城跡の各曲輪の詳細および沿革については、 旅日記 [6] をご参考ください。以下は旅日記より簡単にご紹介する城内の様子です。
おわりに金山城の旅日記 [6] でも触れなかった新田神社の由緒 [2] について。 祭神は太田出身の武将である新田義貞です。 義貞は元弘3年 (1333) 5月、護良親王の論旨を奉じ、 現在の生品神社 [9] にて鎌倉幕府打倒の挙兵。 同月末には鎌倉に進撃し、倒幕の最功労者となりました。 その後は後醍醐天皇を奉じて南朝の総大将となり、足利尊氏が率いる北朝の軍勢と奮闘。 やがて延元3年 (1338) 7月、越前の藤島にて戦死をとげます。 ちなみに、戦国時代に金山城を築いた岩松家純、 その後に代々の城主となる由良氏は、新田氏の支族です。 金山城は天正18年 (1590) に廃城。 江戸時代には幕府天領となります。 新田神社の創始は、江戸時代の手前か初期の頃か。 義貞の家臣である江田行義の10代の孫、 森下大膳が江田館跡 (地図リンク) に社を建て、義貞と祖霊を祀ったのが始まりとされるそうです。 時代は下って明治6年 (1873)。 新田氏の末裔である新田俊純と横瀬貞篤の両氏が中心となり、 神社建立の計画が動き出す。 そして有志や近郷村落より大勢の奉仕を得て、明治7年に起工、明治13年に竣工。 新田義貞の神霊は、金山の頂上で太田市の発展を見守り続けています。
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