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生品神社のクスノキ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 生品神社のクスノキ (仮) |
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樹種 | クスノキ (楠) | |||
幹周 | 6.50m [3] | |||
樹高 | 25.0m [3] | |||
推定樹齢 | 不明 | |||
特徴 | 3本の株立ちのような樹形 | |||
保護指定 | 不明 | |||
所在地 | 群馬県太田市新田市野井町 | |||
所在施設 | 生品神社 | |||
撮影日・状態 | 2022.01.03 : 並木の北端と南端が特に太い、いずれも樹勢よし | |||
アクセス | ||||
車 | 北関東道・太田藪塚ICから約6㎞ | |||
電車 | 太田駅から約8㎞、薮塚駅から約6㎞ | |||
参考情報 | ■現地解説板 [1] 生品神社境内 :内容は下記雑記の写真03を参照 ■外部ウェブサイト [2] 太田市ホームページ :生品神社の情報を参照 [3] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録) ■少遠景の記録 [4] 反町薬師のクスノキ :太田市、生品神社から近い、新田義貞の元居城跡、瑠璃山照明寺 [5] 野の大クスノキ :桐生市、単幹では群馬県で最大となるクスノキ |
巨木と雑記.新田義貞の挙兵地
太田市を代表する武将、当地出身の新田義貞 [1] [2] 。鎌倉幕府の打倒に大功ある武将です。 後醍醐天皇による朝廷勢力と、北条氏による鎌倉幕府の勢力との全面衝突、 元弘の乱 (1331-1333)。 この乱で義貞は、鎌倉攻略の主力軍を率いて陥落せしめたのです。 義貞の快進撃はじまりの地が生品神社。 後醍醐天皇の綸旨を受け、領地 (新田荘) の当社にて挙兵。 当初は騎馬が150ほどの小勢でしたが、進撃するごとに勢力を増やし、 鎌倉攻略時には数万ほどに膨れ上がっていたそうです。 現在、生品神社は「新田荘遺跡生品神社境内」として国の史跡にも指定されています。 さて、社叢の巨木について。 境内の南側には道路に面してクスノキの並木があり、 このうち北端と南端にあるものが最大。 南端のほうが少し太く、これが巨樹巨木林DB [3] に登録されているものでしょう (幹周6.5m)。 神橋や大鳥居と重なるクスノキの列が、神々しく目に映りました。 なお、拝殿の手前には御神木とされたクヌギの古株が保存されています。
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