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市場の大ケヤキ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 市場の大ケヤキ [1][4] |
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樹種 | ケヤキ (欅) | |||
幹周 | 7.00m [1][2][4][5] | |||
樹高 | 23.0m [1][2][4][5] | |||
推定樹齢 | 500年以上 [1][2][4] | |||
特徴 | 南北に並ぶ2本の株立ち | |||
保護指定 | 太田市指定天然記念物 | |||
所在地 | 群馬県太田市市場字稲荷前 | |||
所在施設 | 市有地か琴平神社の境内地? | |||
撮影日・状態 | 2023.09.11 : 主幹とみえる北側の株は空洞化して損傷大だが、意外と全体では大きな樹冠を茂らせている | |||
アクセス | ||||
車 | 東北道・太田桐生ICから約4km | |||
電車 | 太田駅 (東武伊勢崎線・小泉線・桐生線) から約7km、野洲山駅から約2km | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 大ケヤキの解説板 :内容は上記巨木の写真09を参照 [2] 大ケヤキの石碑 :内容は下記雑記の写真01を参照 (新ぐんま名木十選入選記念碑) [3] 市場沿革の解説板 :内容は下記雑記の写真02を参照 ■外部ウェブサイト [4] 太田市ホームページ :当巨木の情報あり [5] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録) [6] ウィキペディア :足尾銅山街道について ■少遠景の記録 [7] 金山の大ケヤキ :太田市、国指定史跡の金山城に根差す巨木 |
巨木と雑記.大ケヤキ
太田市の北西端に位置する市場町の地区。 渡良瀬川と栃木県の足利市に接しています。 当地の琴平神社の門前に根差している大ケヤキ。 御神木であり街道の標木 (後述) としても古くから親しまれてきた存在。 じつは県内でも有名になった巨木なのです。 それは琴平神社の境内にある石碑 [2] によると。 平成2年 (1990) に開催された大阪万博「国際花と緑の博覧会」にて、 新日本名木百選の群馬県代表として紹介されたそうです。 そんな太田市が誇る名木は、崩れそうな巨体から、若木と細枝を伸ばしている老樹。 空洞化した主幹は、北側に残された表皮で繋いでいる。 それでも塚のような地面を覆う、巨大な根本は流石に貫禄がある。 また大きな緑の樹冠を茂らせ、強い生命力も感じられます。
巨木と雑記.市場の沿革と道標
大ケヤキの解説板の隣に、この地の沿革を記した解説板 [3] がありました。 それによると、鎌倉時代には豪族の居館が築かれいて、 礎石・瓦・板碑などが見つかっているそうです。 当時から大きな集落があった。 鎌倉幕府滅亡後は、関東も戦乱に包まれて戦備の需要が増大。 すると周辺の土民たちが当地に集い、 武士たち相手に商う市場がたったという。 これが地名の由来とされます。 戦国時代には市場城 (地図リンク) が築かれ、城下町として賑わっていたことでしょう。 なお、市場城は金山城 [7] を主城とした由良氏の支城です。
市場の大ケヤキは古道の標木でもありました。 根本に置かれた道標が教えてくれます。 各面に以下のような方角と宿場が刻まれている。 道標から正面の道は、足尾銅山街道 [6] の大原宿と大間々宿へ。 左右の道はそれぞれ、日光例幣使街道の八木宿 (足利市) と太田宿。 こういうことなのでしょう。 詳しい年代は不明。 大原宿が出来たのは寛文年間 (1661-1673) なので、 それ以降に建てられた。 大ケヤキは各宿場を行き来する旅人たちを見守ってきたのです。
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