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荘田神社の大イチョウ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 荘田神社の大イチョウ [1][2] |
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樹種 | イチョウ (公孫樹) | |||
幹周 | 9.07m [1][2], 9.47m [3] | |||
樹高 | 25.85m [1][2], 51.0m [3] | |||
推定樹齢 | 1000年 [1] | |||
特徴 | 中腹まで単幹となり放射状に立ち昇る | |||
保護指定 | 群馬県指定天然記念物 | |||
所在地 | 群馬県沼田市井土上町 | |||
所在施設 | 荘田神社 | |||
撮影日・状態 | 2024.04.26 : 樹容に目立つ変化なし、樹下には大量の散った花が落ちていた 2017.05.05 : 主幹上部と大枝の欠損あるが依然として背が高く樹冠は広大、樹勢良好 | |||
アクセス | ||||
車 | 関越道・沼田ICから約7km | |||
電車 | JR上越線・沼田駅から約4km | |||
参考情報 | ■現地解説板 [1] 荘田神社の大イチョウ :内容は下記雑記の写真04-05を参照 ■外部ウェブサイト [2] 沼田市ホームページ :当巨木の情報あり、荘田城跡についても参考 [3] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録) ■少遠景の記録 [4] 龍興寺のゴヨウマツ :近辺の巨木、市内の天然記念物「書院のゴヨウマツ」と同規模か [5] 薄根の大クワ :近辺の巨木、日本一のヤマグワ (私有地でも見学可) [6] 沼田城址の御殿桜 :市街中心部、根本には土塁石垣の遺構 [7] 沼田須賀神社の大ケヤキ:市街中心部にある鎮守、県内最大級のケヤキ [8] 浄蔵寺の大イチョウ :太田市、県内最大のイチョウ、近年は剪定されず根本も枝で覆われている [9] 和合の大イチョウ :富岡市、川岸の崖に根差す、下枝が多く落葉時でないと樹容が分からない |
巨木と雑記.群馬随一の大イチョウ
沼田市街地から薄根川を挟んで北、田畑広がる井戸上の集落。 当地に鎮座する荘田神社の御神木は、県内最大級のイチョウです。 巨樹巨木林DB [3] によると県内第3位。 第1位は太田市、浄蔵寺の大イチョウ [8] で幹周は11m。 第2位の富岡市、和合の大イチョウ [9] で幹周10.8m。 双方ともじつに見事な巨樹ですが、単幹ではなく、根本に数多の下枝が繁茂。 和合については5本ほどの株立ち。 比べて荘田神社のイチョウは、重量感溢れる単幹であり、背も素晴らしく高い。 どの方角からも威風堂々たる決まった立姿を示している。 幹周では3位でも、威容と量感でなら、県内随一のイチョウとみえます。
巨木と雑記.荘田神社の歴史
荘田神社の歴史について [1][2] 。平安時代の天慶3年 (940)。 この地域 (三峰山麓) の土豪であった利根平八は、藤原秀郷に従い平将門の討伐に参戦。 帰郷した後、荘田 (井戸上) の地に館を築く。 場所は荘田神社から500mほど北西、現在の荘田城址公園。 その際、荘田神社を館の守護神として勧請、そのときイチョウを植えたと伝わる。 荘田神社は元は諏訪神社と呼ばれ、 このイチョウは「諏訪の乳イチョウ」と呼ばれていたそうです。 荘田は沼田氏の発祥地とされます。 当地の土豪であった利根平八。 その子孫は7代目の経家から以後、庄田氏・沼田氏を称した。 経家は妻により三浦氏と重縁。 孫の大友能直は、後に九州の大分を拠点とした大友氏の祖となった。 宝治元年 (1247)、三浦泰村の一族が鎌倉執権の北条時頼により滅ぼされる。 しかし、荘田に逃れた郎党がいるとされ、沼田景泰を称す。 沼田に残っていた大友氏の一族の領を統治し、荘田城の城郭を整備。 8代目の沼田景頼が小沢城 (沼田市町田)に移るまで、約158年間の居城であったとされる。 なお、市街中心部に遺構のある沼田城 [6] は、第12代の沼田顕泰が天文元年 (1532) 頃に築城したと伝わります。
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