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夏井諏訪神社の翁スギ媼スギ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 諏訪神社の翁スギ媼スギ [2][3] |
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樹種 | スギ (杉) | |||
幹周 | 9.20m / 9.50m [2][3][4] | |||
樹高 | 48.5m / 47.5m [2][3], 48.0m [4] | |||
推定樹齢 | 1200年 [2][3] | |||
特徴 | 太く真っ直ぐな単幹、同規模の二柱 | |||
保護指定 | 国指定天然記念物、ふくしま緑の百景 | |||
所在地 | 福島県田村郡小野町夏井町屋 | |||
所在施設 | 夏井諏訪神社 | |||
撮影日・状態 | 2022.04.24 : 目立つ損傷なく樹勢は良い様子、周囲に設置された木道で見学する (時計回り) | |||
アクセス | ||||
車 | 小野IC (あぶくま高原道路・磐越自動車道) から約8㎞ | |||
電車 | 磐越東線・夏井駅から500m以内 | |||
参考情報 | ■現地解説板 [1] 夏井諏訪神社本殿 :内容は下記の雑記の写真02を参照 [2] 諏訪神社の翁スギ媼スギ :内容は下記の雑記の写真06を参照 ■外部ウェブサイト [3] 小野町ホームページ :当巨木の情報あり [4] 巨樹巨木林データベース :当巨木の登録あり (2016年度の調査記録) [5] コトバンク :伝承では当社を創建したとされる藤原継縄について [6] ウィキペディア :宝亀の乱について参考 (当社由緒に関係すること) ■少遠景の記録 [7] 上羽出庭諏訪神社のケヤキ:近辺の巨木 (小野町上羽出庭)、境内にはスギ巨木もある [8] 小野鹽竈神社のスギ :近辺の巨木 (小野町小野新町)、小野町の中心部にある鎮守の杜 [9] 沢尻の大サワラ :近辺の巨木 (いわき市川前町)、国内最大級のサワラ [10] 杉沢の大スギ :二本松市、福島県で最大の巨木 |
巨木と雑記.神門スギ
小野町の市街中心部から南東に位置する夏井地区。 夏井川沿いの約5㎞にわたり続く桜並木、夏井千本桜 [3] のある観光地としても知られているところ。 この地にある鎮守が夏井諏訪神社、創建から1000年以上の歴史を持つという古社です。 御神木は県内最大級の大スギ。 幹周約9mの素晴らしく背の高い単幹が二柱、とても劇的な景観をつくっています。 根本を重ね合い、参道上に門番のように並び立ち、神秘の世界へと導いてくれる。 二柱は翁 (おきな) と媼 (おうな) と呼ばれています。 なるほど貫禄際立つが、いまだ樹勢はよく、荒れずに美しく格調高い樹容。 また、これほどの大スギが並ぶことの、威容の相乗は想像を超えるものがありました。 私としては神門スギと尊称したい。 杉沢の大スギ [10] とともに、 県内でも要注目のスギ巨木でしょう。 以下、境内の様子です。
巨木と雑記.神社を創建した本当の人物は誰か?
以下、タイトルのとおり無粋な話。 伝承 [1][2] では当社を創建した人物は、朝廷の右大臣であった藤原継縄。しかし史実 [5] [6] とは違うようなのです。 宝亀11年 (780)、蝦夷にて上治郡 (宮城県栗原市のあたり) の大領である、 伊治呰麻呂を中心とした反乱が発生。国府の多賀城が落城するという事態に。 そこで継縄は征討使に任命され下向。 進軍途中、当地にて社壇を築きスギを植え戦勝祈願した、 というのが創建の由緒です。 しかし、史実では継縄は蝦夷へ下向していない。 かわりに副征討使の大伴益立と紀古佐美が下向したが、戦果を挙げられず軍は再編。 新たに参議であった藤原小黒麻呂が、征討使として下向し平定に当たったそうです。 藤原継縄よりこの3名のほうが有力でしょう。 そして、この3名に絞るならば紀古佐美か。 後に陸奥守となり、延暦7年 (788) には再び蝦夷征討へ赴いています。 宝亀の乱をきっかけとして、後に桓武天皇による蝦夷勢力との全面対決へと発展。 そして征夷大将軍として坂上田村麻呂が蝦夷平定に活躍した。 各地に坂上田村麻呂にまつわる伝承は多く、この将軍が創建したとされる神社は数多ありますよね。 同じ小野町にある上羽出庭諏訪神社 [7] もそのひとつです。 いずれにしろ伝承の真相など確かめようもありませんが、 1000年もの歴史の重みを感じさせる、素晴らしく荘厳な古社であることに変わりありません。
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