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  • 巨木TOP / 栃木 / 智賀都神社のケヤキ

    智賀都神社のケヤキ

    巨木の写真

    東側のケヤキ-Aを主体 (2022.10.15) 【01】栃木県を代表する大ケヤキ、智賀都神社の入口にそびえる二柱 智賀都神社のケヤキ-01
    【02】 智賀都神社のケヤキ-02
    【03】 智賀都神社のケヤキ-03
    【04】 智賀都神社のケヤキ-04
    【05】 智賀都神社のケヤキ-05
    【06】 智賀都神社のケヤキ-06
    【07】 智賀都神社のケヤキ-07
    【08】 智賀都神社のケヤキ-08
    【09】 智賀都神社のケヤキ-09
    【10】 智賀都神社のケヤキ-10
    【11】 智賀都神社のケヤキ-11
    【12】 智賀都神社のケヤキ-12
    【13】 智賀都神社のケヤキ-13
    西側のケヤキ-B (2022.10.15) 【01】夫婦ケヤキとも呼ばれる二柱、西側の婦人 智賀都神社のケヤキ-01
    【02】 智賀都神社のケヤキ-02
    【03】 智賀都神社のケヤキ-03
    【04】 智賀都神社のケヤキ-04
    【05】 智賀都神社のケヤキ-05

    巨木の基本情報

    巨木の名前 智賀都神社のケヤキ (仮)
    幹周 A:8.00m [2][3], 7.40m [4], 8.40m (実)
    B:7.30m [2][3], 7.12m [4]
    樹高 A:40.0m [2][3][4]
    B:40.0m [2][3][4]
    推定樹齢 700年 [2][3]
    特徴 背の高く太い単幹
    保護指定 栃木県指定天然記念物
    所在地 栃木県宇都宮市徳次郎町
    所在施設 智賀都神社
    撮影日・状態 2022.10.15 : 一部に治療跡があり、背は高く樹冠は広大、全体的に樹勢良好、樹高は30mくらいの印象
    アクセス
    東北道・宇都宮ICから約3km (境内に駐車場は無い様子)
    電車 JR宇都宮駅から約13km、東武宇都宮駅から約12km
    バス 関東自動車の路線バス停「晃陽中前」、JR宇都宮駅西口の8番乗り場、以下3路線の何れか
    (石那田・山王団地 (52)、今市・日光東照宮 (56)、船生 (58))
    参考情報 ■現地資料
     [1] 智賀都神社の沿革   :内容は下記雑記の写真04を参照
     [2] けやき二本      :内容は下記雑記の写真05を参照
    ■外部ウェブサイト
     [3] 宇都宮市の歴史と文化財:市の教育委員会が運営、市内の文化財を紹介するサイト、当巨木の紹介あり
     [4] いいっぺとちぎ    :県内の観光・文化財・生活などの情報を発信するサイト、当地の歴史を参照
     [5] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録)
     [6] 関東自動車ホームページ:路線バスの最新情報はこちらを参照
    ■少遠景の記録
     [7] 上徳次郎のケヤキ   :宇都宮市、民家の屋敷神、智賀都神社のケヤキと同規模
     [8] 羽黒山神社の夫婦杉  :宇都宮市、宇都宮城下の北の鎮守、参道に佇む相生のスギ
     [9] 八幡山のクスノキ   :宇都宮市、市街中心部の八幡山公園、県内最大のクスノキ
     [10] 旭町の大イチョウ   :宇都宮市、市街中心部、空襲に耐えた戦後復興のシンボルツリー

    巨木と雑記.栃木県を代表する大ケヤキ

     栃木県の北西部に位置する徳次郎 (とくじら) 町。 半蔵山の東山麓に広がる地域で、中央を日光街道と重なる国道119号線と、日光宇都宮道路が通っています。 日光の玄関口といった立地、江戸時代に宿場町として栄えていました。 当地の鎮守が国道沿いに鎮座する智賀都 (ちかつ) 神社 [1]。 奈良時代の末期、日光二荒山神社より勧請されたという古社です。

     智賀都神社の御神木は、参道入口にて神門のようにそびえ立つ二柱。 そうとうな古木ながら未だに樹勢良好。 30m近い樹高があり大きな樹冠を広げています。 二柱のうち東側のケヤキが少し太く、実測した幹周は約8.4m。 県内最大のケヤキかもしれません。 そして西側のケヤキも全く見劣りしない太さを誇る。 この二柱が合わさる威容の何と素晴らしいことか。 県内筆頭の大ケヤキといえるでしょう。

    cm-智賀都神社-01 【01】境内奥に建つ社殿 (拝殿前)。
    【02】 cm-智賀都神社-02
    【03】 cm-智賀都神社-03
    【04】 cm-智賀都神社-04
    【05】 cm-智賀都神社-05

    巨木と雑記.徳次郎という町名の由来

     徳次郎という珍しい町名。 当地を興した人物に由来がありそう。 気になったので少し調べてみました。 おもな情報源は、いいっぺとちぎ [4] です。以下。

     最古らしい由来の起源は、奈良末期の宝亀9年 (778)。 日光を本拠としていた久次良 (くじら) 氏が、 当地の千勝 (ちかつ) の森と呼ばれたところに、日光山神社を勧請。 これが後の智賀都神社となります。 当地は日光の外側にある領地のため「外久次良」と呼ばれた。 これが転じて「とくじら」と呼ばれる由来と考えられるそうです。 なお日光市内、東照宮と二荒山神社本社から西側には、 久次良町という地名が残っています (地図リンク)。

     鎌倉時代のあたりから、当地は宇都宮市の支配下になる。 以後、室町時代の文書には、 得志良・外倶示良・外鯨などいう記述が見られるそうです。 徳次郎という地名が出始めるのは室町末期。 宇都宮城主の宇都宮国綱の家臣、新田徳次郎が当地に徳次郎城を築城。 以後、江戸時代には徳次郎という地名が定着、日光街道の宿場として栄えます。

     ちなみに現代、昭和29年 (1954) に宇都宮市に編入されたとき、 公式の読み方が「とくじろう」に変わってしまった。 しかし従来の「とくじら」は、 地元民の間で使われ続け混用していたそうです。 そして令和2年 (2020)、地元自治会が市に町名を戻す要望書を提出。 審議の結果は可決して翌年、約70年ぶりに従来の町名が復活しました。 珍しい地名と相まって興味深い出来事です。 以下、徳次郎交差点のGoogleストリートビュー。 信号機標識の読みが「Tokujira」になっているのが見えます。