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萩日吉神社の児持杉
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 児持杉 [3][4][5][6] |
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幹周 | 男杉:6.47m [3], 7.15m [4][6] 女杉:8.89m [3], 9.35m [4][6] | |||
樹高 | 男杉:40.0m [3][4][6] 女杉:40.0m [3][4][6] | |||
推定樹齢 | 800年 [3][5] | |||
保護指定 | ときがわ町指定天然記念物 | |||
所在地 | 埼玉県比企郡ときがわ町西平 | |||
所在施設 | 萩日吉神社 | |||
撮影日・状態 | 2023.01.03 : 男杉は主幹上部と大枝欠損、女杉は目立つ損傷なく樹勢良好な様子 | |||
アクセス | ||||
車 | 関越自動車道・東松山ICから約16km、嵐山小川ICから約16km | |||
電車 | 八高線・明覚駅から約7km | |||
バス | 明覚駅から町内路線「と01」か徒歩約2kmで「せせらぎバスセンター」へ 路線「と03、と04、と07」のどれかに乗り継いで「慈光寺入口」へ | |||
参考情報 | ■現地解説板 [1] 萩日吉神社の由緒 :内容は下記雑記の写真11を参照 [2] 萩日吉神社の祭り :内容は下記雑記の写真12を参照 [3] 児持杉 :内容は上記巨木の写真13を参照 ■外部ウェブサイト [4] ときがわ町ホームページ:当巨木と神社の情報あり [5] 埼玉県神社庁 :当神社の情報あり [6] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録) ■少遠景の記録 [7] 西平の大カヤ :ときがわ町内、最寄りの巨木、県内で最も風格際立つ巨木と思っている [8] 椚平の姥樫 :ときがわ町、県内最大となるアカガシ [9] 関堀の大イチョウ :ときがわ町、県道沿いに立つのでアクセスが容易 [10] 上谷の大クス :越生町、関東最大のクスノキ (ときがわ町の隣町) |
巨木と雑記.埼玉随一の大杉
当地 (旧平村) の鎮守とされ、平安時代以前に創建されたという古社が萩日吉神社 [1][2][3][4] 。社叢は巨木に包まれた森厳なるもの。 御神木は一之鳥居の背後にそびえ立つ、県内最大のスギ巨木です。 根本が繋がった相生の二柱、北側が男杉、南側が女杉と呼ばれる。 女杉のほうがひとまわり太く、幹は24本にも分かれているという。 仲睦まじい夫婦の巨木であり、枝の多いこと (子沢山) から、 子宝を授かる信仰が篤く根付いているそうです。 じつに神秘的な樹容の児持杉。 重量感も素晴らしく、二柱連なることで相乗されるから大迫力。 女杉のほうはまだ樹勢良好。 県内随一の大杉といえるでしょう。
萩日吉神社の由緒について [1][2][3][4] 。社伝によると起源は欽明天皇の御代である4世紀の中頃。 大和朝廷の大臣を務めた蘇我稲目により創建されたと伝わるそうです。 当初は萩明神と称されたが、平安時代の初期に萩日吉山王宮へ改称。 これは都幾山に開かれ興隆した慈光寺が別当となり、 鎮護として比叡山麓の日吉大社を勧請したため。 文治5年 (1189)、源頼朝が奥州藤原氏の追討に際して慈光寺に戦勝祈願。 凱旋後に慈光寺および当社に領田を寄進。 天福元年 (1233)、土着した木曽義仲の家臣団によって流鏑馬が奉納。 これが現在に継承された、大祭の流鏑馬神事の起源とされます。 この旧家臣団は七苗と称され、明覚郷の萩窪氏、馬場氏、市川氏。 大河郷 (現小川町) の横川氏、加藤氏、伊藤氏、小林氏による七氏族。 江戸時代に入ると、平村を領した牧野家より崇敬され庇護。 明治元年 (1868)、神仏分離令により現在の社名となりました。
巨木と雑記.流鏑馬神事
萩日吉神社の流鏑馬神事。 3年毎の例大祭の日 (1月第3日曜) に行われます。 起源は鎌倉時代、土着した木曾義仲の家臣により奉納されたというもの。 埼玉県の無形民俗文化財に指定されています。 当日、神社の西側に馬場を整備。 午前は神馬が駆け抜ける「朝まとう」、 午後は矢を射る「夕まとう」の2回に分けて行う。 以下は2017年の例大祭 (1月15日) での写真。 残念ながら「朝まとう」だけ。 所用があり午後まで待って居られませんでした…。 次回2026年度はの例大祭にて「夕まとう」まで見学したいものです。 なお流鏑馬神事の詳細や予定は、 ときがわ町ホームページ [4] を参照してください。
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