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神浦水神社のイチョウ
巨木の写真
巨木の基本情報
| 巨木の名前 | 神浦水神社のイチョウ (仮) |
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| 樹種 | イチョウ (公孫樹) | |||
| 幹周 | 5.55m [2], 5.46m (実測) | |||
| 樹高 | 29.0m [2] | |||
| 推定樹齢 | 300年以下 [2] | |||
| 特徴 | 単幹、箒状の樹冠 | |||
| 保護指定 | 取手市保存樹木 | |||
| 所在地 | 茨城県取手市神浦 | |||
| 所在施設 | 水神社 (鳥居の額には「水神宮」) | |||
| 撮影日・状態 | 2025.11.28 : 樹勢良好な様子、黄葉は散り際、手前のイチョウと樹冠が重なる広がりがじつに見事 | |||
| アクセス | ||||
| 車 | 常磐道・谷和原ICから約21km | |||
| 電車 | JR常磐線・取手駅から約8km、藤代駅から約4km | |||
| 参考情報 | ■現地資料 [1] 内堤記念碑 :内容は下記雑記の写真02を参照 ■外部ウェブサイト [2] 巨樹巨木林データベース :当巨木の登録あり (2008年度の調査記録) [3] 今昔マップ :埼玉大学教育学部教授、谷謙二氏の新旧の地図を比較閲覧できるサイト [4] 豊田新利根橡改良区 :豊田堰の沿革について参考 ■少遠景の記録 [5] 東漸寺のイチョウとクスノキ:取手市街地の北、別名は目隠し銀杏、クスノキは県内最大 [6] 染野家住宅のムクノキ :取手市街地の南、取手宿の本陣を勤めた染野家の庭に根差す [7] 高源寺の地蔵ケヤキ :取手市の北西部、県内最古級の老樹、洞に地蔵が安置 [8] 小貝川のアカメヤナギ :取手市の北部、藤代スポーツセンターから北の河川敷 | |||
巨木と雑記.神浦水神社
取手市の南東部、小貝川の下流に位置する地区の神浦。 集落の中央にはU字型の地形。 これは小貝川の旧流路の蛇行部であり、大正12年 (1923) に直結して締め切られました。 地名はこの旧流路に由来がありそうです。 そんな当地の鎮守が水神社。 由緒はよく分かりませんが境内には、 江戸時代から度々洪水に遭ってきたことを記した石碑 [1] があります。社殿の横には立派なイチョウの巨木がそびえ立つ。 背が高く、遠くからも鎮守の存在を示しています。 とも洪水に遭いながら負けず、集落の人々を励まし復興を見守ってきた、水神様の御神木です。
巨木と雑記.水害と復興の歴史
前述の内堤記念碑 [1] の内容について。嘉永~安政年間 (1848-60)、洪水による被害が重なり、米が収穫できない年もあった。 その後、木村興吉氏の主導により村民団結し、浦田耕地に内囲堤を築造。 以後、なんとか水害を防いできたが、明治35年 (1903)、利根川から逆流する事態にもなった大洪水が発生。 田畑は冠水し、食べる糧なく、村民は離散せざるをえない窮境に陥った。 このとき、4名の有志 (菅谷眞一郎・秋田清次・菅谷源内・風見常吉) が立ち上がった。 彼らは自身の土地を担保に、茨城農工銀行より千有余円の資金を借款。 再び村民団結し、今度は全耕地を覆う内囲堤を築造し、翌36年に竣工。 以後、水害を防ぎ、田畑は豊穣に富み、他村が羨望するように栄えた。 この偉業を讃え後世に伝えるべく、昭和11年 (1936) に建立された石碑です。
巨木と雑記.豊田堰
神浦水神社の近くには、小貝川の巨大な貯水堰である豊田堰 [4] があります。竜ヶ崎市・利根町・河内町などの用水および、 霞ヶ浦まで注ぐ新利根川の水量確保も行っています。 豊田堰の総延長は275m。 メーンゲート (幅36.6m) 2門 、サイドゲート (幅27.75m) 4門から成る可動堰。 現在のものは、昭和52年 (1977) 3月に竣工され、明治期には今より150mほど上流に築かれていました。 じつに壮観なので、立ち寄ってみてください。
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