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    雀神社の大欅

    巨木の写真

    撮影日:2022.06.26 【01】8年ぶりの再訪、御神木を含めて境内は濃い緑に包まれていた 雀神社の大欅-01
    【02】 雀神社の大欅-02
    【03】 雀神社の大欅-03
    【04】 雀神社の大欅-04
    【05】 雀神社の大欅-05
    撮影日:2014.10.29 【01】境内入口にそびえる御神木は古河で最大の巨木 雀神社の大欅-01
    【02】 雀神社の大欅-02
    【03】 雀神社の大欅-03
    【04】 雀神社の大欅-04
    【05】 雀神社の大欅-05
    【06】 雀神社の大欅-06
    【07】 雀神社の大欅-07
    【08】 雀神社の大欅-08
    【09】 雀神社の大欅-09

    巨木の基本情報

    巨木の名前 雀神社の大欅 [1]
    樹種 ケヤキ (欅)
    幹周 8.80m [1][4][5]
    樹高 25.0m [1][4], 20.0m [5]
    推定樹齢 不明
    特徴 南北に並ぶ2本の株立ち
    保護指定 古河市指定天然記念物
    所在地 茨城県古河市宮前町
    所在施設 雀神社
    撮影日・状態 2022.06.26 : 樹容に大きな変化なし、古木だが盛夏で青々と樹冠を茂らせている
    2014.10.29 : 南側の株は枯死し樹脂で固め覆われている、北株は根本に空洞があるようだが樹勢良し
    アクセス
    東北道・加須ICから約15㎞、東北道・館林ICから約14㎞、圏央道・境古河ICから約16㎞
    電車 JR古河駅の西口から約2㎞、路線バス「ぐるりん号」を利用可
    バス ぐるりん号の西コース、雀神社前バス停で下車
    参考情報 ■現地解説板
     [1] 雀神社の大欅      :内容は上記巨木の2014年の写真03を参照
     [2] 雀神社の由緒      :内容は下記雑記の写真03を参照
     [3] 遷座・増修築の記念碑  :内容は下記雑記の写真13を参照
    ■外部ウェブサイト
     [4] 古河市ホームページ   :雀神社と当巨木および路線バスの情報あり
     [5] 巨樹巨木林データベース :当巨木の登録あり (2000年度の調査記録)
     [6] 古河史楽会       :古河城の詳細な情報あり、曲輪図も公開 (古地図画像やPDFなど)
     [7] 今昔マップ       :埼玉大学教育学部教授、谷謙二氏の新旧の地図を比較閲覧できるサイト
    ■少遠景の記録
     [8] 本町八幡神社の大イチョウ:古河駅西口の市街地、古河市で最大のイチョウ
     [9] 小蓋宮の大欅      :古河駅東口の市街地、単幹では古河市で最大のケヤキ
     [10] 鴻巣の一本榎      :古河公方公園にあるエノキ巨木

    巨木と雑記.巨木に包まれた古河城下の総鎮守

     古河駅から西の市街地、渡良瀬川に接して鎮座する雀神社。 古河市は室町時代の後期に関東の覇権を握った、古河公方の本拠でした。 初代は第5代鎌倉公方であった足利成氏。 幕府に反旗して古河へ移り、新たな都を当地に拓き、古河市の礎となる。 そして雀神社は古河城下の総鎮守とされ、江戸時代になっても歴代藩主から崇敬されてきたのです。 [2][4]

     雀神社の巨木に包まれた広大な社叢。 参道入口には門番のような御神木、2対の大ケヤキがそびえ立っています。 向かって左側が市内最大の巨木。 根本から双幹の株立ちで片方は枯死しているが、残された方の樹勢は良い。 隆起肥大した根本か際立って見える、背後から見仰ぐ姿は特に圧巻です。 また、向かって右側の大ケヤキも、幹周5mほどある立派な巨木。 そして境内奥、本殿背後にもケヤキ大木が数本、最大のものは幹周4mほどあります。 ケヤキ以外には、イチョウ、ムクノキ、スダジイなどの大木も生育。 一周すれば素晴らしい森林浴も体感できる鎮守の杜です。以下境内の様子。

    cm-古河雀神社-01 【01】二之鳥居の手前。ここにも狛犬が置かれている。
    【02】 cm-古河雀神社-02
    【03】 cm-古河雀神社-03
    【04】 cm-古河雀神社-04
    【05】 cm-古河雀神社-05
    【06】 cm-古河雀神社-06
    【07】 cm-古河雀神社-07
    【08】 cm-古河雀神社-08
    【09】 cm-古河雀神社-09
    【10】 cm-古河雀神社-10
    【11】 cm-古河雀神社-11
    【12】 cm-古河雀神社-12
    【13】 cm-古河雀神社-13

    巨木と雑記.雀神社の来歴

     雀神社の由緒 [2][4] について。 祭神は大己貴命 (大国主命)、少彦名命、事代主命の三柱。 貞観年間 (859~876) の頃に出雲大社より勧請したとの伝承。 珍しい社名の由来は、 「国鎮めの神」を祀ることから「鎮宮」などと呼ばれそれが訛ったこと。 または当地が「雀が原」と呼ばれたことに由来すると考えられるそうです。

     室町後期の康正元年 (1455)、足利成氏が初代の古河公方となる。 以後、歴代の古河公方から古河城下の鎮守として崇敬。 江戸時代には歴代の古河藩主から崇敬された。 幕府から朱印地を与えられ、朱印状のうち9通が現存。 現在の社殿 (拝殿・幣殿・本殿) は慶長10年 (1605)、藩主の松平丹康長による造営。 それ以前の雀神社は、古河城内に鎮座していたそうです (後述)。

     ここで古河城について。 現在、遺構は殆ど残っていません。 本丸と周辺の曲輪は、改修された渡良瀬川の堤防と河川敷として消失。 渡良瀬川を利用した外濠が囲む主要な曲輪は、 北は県道9号線あたりから、南は新三国橋 (国道354) まで伸びていたらしい。 本丸の位置は、雀神社から約1.5㎞ほど南の堤防上にあったようで、現地に石碑があります (地図リンク) 。なお、詳しい曲輪図は古河史楽会 [6] のサイトで閲覧可能。 ちなみに雀神社は、本丸から三之丸を挟んで北、桜町曲輪に鎮座していたが、 城の拡張工事により現在地に遷座したそうです。

    巨木と雑記.昭和の遷座

     雀神社は近代にも遷座 [3] していたことを知り驚きました。 昭和28年 (1953)、渡良瀬川の河川改修工事にともなう遷座です。 利根川へ合流するまでに、複雑な蛇行を繰り替えす流路を整え、堤防と河川敷を増築。 さらに洪水を流入させる渡良瀬遊水地を造成。 この大規模工事の過程で、境内西側を高い堤防が貫くことになりました。 このため境内地の一部を失い、社殿を50mほど移築することを余儀なくされたのです。 この苦難を氏子崇敬者の方々が一丸となって乗り越え、遷座の大事業を成し遂げた。

     河川改修工事前の境内地の範囲が気になり、 今昔マップ [7] で調べてみました。 明治40年と現在の国土地理院地図を比較。 堤防の位置を含めて、今よりも広大な境内地を有していたことが分かりました。 以下参考画像で、最後は古河城周辺。

    cm-古河雀神社-14 【01】雀神社の周辺、やや広域。 渡良瀬遊水地の谷中湖が造成されたところは、元は田畑が広がる谷中村が存在していた。 渡良瀬川の流路は今より南。
    cm-古河雀神社-15 【02】雀神社周辺。昔は渡良瀬川と思川は三国橋のところで合流していた。 ゴルフ場のある河川敷は悪戸新田と呼ばれ田畑が広がっていた。
    cm-古河雀神社-16 【03】雀神社周辺のさらに拡大。昔の境内地とみえる範囲を赤枠で示してみた。 堤防のところまで境内地であり、住宅地の一部も含まれていたか。
    cm-古河雀神社-17 【03】古河城の周辺。現在は堤防・河川敷・住宅地となった。 明治40年頃は城郭の土塁、濠が残っていた。 さらに建物の一部も残っていたかもしれない。