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諏訪大社上社本宮の社叢
巨木の写真
巨木と諏訪大社上社本宮の基本情報
巨木の名前 | 大欅(贄掛けの欅) [1] |
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樹種 | ケヤキ(欅) | |||
幹周 | 8.7m [10] | |||
樹高 | 35m [10] | |||
推定樹齢 | 1000年 [1], 300年以上 [10] | |||
特徴 | 根本の瘤と中腹から双幹 | |||
保護指定 | 諏訪市指定天然記念物(社叢全体は県指定) | |||
所在地 | 長野県諏訪市中洲神宮寺 | |||
所在施設 | 諏訪大社上社本宮 | |||
撮影日・状態 | 2018.04.26 : 主幹に大きな損傷はない、複数の枝先を失っているが樹勢は良さそうな様子 | |||
アクセス | ||||
車 | 中央道・諏訪ICから約2km(東参道駐車場までの場合) | |||
電車 | 上諏訪駅から約6.5km、以下の路線バスを利用可 | |||
バス | 上諏訪駅から上社バス停まで複数路線あり(市内循環線、すわライナーなど) | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 大欅(贄掛けの欅) :内容は上記の写真01-03を参照 [2] 諏訪大社本宮境内案内図 :内容は下記の写真03-02を参照 [3] 境内図(神宮寺復元図) :内容は下記の写真03-03と03-04を参照 [4] 諏訪大社上社社叢 :内容は下記の写真03-05を参照 [5] 上社国重要文化財建造物 :内容は下記の写真03-13を参照 [6] 御宝殿 :内容は下記の写真03-15を参照 ■公式ウェブサイト [7] 諏訪大社公式サイト :上社2宮と下社2宮の全ての紹介あり [8] 諏訪市公式サイト :温泉寺に現存する上社本宮の鉄塔や大祝についての紹介あり [9] 仏法紹隆寺公式サイト :諏訪大社神宮寺の社務も務めた古刹、本尊であった普賢菩薩像を保存 [10] 巨樹巨木林データベース :2000年度の調査記録あり ■少遠景の巨木 [11] 諏訪大社上社前宮の社叢 :上社前宮と社叢の巨木紹介(子安社と御室社と本殿のケヤキなど) [12] 諏訪大社下社春宮の社叢 :下社春宮と社叢の巨木紹介(万治の大仏と慈雲寺を含む) [13] 諏訪大社下社秋宮の社叢 :下社秋宮と社叢の巨木紹介(専女の欅と青塚古墳を含む) ■少遠景の登山 [14] 守屋山の登山 :登山口は杖突峠、山頂では諏訪湖と下社春宮と秋宮の社叢が見える |
複数の巨木情報
以下は巨樹巨木林DB [10] の登録情報から私が比定したもの(2000年度の調査記録)。 境内の巨木は多いため誤っている場合もあります。 地図中に示した他の巨木「ウラジロモミ」と「宮の脇のカヤ」と「五本杉」について写真はありません。 参拝当日には存在を知らなかった…。次回参拝の課題です。
名前 | 幹周 | 樹高 | 樹齢 | 説明 |
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贄掛けの欅 | 8.70m [10] | 35m [10] | 300年以上 [10] | 側に入口御門と御柱がある御神木 |
ケヤキ (1) | 6.60m [10] | 15m [10] | 不明 | 東参道入口の向かって右側に立つ |
ケヤキ (2) | 5.70m [10] | 37m [10] | 不明 | 東参道入口の向かって左側に立つ |
サワラ | 5.80m [10] | 27m [10] | 不明 | 贄掛けの欅から北側の道路沿いに立つ |
スギ | 4.19m [10] | 27m [10] | 不明 | 神楽殿横の土俵の近くに立つ |
ウラジロモミ | 3.52m [10] | 40m [10] | 不明 | 布橋沿いに並ぶ摂社との間に立つ |
巨木と雑記.諏訪大社の上社本宮
諏訪大社は全国各地で信仰されている諏訪神社の総本社。 国内最古級の格式高い神社で、 延喜式神名帳には南方刀美神社と記されている信濃国一之宮です。 6年毎に行われる御柱大祭は天下の奇祭として有名。 境内の四隅に建てる樅の巨木を、山中から氏子総出で曳出す勇壮な神事です。[7] 諏訪大社の鎮座地は4箇所に分かれています。 諏訪湖の南に上社の前宮(茅野市)と本宮(諏訪市)。北に下社の春宮と秋宮(下諏訪町)。 上社では彦神の建御名方神、下社では妃神の八坂刀売神を主祭神としています。 上社本宮は四宮の中でも、特に広い境内と数多くの社殿を有し、 豊かな自然林が茂る社叢には数多くの巨木も有しています。 以下、上社本宮の境内の様子です。[7]
上社本宮の特徴について。 東西に伸びた形の広大な境内には数多くの社殿が現存。 国の重要文化財に指定されている社殿は、拝殿を含めて16棟もあります(2016年時点)。 境内の中央に建つ荘厳な拝殿は、諏訪造りとも呼ばれる本殿を持たない独特の様式。 中央に幣殿と繋がった拝殿、左右に渡り廊下のような片拝殿が2棟。 そして拝殿の奥は大木が鬱蒼と茂る聖域。 本宮の御神体は神体山とされ、古代祭祀の形態を色濃く残しています。[2][5][7] 上社本宮には本殿がありませんが、それに相当する社殿があります。 四脚門を挟んで東西に2棟並ぶ御宝殿。 6年毎の4月から5月にかけて行われる御柱大祭の年、 本宮では6月に宝殿の遷座際が行われます。 古い方の宝殿を立て替えて、中の神輿などの神宝を遷す神事。 次回は2022年に西宝殿の建替え。[6][7]
巨木と雑記.社叢と贄掛けの欅
上社本宮の社叢は諏訪大社の四宮の中でも特に緑豊か。 約11.5ヘクタールもの範囲が長野県の天然記念物に指定されています [4][8]。 ケヤキ、スギ、サワラなどの大木に包まれた森厳なる社叢の中で、 最大の巨木が贄掛けの欅です。 二之御柱と入口御門の隣にそびえたつ大ケヤキ。 太い根本には古木らしい貫禄があり、血管が脈動しているかのような隆起が逞しい。 背は高く中腹から双幹で立ち昇り大きな樹冠を広げている。 全体的に姿がよく、神々しさも感じられる大ケヤキです。 「贄」という名前の由来について [1][7]。 上社の例大祭である御頭祭(4月15日)では、 御狩の獲物である鳥獣魚類を供物として神前に奉納。 特に重要なのは鹿の頭。 昔は75頭分も奉げたという鹿の頭は、現在では剥製の形式となり、捌いた肉を奉納しているそう。 そんな贄の一部が掛けられたというのが名前の由来。 なお、宝物殿には御頭祭の資料も展示されています。 一見して大ケヤキの姿は、贄という血生臭いイメージとは合わない立姿。 それでも二之御柱が立つ南側の根元には、凄味のある表情を現しています。 根本の複雑な隆起が、大きな獣の顔に見えるのです。 これには驚愕しました。 諏訪大社の長い歴史を見届けてきた千年樹。 大いなる神秘を宿した畏敬すべき御神木でした。
巨木と雑記.上社本宮の御神体について
私は上社本宮の神体山は守屋山 [14] だと思っていました。 だから諏訪大社四宮の巡拝と併せて守屋山にも登ったのです。 しかし、諏訪大社公式サイト [7] や現地資料の数々には、 神体山が守屋山だとは明記されていない。 守屋山の山頂(西峰)には何もなく、東峰にあるのは守屋神社の奥宮。 山頂には諏訪大社の気配が感じられませんでした。 そして立石登山口で出会った地元(伊那市)の人に尋ねると 「守屋山にあるのは南麓にある守屋神社の奥宮」と言う。 上社本宮の神体山は守屋山ではないのか?
上社本宮の本来の御神体は、 守屋山ではなく時代と共に変遷したのではないでしょうか。 この事について稚拙ながら考察してみました。 上社本宮の拝殿の向きは、守屋山のある南ではく東です。 東にあるのは前宮。 古くは前身となった前宮を遥拝し、 神居と定めた聖域で、最高神官の大祝(おおほうり)が神事を司った。 そして御神体は大祝自身、神の依代たる現人神だったのでは。[8][11] 神仏習合の時代になると、上社本宮にも別頭の神宮寺が建ちます。 神宮寺が復元された境内図 [3] を見てください。 この大伽藍を見ると、最盛期は仏教色が強かったように思えます。 普賢堂には諏訪神の本地仏とされた普賢菩薩像が安置。 神居にある「お鉄塔」とは石造りの宝塔。 諏訪藩主2代の諏訪忠恒が奉納したもので、寛永8年(1631)の銘。 宝塔が御神体とされた時代があったのです。 [3][8][9] 明治になると政府の神仏分離令により、 神宮寺は消滅し、鉄塔を含めて境内の仏教色のある堂塔は廃されます。 加えて大祝の職も廃されてしまう。 信濃国一之宮といえど、新しい時代に合わせて変革を迫られたのです。 なお、本尊の普賢菩薩像と御神体の鉄塔は、 諏訪市内の仏法紹隆寺と温泉寺とに移され現存しています。 [3][8][9] 大木が茂る神居の聖域そのものが御神体に等しい。 この神聖なる山林を神体山と見なせないか。 そう考えて、GoogleMapで社叢を眺めていたとき、あることに気付きました。 上社本宮と接する南の山中には、広葉樹が占める原生林が広がっているのです。 その範囲は30ヘクタールに近い。 諏訪大社上社本宮には、神体山と呼べるものが確かにあるのでした。
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