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    諏訪大社上社本宮の社叢

    巨木の写真

    諏訪大社上社本宮の社叢(贄掛けの欅:2018.04.26) 【01-01】贄掛けの欅は上社本宮で最大の巨木.側にニ之御柱と入口御門. 贄掛けの欅-01
    【01-02】 贄掛けの欅-02
    【01-03】 贄掛けの欅-03
    【01-04】 贄掛けの欅-04
    【01-05】 贄掛けの欅-05
    【01-06】 贄掛けの欅-06
    【01-07】 贄掛けの欅-07
    【01-08】 贄掛けの欅-08
    【01-09】 贄掛けの欅-09
    諏訪大社上社本宮の社叢(その他ケヤキとサワラ:2018.04.26) 【02-01】東参道入口の手前.ここからも巨木の気配が伝わってくる. 諏訪大社上社本宮の社叢-01
    【02-02】ケヤキ (1) 諏訪大社上社本宮の社叢-02
    【02-03】ケヤキ (1) 諏訪大社上社本宮の社叢-03
    【02-04】ケヤキ (2) 諏訪大社上社本宮の社叢-04
    【02-05】ケヤキ (3) 諏訪大社上社本宮の社叢-05
    【02-06】ケヤキ (4) 諏訪大社上社本宮の社叢-06
    【02-07】スギ 諏訪大社上社本宮の社叢-07
    【02-08】サワラ 諏訪大社上社本宮の社叢-08
    【02-09】サワラ 諏訪大社上社本宮の社叢-09

    巨木と諏訪大社上社本宮の基本情報

    巨木の名前 大欅(贄掛けの欅) [1]
    樹種 ケヤキ(欅)
    幹周 8.7m [10]
    樹高 35m [10]
    推定樹齢 1000年 [1], 300年以上 [10]
    特徴 根本の瘤と中腹から双幹
    保護指定 諏訪市指定天然記念物(社叢全体は県指定)
    所在地 長野県諏訪市中洲神宮寺
    所在施設 諏訪大社上社本宮
    撮影日・状態 2018.04.26 : 主幹に大きな損傷はない、複数の枝先を失っているが樹勢は良さそうな様子
    アクセス
    中央道・諏訪ICから約2km(東参道駐車場までの場合)
    電車 上諏訪駅から約6.5km、以下の路線バスを利用可
    バス 上諏訪駅から上社バス停まで複数路線あり(市内循環線、すわライナーなど)
    参考情報 ■現地資料
     [1] 大欅(贄掛けの欅)   :内容は上記の写真01-03を参照
     [2] 諏訪大社本宮境内案内図 :内容は下記の写真03-02を参照
     [3] 境内図(神宮寺復元図) :内容は下記の写真03-03と03-04を参照
     [4] 諏訪大社上社社叢    :内容は下記の写真03-05を参照
     [5] 上社国重要文化財建造物 :内容は下記の写真03-13を参照
     [6] 御宝殿         :内容は下記の写真03-15を参照
    ■公式ウェブサイト
     [7] 諏訪大社公式サイト   :上社2宮と下社2宮の全ての紹介あり
     [8] 諏訪市公式サイト    :温泉寺に現存する上社本宮の鉄塔や大祝についての紹介あり
     [9] 仏法紹隆寺公式サイト  :諏訪大社神宮寺の社務も務めた古刹、本尊であった普賢菩薩像を保存
     [10] 巨樹巨木林データベース :2000年度の調査記録あり
    ■少遠景の巨木
     [11] 諏訪大社上社前宮の社叢 :上社前宮と社叢の巨木紹介(子安社と御室社と本殿のケヤキなど)
     [12] 諏訪大社下社春宮の社叢 :下社春宮と社叢の巨木紹介(万治の大仏と慈雲寺を含む)
     [13] 諏訪大社下社秋宮の社叢 :下社秋宮と社叢の巨木紹介(専女の欅と青塚古墳を含む)
    ■少遠景の登山
     [14] 守屋山の登山      :登山口は杖突峠、山頂では諏訪湖と下社春宮と秋宮の社叢が見える

    複数の巨木情報

     以下は巨樹巨木林DB [10] の登録情報から私が比定したもの(2000年度の調査記録)。 境内の巨木は多いため誤っている場合もあります。 地図中に示した他の巨木「ウラジロモミ」と「宮の脇のカヤ」と「五本杉」について写真はありません。 参拝当日には存在を知らなかった…。次回参拝の課題です。

    名前 幹周 樹高 樹齢 説明
    贄掛けの欅 8.70m [10] 35m [10] 300年以上 [10] 側に入口御門と御柱がある御神木
    ケヤキ (1) 6.60m [10] 15m [10] 不明 東参道入口の向かって右側に立つ
    ケヤキ (2) 5.70m [10] 37m [10] 不明 東参道入口の向かって左側に立つ
    サワラ 5.80m [10] 27m [10] 不明 贄掛けの欅から北側の道路沿いに立つ
    スギ 4.19m [10] 27m [10] 不明 神楽殿横の土俵の近くに立つ
    ウラジロモミ 3.52m [10] 40m [10] 不明 布橋沿いに並ぶ摂社との間に立つ

    巨木と雑記.諏訪大社の上社本宮

     諏訪大社は全国各地で信仰されている諏訪神社の総本社。 国内最古級の格式高い神社で、 延喜式神名帳には南方刀美神社と記されている信濃国一之宮です。 6年毎に行われる御柱大祭は天下の奇祭として有名。 境内の四隅に建てる樅の巨木を、山中から氏子総出で曳出す勇壮な神事です。[7]

     諏訪大社の鎮座地は4箇所に分かれています。 諏訪湖の南に上社の前宮(茅野市)と本宮(諏訪市)。北に下社の春宮と秋宮(下諏訪町)。 上社では彦神の建御名方神、下社では妃神の八坂刀売神を主祭神としています。 上社本宮は四宮の中でも、特に広い境内と数多くの社殿を有し、 豊かな自然林が茂る社叢には数多くの巨木も有しています。 以下、上社本宮の境内の様子です。[7]

    cm-諏訪大社上社本宮-01 東参道入口に面した入口御門と境内中央へ続く長い渡り廊下のような布橋。右に二之御柱。 布橋の左には額殿や摂末社が続く。入口御門は文政12年(1829)の建築で国の重要文化財。
    【03-02】境内図 cm-諏訪大社上社本宮-02
    【03-03】境内図 cm-諏訪大社上社本宮-03
    【03-04】境内図 cm-諏訪大社上社本宮-04
    【03-05】解説板 cm-諏訪大社上社本宮-05
    【03-06】神楽殿 cm-諏訪大社上社本宮-06
    【03-07】一之御柱 cm-諏訪大社上社本宮-07
    【03-08】宝物殿 cm-諏訪大社上社本宮-08
    【03-09】勅願殿 cm-諏訪大社上社本宮-09
    【03-10】四之御柱 cm-諏訪大社上社本宮-10
    【03-11】拝殿 cm-諏訪大社上社本宮-11
    【03-12】拝殿 cm-諏訪大社上社本宮-12
    【03-13】解説板 cm-諏訪大社上社本宮-13
    【03-14】御宝殿 cm-諏訪大社上社本宮-14
    【03-15】解説板 cm-諏訪大社上社本宮-15
    【03-16】四脚門 cm-諏訪大社上社本宮-16
    【03-17】解説板 cm-諏訪大社上社本宮-17


     上社本宮の特徴について。 東西に伸びた形の広大な境内には数多くの社殿が現存。 国の重要文化財に指定されている社殿は、拝殿を含めて16棟もあります(2016年時点)。 境内の中央に建つ荘厳な拝殿は、諏訪造りとも呼ばれる本殿を持たない独特の様式。 中央に幣殿と繋がった拝殿、左右に渡り廊下のような片拝殿が2棟。 そして拝殿の奥は大木が鬱蒼と茂る聖域。 本宮の御神体は神体山とされ、古代祭祀の形態を色濃く残しています。[2][5][7]

     上社本宮には本殿がありませんが、それに相当する社殿があります。 四脚門を挟んで東西に2棟並ぶ御宝殿。 6年毎の4月から5月にかけて行われる御柱大祭の年、 本宮では6月に宝殿の遷座際が行われます。 古い方の宝殿を立て替えて、中の神輿などの神宝を遷す神事。 次回は2022年に西宝殿の建替え。[6][7]

    巨木と雑記.社叢と贄掛けの欅

     上社本宮の社叢は諏訪大社の四宮の中でも特に緑豊か。 約11.5ヘクタールもの範囲が長野県の天然記念物に指定されています [4][8]。 ケヤキ、スギ、サワラなどの大木に包まれた森厳なる社叢の中で、 最大の巨木が贄掛けの欅です。
     二之御柱と入口御門の隣にそびえたつ大ケヤキ。 太い根本には古木らしい貫禄があり、血管が脈動しているかのような隆起が逞しい。 背は高く中腹から双幹で立ち昇り大きな樹冠を広げている。 全体的に姿がよく、神々しさも感じられる大ケヤキです。

     「贄」という名前の由来について [1][7]。 上社の例大祭である御頭祭(4月15日)では、 御狩の獲物である鳥獣魚類を供物として神前に奉納。 特に重要なのは鹿の頭。 昔は75頭分も奉げたという鹿の頭は、現在では剥製の形式となり、捌いた肉を奉納しているそう。 そんな贄の一部が掛けられたというのが名前の由来。 なお、宝物殿には御頭祭の資料も展示されています。

     一見して大ケヤキの姿は、贄という血生臭いイメージとは合わない立姿。 それでも二之御柱が立つ南側の根元には、凄味のある表情を現しています。 根本の複雑な隆起が、大きな獣の顔に見えるのです。 これには驚愕しました。 諏訪大社の長い歴史を見届けてきた千年樹。 大いなる神秘を宿した畏敬すべき御神木でした。

    巨木と雑記.上社本宮の御神体について

     私は上社本宮の神体山は守屋山 [14] だと思っていました。 だから諏訪大社四宮の巡拝と併せて守屋山にも登ったのです。 しかし、諏訪大社公式サイト [7] や現地資料の数々には、 神体山が守屋山だとは明記されていない。 守屋山の山頂(西峰)には何もなく、東峰にあるのは守屋神社の奥宮。 山頂には諏訪大社の気配が感じられませんでした。 そして立石登山口で出会った地元(伊那市)の人に尋ねると 「守屋山にあるのは南麓にある守屋神社の奥宮」と言う。 上社本宮の神体山は守屋山ではないのか?

    cm-守屋山-01 守屋山の東峰にある守屋神社の奥宮。岩の手前に建つ石碑にも守屋神社と刻まれている。 周囲には諏訪大社のシンボルである御柱なども見当たらない。ここから麓の上社本宮は見えない。
    cm-守屋山-02 守屋山の山頂(西峰)から北側の展望。諏訪湖周辺が見渡せる。北湖畔には下社の春宮と秋宮の社叢も見える。 上社は中腹に広がる山麓に隠れて見えない。


     上社本宮の本来の御神体は、 守屋山ではなく時代と共に変遷したのではないでしょうか。 この事について稚拙ながら考察してみました。 上社本宮の拝殿の向きは、守屋山のある南ではく東です。 東にあるのは前宮。 古くは前身となった前宮を遥拝し、 神居と定めた聖域で、最高神官の大祝(おおほうり)が神事を司った。 そして御神体は大祝自身、神の依代たる現人神だったのでは。[8][11]

     神仏習合の時代になると、上社本宮にも別頭の神宮寺が建ちます。 神宮寺が復元された境内図 [3] を見てください。 この大伽藍を見ると、最盛期は仏教色が強かったように思えます。 普賢堂には諏訪神の本地仏とされた普賢菩薩像が安置。 神居にある「お鉄塔」とは石造りの宝塔。 諏訪藩主2代の諏訪忠恒が奉納したもので、寛永8年(1631)の銘。 宝塔が御神体とされた時代があったのです。 [3][8][9]

     明治になると政府の神仏分離令により、 神宮寺は消滅し、鉄塔を含めて境内の仏教色のある堂塔は廃されます。 加えて大祝の職も廃されてしまう。 信濃国一之宮といえど、新しい時代に合わせて変革を迫られたのです。 なお、本尊の普賢菩薩像と御神体の鉄塔は、 諏訪市内の仏法紹隆寺と温泉寺とに移され現存しています。 [3][8][9]

     大木が茂る神居の聖域そのものが御神体に等しい。 この神聖なる山林を神体山と見なせないか。 そう考えて、GoogleMapで社叢を眺めていたとき、あることに気付きました。 上社本宮と接する南の山中には、広葉樹が占める原生林が広がっているのです。 その範囲は30ヘクタールに近い。 諏訪大社上社本宮には、神体山と呼べるものが確かにあるのでした。