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諏訪大社下社秋宮の社叢
巨木の写真
諏訪大社下社秋宮と巨木の基本情報
巨木の名前 | 専女の欅 [1] |
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樹種 | ケヤキ(欅) | |||
幹周 | 6.56m [1], 7.07m [8] | |||
樹高 | 30m [8] | |||
推定樹齢 | 1000年 [1], 300年以上 [8] | |||
特徴 | 単幹の樹形 | |||
保護指定 | 下諏訪町指定天然記念物 | |||
所在地 | 長野県諏訪郡下諏訪町木の下 | |||
所在施設 | 諏訪大社下社秋宮 | |||
撮影日・状態 | 2018.04.27 : 空洞はあるが樹勢は良い.幹の太さの割に少し背が低い印象.過去に主幹上部を損傷した? | |||
アクセス | ||||
車 | 中央道・岡谷ICから約5.5km(諏訪ICからは約11km) | |||
電車 | JR下諏訪駅から約700m | |||
参考情報 | ■現地解説板 [1] 専女の欅 :内容は上記の写真01-06を参照のこと [2] 寝入りの杉 :内容は上記の写真01-08を参照のこと [3] 幣拝殿・神楽殿 :内容は下記の写真02-04を参照のこと [4] 下諏訪青塚古墳 :内容は下記の写真03-02を参照のこと ■公式ウェブサイト [5] 諏訪大社公式サイト :上下社四宮をまとめて紹介している [6] 下諏訪町公式サイト :諏訪大社と青塚古墳の詳細を紹介している [7] 諏訪市博物館公式サイト :諏訪地方の歴史について詳しい情報あり [8] 巨樹巨木林データベース :2000年度の調査記録(専女の欅、寝入りの杉、青塚古墳のケヤキ群) [9] ウィキペディア :白松についてのページ ■少遠景の巨木 [10] 諏訪大社上社前宮の社叢 :上社前宮と社叢の巨木を紹介 [11] 諏訪大社上社本宮の社叢 :上社本宮と社叢の巨木を紹介(贄掛けの欅ほか) [12] 諏訪大社下社春宮の社叢 :下社春宮と社叢の巨木を紹介(万治の大仏と慈雲寺を含む) |
複数の巨木情報
以下は巨樹巨木林DB [8] の登録情報から私が比定したもの(2000年度の調査記録)。 なお恵比寿社のケヤキの写真はありません。 参拝当日には存在を知らなかった…。次回参拝の課題です。
名前 | 幹周 | 樹高 | 樹齢 | 説明 |
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専女の欅 | 7.07m [8] | 30m [8] | 300年以上 [8] | 専女社に立つ |
恵比寿社のケヤキ | 6.45m [8] | 30m [8] | 不明 [8] | 恵比寿社に立つ(写真なし) |
寝入りの杉 | 5.03m [8] | 35m [8] | 600~700年 [2] | 神楽殿の手前に立つ |
青塚古墳のケヤキ (1) | 4.90m [8] | 30m [8] | 不明 [8] | 方墳の道路側に立つものか? |
青塚古墳のケヤキ (2) | 4.65m [8] | 30m [8] | 不明 [8] | 方墳と円墳の中間に立つものか? |
青塚古墳のケヤキ (3) | 4.50m [8] | 30m [8] | 不明 [8] | 円墳石室の上に立つものか? |
青塚古墳のケヤキ (4) | 4.40m [8] | 30m [8] | 不明 [8] | ケヤキ (1) の隣に立つもの? |
巨木と雑記.諏訪大社の下社秋宮
諏訪大社は全国各地で信仰されている諏訪神社の総本社。 信濃国一之宮であり、国内最古級の格式高い神社です。 天下の奇祭である御柱大祭が行われる神社としても有名。 6年毎に行われ、境内の四隅に建てる樅の巨木を、山中から氏子総出で曳き出す勇壮な神事です。[5] 諏訪大社の鎮座地は4箇所に分かれています。 諏訪湖の南に上社の前宮(茅野市)と本宮(諏訪市)。 北に下社の春宮と秋宮(下諏訪町)。 主祭神は上社で彦神の建御名方神、下社では妃神の八坂刀売神。 延喜式神名帳に南方刀美神社二座とあるように、平安時代以前から上下2社としてあったようです。 以下、二社四宮の中でも特に大きな神楽殿と拝殿を持つ、秋宮境内の様子です。[5]
下社秋宮の特徴について。 基本的には春宮と同じです。 社殿は本殿を持たない拝殿のみで構成する諏訪造り。 本殿の奥には神輿や神宝を納める2つの宝殿。 下社では諏訪神がお鎮まりになるのは春宮と秋宮の交代。 春宮には2月~7月、秋宮には8月~翌年1月。年2回に遷座祭が行われます。[5] 引き続き秋宮の特徴。 荘厳な拝殿は構造がほぼ春宮と同じ。 これは建築時に同じ絵図面が使われた為とされます。 異なるのは細部の意匠と左右片拝殿の大きさ。 桁行は同じ5間。梁桁は春宮が1間のところ秋宮は2間。 春宮より少し両翼が広い印象です。 御神体はイチイ(一位)の古木とされます。 拝殿奥に立っているらしいのですが、その全貌は不明。 幣拝殿の屋根の上に梢の一部が見えるか。 境内地には大きな前方後円墳、青塚古墳があるのも特徴です。[3][4][5] 秋宮の巨木について。 境内の巨木には、専女の欅と寝入りの杉の他にも、スギやケヤキが複数あります。 特に印象に残った木は巨木ではなく、左右片拝殿の前に植えられている白松 [7]。 初めて目にする中国原産の木に興味深々。 白い斑模様の木肌のため、マツ科の木だとは信じられない姿です。 しかし枝先にはマツ科らしい針葉と松ぼっくり。とても不思議な木として映りました。
巨木と雑記.青塚古墳
下社秋宮の参拝後は、少し離れた位置にある青塚古墳へ。 道中歩いた旧中山道沿いは、旅館などの古い建物が多い風情ある景観でした。 ケヤキの大木が覆う青塚古墳は、諏訪地方で唯一の前方後円墳。 長野県指定史跡です。 規模は主軸長が約67メートル。後円部の直径が約33.4メートル。前方部の幅が42.8メートル。 高さは8メートルほどあり、住宅地にそびえる小山のような存在。 後円部には横穴式の石室があります。[4][6]
青塚古墳は6世紀末以降に築造されたと考えられています。 埋葬者は不明。 過去に円筒形の埴輪や、武人型の埴輪が発見されているらしい。 下社秋宮に近い古墳は諏訪大社の境内地。 くびれ部には境内社の青塚社。 古来、この地の豪族であり諏訪大社下社の大祝であったのは金刺氏。 青塚古墳の主は、金刺氏の始祖にあたる人物なのかもしれません。[5][6]
巨木と雑記.諏訪大社の上社と下社
最後に、諏訪大社が上社と下社に分かれていることについて。 元は諏訪地方の2大勢力、諏訪氏(上社)と金刺氏(下社)が祀る氏神社が、 諏訪大社として統轄されていったのでしょう。 両社には固有の神事があることも、元は異なる神社であった名残の一部。 上社では諏訪氏が併合した守矢氏のミシャグジ信仰が受け継がれています。 [5][10] 鎌倉時代以降は諏訪氏と金刺氏は大きく武士団化。 諏訪神は軍神として広く信仰されるようになります。 後に両氏は激しく対立。 文明15年(1483)、諏訪氏に大祝家と惣領家による内乱発生。 この期に下社大祝であった金刺興春は攻勢に出る。 後に諏訪家を掌握した諏訪頼満は、金刺氏を抑えて諏訪を統一。 下社大祝は興春の子、昌春の代で断絶。 下社大祝は武居氏などから輩出されたそうです。 [5][7] 諏訪氏と金刺氏の対立の渦中では、社殿が焼かれることもあったとか。 そして金刺氏が諏訪から去ることによって、 下社に忘れ去られてしまった伝承が多くありそうです。 その一つが青塚古墳。 大祝金刺氏の始祖が祀られていたのかもしれない王の塚。[7]
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