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    筆甫のウバヒガン桜

    巨木の写真

    撮影日:2022.04.12 【01】宮城県で最大級の大桜、周囲の景観も含めて素晴らしい立姿 筆甫のウバヒガン桜-01
    【02】 筆甫のウバヒガン桜-02
    【03】 筆甫のウバヒガン桜-03
    【04】 筆甫のウバヒガン桜-04
    【05】 筆甫のウバヒガン桜-05
    【06】 筆甫のウバヒガン桜-06
    【07】 筆甫のウバヒガン桜-07
    【08】 筆甫のウバヒガン桜-08
    【09】 筆甫のウバヒガン桜-09
    【10】 筆甫のウバヒガン桜-10
    【11】 筆甫のウバヒガン桜-11
    【12】 筆甫のウバヒガン桜-12
    【13】 筆甫のウバヒガン桜-13

    巨木の基本情報

    巨木の名前 親王桜, ウバヒガン桜 [1][3]
    樹種 エドヒガン (江戸彼岸)
    幹周 5.30m [4]
    樹高 20.0m [4]
    推定樹齢 500年以上 [1][3]
    特徴 地上3m付近まで太い単幹、傾斜地の立地
    保護指定 丸森町指定天然記念物
    所在地 宮城県伊具郡丸森町筆甫和田
    所在施設 薬師堂
    撮影日・状態 2022.04.12 : 何本かの大枝を欠損しているが樹冠は広大で樹勢は良い様子、当時は5分咲くらいか
    アクセス
    東北道・国見ICから約26㎞、常磐道・新地ICから約20㎞
    電車 阿武隈急行・丸森駅から約16㎞
    参考情報 ■現地資料
     [1] 解説版・親王櫻      :内容は上記巨木の写真13を参照
    ■書籍
     [2] ふるさとの伝説      :編集・丸森町文化財保護委員会、編集・丸森町文化財友の会
    ■外部ウェブサイト
     [3] 丸森観光案内所      :当大桜の情報あり
     [4] 巨樹巨木林データベース  :当大桜の登録あり(2000年度の調査記録)
     [5] ウィキペディア      :北畠顕家について参考
    ■少遠景の記録
     [6] 丸森のイチョウ      :丸森町にある宮城県で最大のイチョウ
     [7] 旅日記・丸森の猫神様めぐり:町内に70基以上ある猫碑の8割を紹介
     [8] 登山・霊山        :福島県伊達市との境にそびえる岩山、北畠顕家が築いた霊山城跡地

    巨木と雑記.名将の手植えと伝わる県内最大級の大桜

     大イチョウ [6] や猫神様めぐり [7] を目当てに何度も訪れている丸森町。 今回は筆甫地区にて、県内最大級の大桜を拝観しました。 里山らしい周囲の景観も含めて、じつに素晴らしい姿の大桜です。 単幹で6m近くもある太い幹は圧巻。 相当な老樹らしい風格も湛えている。 老樹ながら樹勢は良く、樹冠は広く背は高い。 訪問時は五分咲きくらいでしたが、それでも十分に美しい。 満開の花笠はさぞ絢爛たるものでしょう。 ちなみにウバヒガン (姥彼岸) とはエドヒガンの別称です。

     大桜の伝承について [1][3] 。南北朝時代の武将、北畠顕家[5] による手植えと伝わる。 顕家は鎮守府将軍となり、後醍醐天皇の第8皇子である義良親王を奉じて陸奥へ下向。 やがて国府を岩山の要害である霊山城 [8] へ移します。建武2年 (1335)、霊山城の鬼門にあたる当地に、鎮護となる薬師堂を建立。 そのとき親王とともに参詣、この大桜を植えたとの伝承。 このため親王桜とも呼ばれています。 顕家は朝廷に仕えた有能な公卿であり、文芸にも秀でた美青年であったと伝わります。 そして文武両道。 建武の新政と対立した、足利尊氏の軍勢を何度も破り、武将としても優れた人物であった。 そんな顕家の人物像と、強く気高く美しい、大桜の姿が重なりました。

    巨木と雑記.薬師堂にある猫神様

     薬師堂境内では気になるものがありました。 猫の石像です。 丸森町は猫の供養碑、守り神としての石碑が全国で一番多いところ。 江戸末期から昭和初期にかけて、県内でも特に養蚕業が盛んであった。 このためネズミ除けに猫がたくさん飼われ、大切にされていた。 猫碑が多い理由のひとつでしょう。 この猫像も養蚕の守り神として奉納されたものか。 高さ約22cm。頭部は失われていて、明治時代の作と推定されるそうです。

    cm-和田薬師堂石像-01 境内北側にならぶ石碑群のなかに猫像があった。猫像は小さく目立たない。
    cm-和田薬師堂石像-02 猫像。材は赤みを帯びた赤滝石。頭部は失われている。 明治期の作と推定されるらしい。

    巨木と雑記.正覚法印塚

     大桜の側には事前に知らなければ気付かないであろう史跡があります。 正覚法印塚。 大桜から少し東に離れたとこにある小さな塚で、上には石碑がたてられている。 この塚の伝承 [2] について。 元禄年間 (1688-1704) の頃、当村は疫病に苦しんでいたという。 村人たちは正覚という偉い法印様に、悪病退散の祈祷を依頼。 法印は命を尽くす祈祷、自ら棺桶に入って土中に埋まる、入定を果たした。 ここがその塚とされています。

    cm-正覚法印塚-01 大桜から東に少し離れた耕地のようなところの一角に小さな塚、正覚法印塚がある。
    cm-正覚法印塚-02 北側の道路上から撮影した塚の写真の拡大。畏れ多く塚には近寄る気にならなかった。