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    慈済寺の榧

    巨木の写真

    撮影日:2025.08.23 【01】カヤ古木の根差す境内には、源頼朝の乳母の建てた塚もある 慈済寺の榧-01
    【02】 慈済寺の榧-02
    【03】 慈済寺の榧-03
    【04】 慈済寺の榧-04
    【05】 慈済寺の榧-05

    巨木の基本情報

    巨木の名前 榧 [1][4], 慈済寺の榧 (仮)
    樹種 カヤ (榧)
    幹周 4.20m [1], 4.50m [5]
    樹高 15.0m [1], 13.0m [5]
    推定樹齢 天和年間 (1681-83) の植樹 [1]
    特徴 単幹、空洞、箒状の樹冠
    保護指定 栃木市指定天然記念物
    所在地 栃木県栃木市大平町伯仲
    所在施設 慈済寺
    撮影日・状態 2025.08.23 : 樹勢衰退、主幹上部を大きく欠損、空洞化、根本の保護が課題であろう
    アクセス
    東北道・佐野藤岡ICから約11km、栃木ICから約14km
    電車 東武日光線・静和駅から約5km、JR間々田駅 (宇都宮線・湘南新宿線) から約9km
    参考情報 ■現地資料
     [1] 大平町指定文化財・榧 :内容は下記雑記の写真01を参照
     [2] 頼朝塚・別名乳母塚縁起:内容は下記雑記の写真03を参照
     [3] 宝篋印塔の銘文    :内容は下記雑記の写真05を参照
    ■外部ウェブサイト
     [4] 栃木市ホームページ  :当巨木の文化財指定の名称は「榧」
     [5] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録)
     [6] 天台宗東京教区    :慈済寺に所縁ありそうな妙足院について参考
    ■少遠景の記録
     [7] 大中寺のスギとモミジ :栃木市、根本に恐ろし気な井戸のあるスギ、個性的な姿のモミジ
     [8] 富田雷電神社の椎   :栃木市、県内最大とみられるスダジイ
     [9] 富田八坂神社のイチョウ:栃木市、富田地区の総鎮守、かつて富田城内に鎮座していた

    巨木と雑記

     旧大平町の南端に位置する地区の伯中。 いすゞ自動車の広大な栃木工場がある地域です。 当地の住宅にある古刹が慈済寺 [1] [2] 。起源は治承年間 (1177-81) の頃、寒川尼により開かれた慈済庵と伝わります。 寒川尼の夫と息子は、鎌倉幕府の有力御家人となる小山政光と結城頼光。 そして源頼朝の乳母も務め、 頼朝から当地域の寒川郡および、網戸郡 (小山市網戸) の地頭も任せられました。 寒川尼は夫の政光が亡くなると、冥福を祈り塚を建立。 その塚は頼朝塚または乳母塚と呼ばれ、境内の観音堂の横に安置されています。 なお、寒川尼の墓所は網戸の称念寺 (地図リンク) にあります。

     江戸時代の天和年間 (1681-83)、慈済庵は現在地に移り慈済庵寺と改称。 その際に植樹されたのがこのカヤと伝わります。 樹勢は衰退し、主幹は上部を大きく欠損し空洞化。 細枝の複数は、枯木に根差した若木たちのようだ。 命の循環。引き付けるものがあり、空洞を前に見仰ぐ姿が荘厳に映りました。

    cm-慈済寺-01 【01】カヤの解説板。慈済寺の由緒についても説明している。
    【02】 cm-慈済寺-02
    【03】 cm-慈済寺-03
    【04】 cm-慈済寺-04
    【05】 cm-慈済寺-05



     おわりに観音堂前に建つ宝篋印塔について。 2基あるうち大きな方の銘文には、興味深いものがありました (雑記の写真05)。 それは「文化十年 (1813)、江戸小日向、妙足院住持政順謹誌」という銘文。 現存する東京都文京区小日向にある妙足院、その当時の住職から贈られたものと解釈できます。 妙足院[6] は寛文年間 (1661-73)、浩禅尼による開基。 双方の寺院には繋がりがあったようです。