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金剛寺のケヤキと皆川城址
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 金剛寺のケヤキ (仮) |
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樹種 | ケヤキ (欅) | |||
幹周 | 4.18m (実測) | |||
樹高 | 不明 (20m以上) | |||
推定樹齢 | 不明 | |||
特徴 | 球形の整った広い樹冠 | |||
保護指定 | 不明 | |||
所在地 | 栃木県栃木市皆川城内町 | |||
所在施設 | 金剛寺 | |||
撮影日・状態 | 2023.07.28 : 樹勢良好で更なる成長が期待できそう、皆川家祖廟を美しい緑の樹冠で包んでいる | |||
アクセス | ||||
車 | 東北道・栃木ICから約5km | |||
電車 | 栃木駅 (JR両毛線・東武日光線) から約6km、以下路線バスを利用可 | |||
バス | 栃木市ふれあいバスの皆川樋ノ口線、栃木駅 (北口) にて乗車、皆川郵便局前にて下車 | |||
参考情報 | ■現地解説板 [1] 皆川家歴代祖廟 :内容は下記雑記の金剛寺の写真03を参照 [2] 皆川城址 :内容は下記雑記の皆川城址の写真02-03-04を参照 ■外部ウェブサイト [3] 栃木市ホームページ :皆川城址の情報を参考 [4] 巨樹巨木林データベース :当巨木は未登録 (2023年7月時点) ■少遠景の記録 [5] 新井町天満宮のケヤキ :栃木市、同じ吹上皆川の地区なので近い [6] うずま公園のメタセコイア:栃木市、市街中心部、蔵の街の観光と合わせると楽しい [7] 太平山神社の御神木 :栃木市、太平山に鎮座する市内を代表する大社、優れた展望地でもある [8] 大中寺のスギとモミジ :栃木市、太平山の南麓にある古刹、山門は皆川城から移築したもの |
巨木と雑記.金剛寺
太平山 [7] から北、東北自動車を囲む地域の城内町。 戦国時代、皆川氏が観音山に皆川城 [2][3] を築き、城下として栄えたところです。 今は頂上の本丸跡に、素晴らしい眺めの展望台が建つ皆川城址。 その南西麓にある古刹が、皆川氏の菩提寺である金剛寺 [1] です。 境内には初代秀宗から代々の城主、 そして江戸時代に旗本として続いた子孫まで、皆川家歴代の祖廟があります。 この名跡には一本の大ケヤキが根差しいる。 大きな樹冠を優しく広げ、樹下には爽やかな緑の風が吹く。 この祖廟の威厳を高めている、美しい姿の大ケヤキです。
金剛寺の由緒について [1]。 初代皆川城主となった皆川秀宗、その御母堂の開基とされます。 詳しい年代は分かりませんが、御母堂の没年である長禄元年 (1457) 以前の創建でしょう。 なお秀宗が当地へ移ってきたのは永享元年 (1429)。 秀宗は会津田島を拠点としていた長沼氏の5代目です。 永享8年 (1436)、観音山に皆川城を築き、当地を皆川城内村と改めたそうです。 菩提寺として皆川家に庇護されてきた金剛寺。 寺宝には5代広照が寄進した具足、6代隆庸が寄進した薬師如来像などがあり、 県の文化財に指定されています。
巨木と雑記.皆川城址
標高約147mの観音山に築城された皆川城 [2][3] 。東西約450m、南北約300mの規模をもつ山城です。 頂上に本丸を置き、麓までの斜面は階段状の帯曲輪が幾重にも配されている。 麓から見える螺旋状の山、その外観から法螺貝城とも呼ばれました。 初代秀宗が築城してから150余年、戦火の堪えない乱世をよく持ちこたえました。 最盛期を迎えた5代広照のとき、天正18年 (1590) に豊臣秀吉の軍勢により落城。 小田原征伐の最中、広照は北条氏に組していたためです。 後に皆川城は廃城となり、皆川家は徳川幕府の旗本として存続しました。 現在の皆川城は市指定の公園として整備。 各帯曲輪や竪堀などの遺構がよく残されています。 そして本丸展望台からの眺めがじつに素晴らしい。 360度の大展望。南側には太平山 [7] とその裾野、東側には筑波山との間に広がる市街地と大平野。 そして近くの東北自動車道、大勢のドライバーが貴方の姿に気付いているかも。 視界の広さでいえば太平山以上の好展望地です。
以下は本丸展望台からの眺めの様子です。
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