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    唐澤山神社のアカマツ

    巨木の写真

    撮影日:2023.06.30 【01】栃木県を代表する古城に根差す松、今は唐澤山神社の御神木 唐澤山神社のアカマツ-01
    【02】 唐澤山神社のアカマツ-02
    【03】 唐澤山神社のアカマツ-03
    【04】 唐澤山神社のアカマツ-04
    【05】 唐澤山神社のアカマツ-05
    【06】 唐澤山神社のアカマツ-06
    【07】 唐澤山神社のアカマツ-07
    【08】 唐澤山神社のアカマツ-08
    【09】 唐澤山神社のアカマツ-09

    巨木の基本情報

    巨木の名前 唐澤山神社のアカマツ (仮)
    樹種 アカマツ (赤松)
    幹周 3.10m (実測)
    樹高 不明 (15m以上)
    推定樹齢 不明
    特徴 単幹、枝下高い、笠状の樹冠
    保護指定 栃木県立自然公園
    所在地 栃木県佐野市富士町 (田沼地区)
    所在施設 唐澤山神社
    撮影日・状態 2023.06.30 : 目立つ損傷なく樹勢良し、幹周を計測したのは社殿の左手前の個体のみ
    アクセス
    北関東道・佐野田沼ICから約5km、佐野藤岡ICから約11km
    電車 佐野駅 (JR両毛線・東武佐野線) から約7km、田沼駅から約3km
    参考情報 ■現地解説板
     [1] 唐沢山城の沿革    :内容は下記雑記の写真01を参照
     [2] 唐沢山城の曲輪図   :内容は下記雑記の写真02を参照
    ■外部ウェブサイト
     [3] 唐澤山神社ホームページ:城と神社由緒について参考
     [4] 巨樹巨木林データベース:当巨木は未登録 (2023年6月時点)
    ■少遠景の記録
     [5] 閑馬丸山のカヤ    :佐野市の田沼地区、風格あるカヤ老樹 (私有林内)
     [6] 熊野神社だっこ杉   :佐野市の田沼地区、イヌシデを抱いている
     [7] 岩嶽神社のスギ    :佐野市の田沼地区、市内最大とみえるスギ

    巨木と雑記.唐澤山神社

     佐野市街地の北部にそびえる標高240mの唐澤山 [1][3] 。関東平野を見渡せる眺望のこの山は要塞でもあります。 伝承では、鎮守府将軍の藤原秀郷の築城にはじまるという山城。 子孫の佐野氏が代々の城主となり、戦国時代の末期に完成形となる。 上杉謙信の猛攻にも10回にも渡り耐えたという堅城。 関東七名城のひとつに数えられています。 また枡形・土塁・堀切・石垣などの遺構をよく残していて、国の史跡に指定。 そして山頂の本丸跡には、藤原秀郷を祭神とする唐澤山神社が鎮座し、現在は全山が境内地。 佐野市の守護神は、栃木県を代表する古城に祀られています。

     緑豊かで四季折々の風景が美しい境内は、県立の自然公園にも指定。 各所には風流な佇まいのアカマツが多く見られます。 特に大きく目立つものは、本殿 (拝殿) の正面に神門を囲んで根差す2本。 注連縄が巻かれた御神木。 神域となった古城の雰囲気を高めているアカマツです。

    cm-唐澤山神社-01 【01】唐澤山城の沿革の解説板。
    cm-唐澤山神社-02 【02】唐澤山城の曲輪図。
    cm-唐澤山神社-03 【03】本丸跡に鎮座する社殿 (拝殿と本殿)。


     唐澤山神社の由緒について [1][3] 。前身は唐澤山城。 平安時代の延長5年 (927)、藤原秀郷は下野国の押領使に着任。 唐澤山に城を築き当地を治めたと伝わるそうです。 天慶3年 (940)、平将門による反乱 (天慶の乱) の際、 秀郷は甥の平貞盛らと合力して、下総国にて征伐。 この功績により鎮守府将軍となり、下野守と武蔵守を兼任。 その後、子孫である代々の佐野氏の居城となります。

     江戸初期、佐野信吉が最後の城主となります。 徳川幕府の山城禁止令により廃城。 現在の市街中心部、城山公園 (地図リンク) がある位置に城が移され、佐野城または春日城と呼ばれました。 しかし慶長18年 (1613)、突如として佐野家は改易され、信濃松本藩の小笠原秀政の預かりとなる。 同年、江戸で大火が発生したとき、信吉は諸大名よりいち早く急行して鎮火に貢献。 この即応性が、叛意ある場合には危険と見なされ、難癖つけられたようです。何という無念。 後の元和8年 (1622)、信吉は赦免されて江戸に移り、 子孫は旗本となって佐野家は再興されます。

     時代はくだって明治13年 (1880)。 佐野家と旧臣の一族によって東明会が組織され、 祖先と崇める藤原秀郷を祀る神社の建立に動く。 明治16年、東明会により唐澤山城の本丸跡地に当神社が建立され、現在に至ります。 以下は境内の様子、山城の遺構がよく残っています。 堅牢な大手虎口、眺望の天狗岩 (櫓跡)、深い堀切 (四つ目堀)、 本丸を囲む巨大な石垣など、見どころたくさん。

    cm-唐澤山神社-01 【01】大手門のあった虎口。現在でも表参道の入口である。手前にはレストハウスと駐車場がある。
    【02】 cm-唐澤山神社-02
    【03】 cm-唐澤山神社-03
    【04】 cm-唐澤山神社-04
    【05】 cm-唐澤山神社-05
    【06】 cm-唐澤山神社-06
    【07】 cm-唐澤山神社-07
    【08】 cm-唐澤山神社-08
    【09】 cm-唐澤山神社-09
    【10】 cm-唐澤山神社-10
    【11】 cm-唐澤山神社-11
    【12】 cm-唐澤山神社-12
    【13】 cm-唐澤山神社-13

    巨木と雑記.気になる展望地 (閑話)

     唐澤山神社の南城跡にある展望地にて、興味を引くものが見えます。 それは南に伸びていく尾根の先、峰の上に建物が乗っている (地図リンク) 。正体は浅間山に建つ浅間神社です。 南麓の小梥神社から山道が伸びています。 途中は急傾斜で岩が露出しているので足元にご注意。 社の建つ山頂は360度の大展望。 特筆すべきは、最も唐澤山の眺めがよい展望地といえることです。 南城跡や本丸を囲む社叢がよく見える。 往時は唐澤山城の南端に位置する櫓として機能したか。 緊急の際は狼煙を上げて本城と連絡を取っていたか。 今に続く当浅間神社の祭礼でも、 この山頂でお焚き上げの神事を行っているそうです。 ロマンチックな佐野市の風物詩のひとつ。

    cm-浅間神社-01 【01】唐澤山城の南城跡の展望地から。 右奥の南伸びた尾根上の峰、浅間山の頂上に神社が建つ。
    cm-浅間神社-02 【02】浅間山の南麓にある小梥神社。境内奥に山道が続く。
    cm-浅間神社-03 【03】小梥神社にある「浅間山おたきあげ」の解説板。


     以下、社の建つ浅間山からの展望。

    cm-浅間山の展望-01 【01】山頂にある浅間神社。東屋のような建物と石祠。
    【02】 cm-浅間山の展望-02
    【03】 cm-浅間山の展望-03
    【04】 cm-浅間山の展望-04
    【05】 cm-浅間山の展望-05