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    壬生寺のイチョウ

    巨木の写真

    撮影日:2022.12.16 【01】慈覚大師円仁の生誕地に根差す大イチョウ 壬生寺のイチョウ-01
    【02】 壬生寺のイチョウ-02
    【03】 壬生寺のイチョウ-03
    【04】 壬生寺のイチョウ-04
    【05】 壬生寺のイチョウ-05
    【06】 壬生寺のイチョウ-06
    【07】 壬生寺のイチョウ-07
    【08】 壬生寺のイチョウ-08
    【09】 壬生寺のイチョウ-09

    巨木の基本情報

    巨木の名前 壬生寺のイチョウ [2]
    樹種 イチョウ (公孫樹)
    幹周 5.10m [2][4], 5.06m (実測)
    樹高 24.5m [2], 19.0m [4]
    推定樹齢 350年 [2], 300年以上 [4]
    特徴 単幹、箒状の樹冠
    保護指定 栃木県指定天然記念物
    所在地 栃木県下都賀郡壬生町大師町
    所在施設 紫雲山壬生寺
    撮影日・状態 2022.12.16 : 樹勢は良さそうだが、各大枝の先が剪定されて詰められている
    アクセス
    東北道・栃木ICから約11km、北関東道・壬生ICから約5km
    電車 東武宇都宮線・壬生駅から約2km
    参考情報 ■現地解説板
     [1] 壬生寺の由緒     :内容は下記雑記の写真01~02を参照
     [2] 壬生寺のイチョウ   :内容は下記雑記の写真03を参照
    ■外部ウェブサイト
     [3] 壬生町ホームページ  :壬生寺の情報を参考
     [4] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録)
    ■少遠景の記録
     [5] 雄琴神社のカヤ    :壬生町、当地の総鎮守とされる古社の御神木
     [6] 愛宕神社のケヤキ   :壬生町、国指定史跡の愛宕塚古墳に座す神社、町内最大の巨木
     [7] 興生寺のカヤ     :壬生町、戦国武将の壬生氏の祈願所であった古刹、真言宗智山派の檀林

    巨木と雑記

     壬生城 (地図リンク) から北の城下に位置する大師町。 ここには慈覚大師円仁の生誕地と伝わる壬生寺 [1][3] があります。円仁は延暦13年 (794) の生まれ。 15歳で比叡山延暦寺に入り、伝教大師最澄に師事。 やがて承和5年 (838) に唐へ渡り、本場の法華経と密教を習得。 帰国後は全国各地で布教。東北と関東にも円仁が開山した寺院がたくさんあります。 仁寿4年 (854)、延暦寺の第3代座主となり、天台宗の発展に大いに尽くした高僧です。

     慈覚大師を祀る朱塗の太子堂と、上野寛永寺から移築された大きな本堂。 この両堂の正面にそびえ立つイチョウ。 江戸時代の初期、当寺が再興されたときの記念樹かもしれません。 大枝の先は剪定により詰められ、現地解説板 [2] にある数値より、背は低いものになっている。 それでも王冠のように堂々とした姿をしています。 樹勢も良さそうで、たくさんの実を落としていた。 今の壬生寺には保育園が併設。 お大師様と共に子供たちの成長を見守っているイチョウです。

    cm-壬生寺-01 【01】壬生寺由緒の解説板。
    cm-壬生寺-02 【02】壬生寺由緒の解説板。
    cm-壬生寺-03 【03】イチョウの解説板。

     壬生寺の由緒について [1][3] 。慈覚大師の生誕当時や中世の様子は分かりませんが、 江戸時代に再興されました。 貞享3年 (1686)、日光山輪王寺門跡の天真法親王が、日光へ向かう途中で当地に訪れる。 そのとき親王は、壬生藩主の三浦明敬に再興の命を下す。 こうして太子堂の建立および、小山飯塚にあった台林寺を移して別当寺とした。 元禄5年 (1692) から次の壬生藩主となった松平輝貞は、 地蔵堂を建立し持仏の六地蔵を奉納。 文久2年 (1862)、大師一千年遠忌の事業として太子堂を改修。 このとき台林寺は小山飯塚に戻った。 大正2年 (1913)、大師一千五十年遠忌の事業として本堂を再建。 上野寛永寺に在った天台宗学問所 (勧学寮) を移築して本堂とした。 ちなみに保育園は昭和49年 (1974) に開園。 今は信仰と文化と共に、子供たちの成長も教導している名刹です。