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加蘇山神社のスギ
巨木の写真
巨木の基本情報
名前 | 加蘇山神社のスギ [2] |
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樹種 | スギ (杉) | |||
幹周 | A:6.40m [1][2], 7.50m (実測) B:8.80m [1][2], 8.24m [3], 8.86m (実測) C:6.10m [1][2], 6.08m [3] | |||
樹高 | A:51.0m [1][2] B:46.0m [1][2], 45.0m [3] C:52.0m [1][2], 45.0m [3] | |||
樹齢 | A:500年 [1][2] B:800年 [1][2] C:500年 [1][2] | |||
保護 | 鹿沼市指定天然記念物 | |||
所在 | 栃木県鹿沼市上久我 | |||
施設 | 加蘇山神社 | |||
撮影日等 | 2022.10.26 : A~C木ともに樹勢良好、樹高は40m以上ある印象、じつに神々しい景観の社叢をつくっている | |||
アクセス | ||||
車 | 東北道・鹿沼IC約24km、栃木ICから約33km | |||
電車 | 東武鉄道・新鹿沼駅から約16km、JR鹿沼駅から約18km | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 加蘇山神社の杉 :解説板、内容は下記雑記の写真02を参照 ■外部ウェブサイト [2] 鹿沼市ホームページ :当巨木と神社の情報あり [3] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録) ■少遠景の記録 [4] 加蘇山の千本かつら :鹿沼市上久我、加蘇山神社から奥宮のある石裂山への山道途中 [5] 久我神社のスギ :鹿沼市上久我、スギ巨木の多い社叢、5本のスギを紹介 [6] 登山記録・石裂山 :2014年11月22日の記録 |
巨木と雑記.栃木県を代表する神々しきスギ社叢
鹿沼市の西部に位置する旧加蘇村の地区 (上久我・下久我・加園・野尻)。 当地の総鎮守は石裂山 (おざくさん) の麓に鎮座する加蘇山神社。 1000年以上の歴史を有する古社で、山の中腹にある岩窟には奥社が祀られています。 麓の登拝道の入口、石段と社殿を囲む社叢は要注目の巨木スポット。 スギ巨木の社叢では、県内でも特に神々しいところだと思います。 日光の社寺を超えるような幽玄さがある。 湿潤な薄暗い谷間の立地も手伝い、場の空気が少し怖いくらいの霊場です。 加蘇山神社のスギ巨木群。 その主役は社殿を囲む3本の大スギ (ABC) です。 最初に出会うのは参道石段の入口にそびえ立つA木。 苔むした長い石段、風格ある石鳥居と石碑。 そして門番のようにそびえ立つ、太く素晴らしく背の高い大スギ。 じつに神寂びた景観で余計なものが映らない。 なるほど、ここは数々の時代劇のロケ地になるのも納得。 私も視聴した「猫侍」でのシーンは良いものでした。 社殿のすぐ左側、奥社へと続く山道の入口、登拝門の両側にそびえたつ大スギのB木とC木。 周囲には他の大スギも数本そびえ立ち、下のA木の周囲を超える荘厳な空間に圧倒されます。 社叢で最大となるB木は御神木。 地上高5m付近から双幹となり立ち昇る樹形。 とても背が高く、C木や他の大スギと重なる天上の樹冠も神々しいものです。 注連縄の巻かれているあたりでの幹周は約8.86m。 塚のように隆起した根元の周囲は15m近くありそう。 C木と併せて、神の御柱、神門という言葉がしっくりとくる佇まい。 じつに素晴らしいスギ巨木群の霊場、定期的に訪れたくなります。
加蘇山神社のスギ巨木群。 社殿の周囲のみならず、石裂山の奥社へ続く山道沿いにも巨木が林立しています。 社殿横の登拝門から山道を進むこと約30分で千本カツラ [4] へ。その手前にある東屋までに、幹周4mを超えるスギが10本近くあります。 なお、石裂山への安易な入山は危険。 千本カツラから先には、いくつもの危険個所があります。 鎖のある岩場、やせ尾根、長い梯子のある崖など。 登山初心者、高所が苦手な方は入山しない。 登山経験者でも、凍結や積雪のある冬季は避けるように。 道中の様子は登山記録 [6] をご参考に。
巨木と雑記.加蘇山神社の由緒
以下、鹿沼市ホームページより抜粋 [2] です。 祭神は磐裂命・根裂命・武甕槌男命の三柱。 石裂大権現とも呼ばれた古い山岳霊場。 石裂山の山頂 (879m) に月山神社、中腹の石裂岩と呼ばれる岩窟に奥社が祀られている。 社伝によれば神護景雲年間 (767-770)、勝道上人により開山。 平安期の歴史書である日本三代実録には、 元慶2年 (878) の項に「下野国賀蘇山神社」に従五位下を授与との記述があり、 当社のことと推定される。 戦国大名の皆川氏の軍記物語である「皆川正中録」には、 弘仁年間 (810-824) に空海が登り、 天照大神を祀ったことから「大日の山」と称されたとある。 平安時代末期の永承年間 (1046-1053)、源頼義が武具を奉納して戦勝祈願。 下って安土桃山時代。 永禄年間 (1558-1570) に久我常真が当地を支配し社領寄進したが、後に北条氏の軍勢との合戦にて滅ぶ。 その際に社殿や神職家が兵火にかかり、神宝や古文書が焼失したという。 その後、下野皆川城主の皆川広照から信仰され、天正年間 (1573-1592) に寄進を受ける。 江戸時代の承応年間 (1652-1655)、日光に入山した一品親王宮により再興。 文化11年 (1814) に人々が参拝しやすいように山裾に下宮が建立。 明治維新後に社名を石裂加蘇山神社に改め、明治10年に郷社、大正4年に県社に列した。
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