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    長昌寺のスダジイ

    巨木の写真

    撮影日:2022.08.11 【01】横這いの枝ぶりが見事、斎藤実盛の手植えとの伝承 長昌寺のスダジイ-01
    【02】 長昌寺のスダジイ-02
    【03】 長昌寺のスダジイ-03
    【04】 長昌寺のスダジイ-04
    【05】 長昌寺のスダジイ-05
    【06】 長昌寺のスダジイ-06
    【07】 長昌寺のスダジイ-07
    【08】 長昌寺のスダジイ-08
    【09】 長昌寺のスダジイ-09

    巨木の基本情報

    巨木の名前 椎の木 [2][3]
    樹種 スダジイ (すだ椎)
    幹周 3.80m [4]
    樹高 9.00m [4]
    推定樹齢 800年 [2]
    特徴 直上せず横に伸びた複数の大枝
    保護指定 熊谷市指定天然記念物
    所在地 埼玉県熊谷市八ツ口
    所在施設 長昌寺
    撮影日・状態 2022.08.11 : 東側の根本付近に損傷、樹冠は大きく樹勢は良さそう
    アクセス
    東北道・羽生ICから約22㎞、加須ICから約29㎞
    関越道・東松山ICから約24㎞、花園ICから約21㎞
    電車 熊谷駅 (高崎線・湘南新宿線・秩父本線) から約10㎞
    太田駅 (東武伊勢崎線・東武日光線・東武小泉線・東武桐生線) から約10㎞
    参考情報 ■現地資料
     [1] 薬師堂の改築記念碑  :石碑、内容は下記雑記の写真01を参照
     [2] 熊谷市指定文化財   :解説板、内容は下記雑記の写真02を参照
    ■外部ウェブサイト
     [3] 熊谷市ホームページ  :当巨木の情報あり
     [4] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録)
    ■少遠景の記録
     [5] 妻沼聖天山のケヤキ  :熊谷市の妻沼地区、日本三大聖天のひとつ、本殿の聖天堂は国宝
     [6] 大野伊奈利神社のカヤ :熊谷市の妻沼地区、近くの利根川河川敷に妻沼滑空場がある
     [7] 高城神社のケヤキ   :熊谷市の中央地区、熊谷郷の総鎮守、他にもケヤキとムクノキの巨木あり
     [8] 忍諏訪神社のスダジイ :行田市、関東の名城である忍城跡にある古社、忍城の紹介も含む

    巨木と雑記

     熊谷市の北部、利根川に近い八ツ口の地区。 当地にある臨済宗の古刹が福源山長昌寺。 境内に建つ薬師堂の傍らには、県内では数が少ないスダジイの巨木。 中々に個性的な立姿をしています。 主幹は地上3m付近から複数の大枝へと分岐。 各大枝はすぐには直上せず、横這いに伸び広がっています。 強風に耐えた末に適応した姿か。 または過去に主幹上部が傷ついた末に、横枝を発達させたのか。 どちらにせよ、複数の大蛇が鎌首をもたげるような見事な枝ぶりです。 メデューサのシイ。 根本に安置された地蔵様が凄みを和らげ、威厳を高めてもいる。 苔むした背中も逞しい。 幹周は4mくらいなので、あまり大きな巨木ではありませんが、 個性が光る素晴らしいスダジイです。

    cm-長昌寺-01 【01】本堂と薬師堂の改築の記念碑。寺と薬師堂の創建の由来も刻まれている。
    cm-長昌寺-02 【02】スダジイの解説板。かつては他に2本のスダジイもあったという。

     おわりに長昌寺の由緒について [1][2]。 境内にある薬師堂の方が起源が古く、詳しい創建年代は分からない。 平安時代の末期。 長井庄 (熊谷市域) を領した武将の斎藤実盛が、当地にあった薬師堂を居館の鬼門の鎮護と定めた。 堂前には手ずから椎の木を三本植えたとされ、その一本がこのスダジイという伝承。 長昌寺が建立されるのは戦国時代に入ってから。 詳しい年代は不明、15世紀の後半以降のようです。 忍城の城主である成田氏が武川の合戦に挑む際、 家臣である山田伊半の息子、弥治郎が討死した。 後に弥治郎の領地であった当地に弔いのため、 成田氏の寄進を受け建立されたのが長昌寺と伝わるそうです。 山田家はそうとう有力な家臣だったのでしょう。 ちなみに「武川の合戦」について、場所と敵対勢力が分からない。 成田氏は扇谷上杉氏に組していた時期がある。 対立した古河公方または後北条氏の勢力との合戦なのかも。 江戸時代にも朱印地を安堵され存続、現在に至ります。 ちなみに、忍城跡にもスダジイの巨木 [8] があります。