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    妻沼聖天山のケヤキ

    巨木の写真

    聖天堂前の大ケヤキとその他 (2023.10.03) 【01】国宝の聖天堂 (拝殿) の手前に根差す大ケヤキ 妻沼聖天山のケヤキ-01
    【02】大ケヤキ 妻沼聖天山のケヤキ-02
    【03】大ケヤキ 妻沼聖天山のケヤキ-03
    【04】大ケヤキ 妻沼聖天山のケヤキ-04
    【05】大ケヤキ 妻沼聖天山のケヤキ-05
    【06】大ケヤキ 妻沼聖天山のケヤキ-06
    【07】イチョウ・カヤ 妻沼聖天山のケヤキ-07
    【08】イチョウ・カヤ 妻沼聖天山のケヤキ-08
    【09】ヒイラギ 妻沼聖天山のケヤキ-09
    【10】夫婦の木 妻沼聖天山のケヤキ-10
    【11】夫婦の木 妻沼聖天山のケヤキ-11
    【12】鐘楼のカヤ 妻沼聖天山のケヤキ-12
    【13】ケヤキ並木 妻沼聖天山のケヤキ-13

    巨木の基本情報

    巨木の名前 妻沼聖天山のケヤキ (仮)
    樹種 ケヤキ (欅)
    幹周 4.50m [7]
    樹高 20.0m [7]
    推定樹齢 300年以上 [7]
    特徴 中腹から双幹
    保護指定 不明
    所在地 埼玉県熊谷市妻沼
    所在施設 妻沼聖天山歓喜院
    撮影日・状態 2023.10.03 : 大枝の欠損、根本の損傷などがあるが、背は高く樹冠は広い
    アクセス
    東北道:加須ICから約31km、羽生ICから約25km、館林ICから約21km
    関越道:東松山ICから約25km、花園ICから約22km
    電車 熊谷駅 (JR湘南新宿線・JR高崎線・秩父本線) から約11km
    バス 熊谷駅北口 → 妻沼聖天前、朝日バスの路線 (妻沼聖天前行・太田駅南口行)
    参考情報 ■現地解説板
     [1] 境内案内図       :内容は下記雑記 (第1章) の写真01を参照
     [2] 聖天山所蔵文化財    :内容は下記雑記 (第1章) の写真02を参照
     [3] 聖天山貴惣門      :内容は下記雑記 (第2章) の写真02を参照
     [4] 歓喜院聖天堂      :内容は下記雑記 (第3章) の写真02を参照
    ■外部ウェブサイト
     [5] 妻沼聖天山ホームページ :由緒、境内案内、本殿拝観の案内など参考
     [6] 熊谷デジタルミュージアム:貴惣門と聖天堂の詳しい情報あり
     [7] 巨樹巨木林データベース :当巨木の登録あり (2000年度の調査記録)
    ■少遠景の記録
     [8] 長昌寺のスダジイ    :熊谷市の妻沼地区、妻沼聖天山を開基した斎藤実盛の手植えとの伝承
     [9] 大野伊奈利神社のカヤ  :熊谷市の妻沼地区、近くの利根川河川敷に妻沼滑空場がある
     [10] 高城神社のケヤキ    :熊谷市の中央地区、熊谷郷の総鎮守、他にもケヤキとムクノキの巨木あり
     [11] 忍諏訪神社のスダジイ  :行田市、忍城跡に残る古社、代々の忍城主は妻沼聖天山を庇護したという

    巨木と雑記.妻沼聖天宮

     熊谷市の利根川に接した北部に位置する妻沼地区。 当地にある真言宗の名刹が日本三大聖天のひとつ、妻沼聖天山歓喜院 [5] です。開創は平安時代の治承3年 (1179)。 源平合戦で名を馳せた平家方の武将、斎藤実盛が当領地の総鎮守としたのが始まりとされます。 この大寺院は文化財の宝庫としても有名。 特に国指定重要文化財の豪壮な惣門と、 国宝の豪華絢爛な本殿の聖天堂はじつに壮観です。 また広い境内は豊かな緑にも包まれていて、ケヤキの大木が群生。 最大となるのは聖天堂の向かって左手前にそびえ立つもの。 樹容は中腹から双幹となり、連理している部分が神秘的です。
    (補足:他の日本三大聖天は奈良県の生駒聖天と東京の待乳山聖天)

    cm-妻沼聖天山-01 【01】境内案内図。現代も大伽藍が健在である。 聖天堂・拝殿の向かって左手前、相撲場の傍らに大ケヤキがある。 昔はすぐ近くを利根川が流れていたのかな。
    cm-妻沼聖天山-02 【02】所蔵文化財の解説板。聖天堂こと本殿は平成24年 (2012) 7月9日に国宝に指定された。


     妻沼聖天山歓喜院 [2][5] の由緒について。 平安時代の治承3年 (1179)、武蔵国の長井庄 (熊谷市) を本拠としていた武将、 斎藤別当実盛による開創。 戦死者供養と領内平和を祈願し、守り本尊の大聖歓喜天を祀る聖天宮としたそうです。 実盛亡き後は、外甥の宮道国平が領主となり、次男の実長が出家して良応僧都となる。 建久3年 (1192)、源頼朝が参詣。 このとき良応は頼朝から、聖天宮の修復と別当寺建立のため、諸国から喜捨を募る許可を得る。 建久8年 (1197)、良応は聖天宮の修復および、別当の歓喜院長楽寺の建立を果たす。 本尊は国平と実盛の孫の実幹が寄進。 歓喜院は十一面観音であり、聖天宮は大聖歓喜天の御正躰が配された錫杖頭。 秘仏であり国の重要文化財に指定されています。 中世には忍城 [10] 主の成田氏から庇護。 江戸初期には徳川家康により再興。 後述の貴惣門と本殿は江戸後期に再建されました。

    巨木と雑記.貴惣門と境内

     ここでは貴惣門・仁王門・拝殿 [3] [5] [6] を紹介。国指定重要文化財の貴惣門は嘉永4年 (1851) の建立。 大工棟梁は本殿聖天堂を任された林兵庫正清の孫である正道。 彫刻は本殿を任された上州花輪村 (群馬県桐生市黒保根町) の彫刻師たちによるもの。 材は総欅の豪壮かつ精緻な造り。 至るところに龍や獅子などの彫刻が施されています。 また下段の屋根の破風が二重になっているという、 あまり類をみない特徴もある。 寺社建築の門としては、県内最高傑作なのではないでしょうか。

     拝殿前に建つ仁王門 [5][6] と仁王像は 万治元年 (1658) の建立で、 門だけは明治27年 (1894) に再建されました。 拝殿は宝暦6年 (1756) の建立。 古建築ですが綺麗な外観なので、平成に行われた本殿の大修復工事に含まれたようにみえます。

    cm-妻沼聖天山-01 【01】正面から貴惣門。下段の屋根の破風が二重になっているのは横から見れば分かる。 その写真は撮り忘れてしまった…。
    【02】 cm-妻沼聖天山-02
    【03】 cm-妻沼聖天山-03
    【04】 cm-妻沼聖天山-04
    【05】 cm-妻沼聖天山-05
    【06】 cm-妻沼聖天山-06
    【07】 cm-妻沼聖天山-07
    【08】 cm-妻沼聖天山-08
    【09】 cm-妻沼聖天山-09

    巨木と雑記.本殿聖天堂

     埼玉の日光東照宮とも称される聖天堂。 豪華絢爛な彫刻と金細工に彩られ、目映く荘厳な神仏の世界を顕現せしめた極致の御堂。 享保20年 (1735) から宝暦10年 (1760) にかけて、 大工棟梁の林兵庫正清と子の正信が中心となり建立。 日光東照宮の修復を経験した職人たちにより、 当時最高の技術と芸術の粋が、狂おしいほどに注ぎ込まれた賜物。 平成15-22年 (2003-2010) にかけて大修復工事が行われ、 往時の輝きを取り戻す。 そして平成24年 (2012)、県内初となる建築の国宝に指定されました。

    cm-妻沼聖天山・聖天堂-01 【01】透塀前の向かって左側 (南) から。 妻沼聖天山歓喜院の本殿、聖天堂は拝殿・中殿・奥殿からなる造り。 拝観は手前で受付を済ませてから。
    【02】 cm-妻沼聖天山・聖天堂-02
    【03】 cm-妻沼聖天山・聖天堂-03
    【04】 cm-妻沼聖天山・聖天堂-04
    【05】 cm-妻沼聖天山・聖天堂-05
    【06】 cm-妻沼聖天山・聖天堂-06
    【07】 cm-妻沼聖天山・聖天堂-07
    【08】 cm-妻沼聖天山・聖天堂-08
    【09】 cm-妻沼聖天山・聖天堂-09
    【10】 cm-妻沼聖天山・聖天堂-10
    【11】 cm-妻沼聖天山・聖天堂-11
    【12】 cm-妻沼聖天山・聖天堂-12
    【13】 cm-妻沼聖天山-・聖天堂13