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前玉神社のイヌマキと埼玉古墳群
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 前玉神社のイヌマキ (仮) |
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樹種 | イヌマキ (犬槇) | |||
幹周 | 4.00m [2][6] | |||
樹高 | 20.0m [2][6] | |||
推定樹齢 | 600年 [2], 300年以上 [6] | |||
特徴 | 真っ直ぐな単幹、概ね円錐形の樹冠 | |||
保護指定 | 行田市指定天然記念物 | |||
所在地 | 埼玉県行田市埼玉 | |||
所在施設 | 前玉神社 | |||
撮影日・状態 | 2022.12.10 : 左右に駐車場入口とゴミ収集場がある、根本の保護範囲をもう少し広げて欲しい印象 | |||
アクセス | ||||
車 | 東北道:加須ICから約17km、羽生ICから約14km 圏央道:白岡菖蒲ICから約19km、桶川加納ICから約17km | |||
電車 | 秩父鉄道・行田市駅から約3km、JR行田駅 (高崎線・湘南新宿線) から約6km | |||
バス | 埼玉古墳公園前バス停、JR行田駅発の市内循環バスの終点 | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 解説板・浅間塚古墳 :内容は下記雑記の神社の写真04を参照 [2] 解説板・槇 :内容は下記雑記の神社の写真05を参照 [3] 案内図・古墳公園 :内容は下記雑記の古墳公園の冒頭の写真を参照 ■外部ウェブサイト [4] 前玉神社ホームページ :神社由緒について参考 [5] 県立さきたま史跡博物館:埼玉古墳群と発掘品 (展示品) の詳細はこちら [6] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録) [7] 今昔マップ :埼玉大学教育学部教授、谷謙二氏の新旧の地図を比較閲覧できるサイト ■少遠景の記録 [8] 忍諏訪神社のスダジイ :行田市、元は忍城内の鎮守、忍城の紹介を含む [9] 佐間天神社のケヤキ :行田市、忍城築城時に勧請された神社、隣接する水城公園の紹介も含む [10] 真名板薬師堂の公孫樹 :行田市、境内に6世紀後半の築造とされる前方後円墳あり(全長91m) |
巨木と雑記.前玉神社
行田市街地から新忍川と武蔵水路を挟んで東に位置する埼玉古墳群 [5] 。国指定特別史跡、県内最大となる円墳と前方後円墳を含む古墳群。 古代に武蔵国で最も栄えたであろう中心地域、県名発祥地でもあります。 この古墳群の南東端に位置するのが浅間塚古墳。 その墳丘上に前玉神社 [4] が鎮座しています。延喜式神明帳の「前玉神社二座」に比定される式内社。 社名の前玉 (さきたま) は県名となった埼玉の前身です。 御祭神は夫婦神である前玉彦命と前玉姫命の二柱で、 幸魂 (さいわいのみたま) 神社とも呼ばれています。 現在は夫婦円満、恋愛成就など、縁結びの神社としても親しまれている古社です。
前玉神社の御神木は、一之鳥居の右側に根差しているイヌマキ。 参拝者の目を引く風格ある佇まい。 行田市内で最長老の巨木とみられます。 根本の空洞には木曽御嶽神社の石碑が安置。 この老樹は御嶽山の信仰が盛んであった頃に、奉納植樹されたと伝わるそうです。 現在の御神木は儚げな印象。 県道77号線と広い駐車場に挟まれた中、ポツンと一本で立っている。 身勝手なことですが、もう少し根本を労わって欲しいと思いました。 県内最大級の素晴らしいイヌマキなのです。
巨木と雑記.さきたま古墳公園
国指定特別史跡の埼玉古墳群 [5] 。6世紀前半から7世紀末までに築造された大規模な古墳群。 古代における大和朝廷の東国の拠点が、当地域であったことを示しているようです。 現在、この古墳群は「さきたま古墳公園」として整備。 中心となる1基の円墳と8基の前方後円墳は、発掘調査後に復元保存。 すべて間近に見学でき、墳丘上に登れる丸墓山古墳と稲荷山古墳、 内部を見学できる将軍山古墳などがあります。 また園内にある埼玉県立さきたま史跡の博物館 [5] では、 古墳から出土した大量の埴輪や埋葬品を見学可能。 中には国宝の鉄剣もあります。 9基の古墳、博物館、前玉神社を巡り、 古代の歴史と息吹を遊んで学んで楽しんでください。 以下、各古墳の様子です。
以下、埼玉古墳群の中心となる4基の大型古墳です。 ・丸墓山古墳:県内最大の円墳、墳丘全長約105m、高さ約17m、登れる墳丘上は見晴らしが良い ・稲荷山古墳:埼玉古墳群で最古 (5世紀後半)、墳丘全長約120m、国宝の金錯銘鉄剣が出土 ・将軍山古墳:墳丘全長90m、後円部に見学施設 (石室の再現など)、埋葬品には立派な武具 ・二子山古墳:県内最大の前方後円墳、墳丘全長約132m、遠くから二つの小山に見える
以下、古墳群の概ね南側に位置する残りの5基です。 ・愛宕山古墳:墳丘全長約55m、駐車場に接している、昔は愛宕神社があった、石仏が残る ・瓦塚古墳 :墳丘全長約73m、様々な人型埴輪が出土、明治期に瓦職人の家が側にあった ・鉄砲山古墳:墳丘全長約108m、横穴式石室があった、江戸時代は忍藩の砲術訓練場とされた ・奥の山古墳:墳丘全長約66m、珍しい須恵器の子持壺や盾持人埴輪など出土 ・中の山古墳:墳丘全長約79m、築造年代6世紀末~7世紀初め、埼玉古墳群の中では特に新しい
古墳めぐりの前後、埼玉県立さきたま史跡の博物館 [5] をぜひ見学してください。 館内は撮影禁止なので写真はありませんが、 特に稲荷山古墳で出土した国宝の金錯銘鉄剣、将軍山古墳で出土した武具は必見。 他にも様々な人型の埴輪も展示されています。 なお、金錯銘鉄剣の銘文には、西暦471 (辛亥年)、オワケの臣 (乎獲居臣) の一族が杖刀人の職のトップとして、 ワカタケル (獲加多支鹵) 大王に仕えた、などを示す内容。 この大王は雄略天皇を指すという。日本古代史を紐解く一級資料です。
巨木と雑記.埼玉古墳群の今昔
今回、私が埼玉古墳群に訪れたは小学生のとき以来。 20数年ぶりの再訪では驚きました。 各古墳の上に生えていた木々が伐採され、キレイな裸山になっていたこと。 そして二子山古墳の周堀が少し埋められ、水を湛えていなくなったこと。 なんだか物足りない気持ち。 当時の景観が懐かしくなり、今昔マップ [7] にアクセスしてみました。 地図に現在と過去の、国土地理院の航空写真を表示させることもできるからです。 概ね1988~90年の航空写真が、当時の思い出に合致。 さらに昔の航空写真を表示させたとき、再び驚きました。 各古墳の周堀および、稲荷山古墳の前方部が田畑で埋まっていたからです。 以下、今昔マップから引用した当時の様子です。
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