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岡廼宮神社のケヤキ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 岡廼宮神社のケヤキ (仮) |
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樹種 | ケヤキ (欅) | |||
幹周 | 5.00m [2], 5.80m (実測) | |||
樹高 | 18.0m [2] | |||
推定樹齢 | 不明 | |||
特徴 | 真っ直ぐな単幹、根本の隆起 | |||
保護指定 | 不明 | |||
所在地 | 埼玉県深谷市岡 | |||
所在施設 | 岡廼宮神社 | |||
撮影日・状態 | 2022.08.11 : 樹勢良好、樹高は20m以上はあるように見える | |||
アクセス | ||||
車 | 東北道・羽生ICから約36㎞、加須ICから約40㎞ 関越道・花園ICから約14㎞、本庄児玉ICから約15㎞ (補足:境内入口に十分な駐車スペースなし、健常な人なら道の駅か公園から徒歩をおすすめ) | |||
電車 | 岡部駅 (高崎線・湘南新宿線) から約2㎞ | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 岡廼宮神社の由緒 :解説板、内容は下記雑記の写真01を参照 ■外部ウェブサイト [2] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (1988年度の調査記録) [3] ウィキペディア :徳川忠長について参考 ■少遠景の記録 [4] 普済寺のカヤの木 :深谷市内で近辺の巨木、山道に山門のように立ち並ぶ2本 |
巨木と雑記
深谷市の北西部に位置する岡地区。 近くの国道17号線沿いには「道の駅おかべ」などがあります。 当地の鎮守が岡廼宮 (おかのみや) 神社。 詳しい創建の由緒は分かりませんが、江戸時代の初期には既に存在していたとみえる。 鳥居のすぐ背後にそびえ立つ大ケヤキ。 巨樹巨木林DB [2] の登録情報では、幹周は約5mという。 あまり期待していなかったのですが、予想よりも太くて驚きました。 加えて広範囲に隆起した根元に迫力がある。 幹周を実測してみると6m近い太さがありました。 樹勢も良好で樹高は20m以上ありそう。 交通量の多い国道沿いでも、力強く雄々しく生きている。 道の駅に立ち寄る人は、ちょっと足を延ばして当地の鎮守に参拝してみてください。 素晴らしい御神木も出迎えてくれます。
おわりに神社由緒について [1]。 詳しい創建年代は不明。 古くは聖天社、または岡上神社と呼ばれた岡村の鎮守。 江戸初期、池田三郎左衛門貞長という武士により改築されたと伝わる。 大正10年 (1920) に周辺の神社を合祀し、岡廼宮神社と改称。 主祭神は伊弉諾命、伊邪那美命の二柱。 当社を再興した武士の池田貞長について。 貞長は徳川二代将軍・秀忠の次男、忠長 [3] の側近でした。後に貞長は何者かの讒言により役を解かれ、岡村で蟄居することに。 ちなみに徳川忠長は駿河・遠江など、徳川譜代の大領の藩主を任されていました。 しかし様々な問題行動を起こし、三代将軍である兄の家光との確執が深まる。 遂には改易となり、高崎藩主の安藤重長のもので逼塞の処分となります。 やがて忠長は切腹する前、無実の貞長を追放したことを悔やみ、 自分の菩提を弔うよう貞長に遺命を残したという。 これを受け貞長は全昌寺を建立し、岡廼宮神社も改築。 そして落成すると、神前にて主君の後を追い切腹したそうです。 大ケヤキは武士の生き様、貞長の最期を見ていたか。
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