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無量院の大ケヤキ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 無量院の大ケヤキ [2][3] |
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樹種 | ケヤキ (欅) | |||
幹周 | 6.40m [2][3], 6.10m [4] | |||
樹高 | 23.6m [2][3], 24.0m [4] | |||
推定樹齢 | 400~500年 [3] | |||
特徴 | 地上高6m付近から双幹となり広がる | |||
保護指定 | 下妻市指定天然記念物 | |||
所在地 | 茨城県下妻市皆葉 | |||
所在施設 | 薬樹山東漸寺無量院 | |||
撮影日・状態 | 2022.08.06 : 樹勢良好、東側の根本の土中にオオスズメバチの巣が発生、危険で幹周を実測できなかった | |||
アクセス | ||||
車 | 圏央道・坂東ICから約10㎞、常総ICから約11㎞ | |||
電車 | 常総線・下妻駅から約7km、宗道駅から約5㎞ | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 本堂落慶記念 :石碑、内容は下記雑記の写真02を参照 [2] 無量院の大ケヤキ :解説板、内容は下記雑記の写真06を参照 ■外部ウェブサイト [3] 下妻市ホームページ :当巨木の情報あり [4] 巨樹巨木林データベース :当巨木の登録あり (2007年度の調査記録、全国巨樹巨木林の会) [5] 国土地理院地図 :電子国土web (GSI-Maps) の治水地形分類図を参照 ■少遠景の記録 [6] 宗道神社のスダジイ :下妻市の南部、旧宗道村の中心地、かつて鬼怒川の河岸があった [7] 二本紀宗任神社のイチョウ:下妻市の南部、旧宗道村の総鎮守である宗任神社の分社 [8] 下妻神社の大欅 :下妻市の市街地、下妻城下の鎮守、市内最大の巨木 |
巨木と雑記
下妻市の南東端に位置する皆葉地区。 当地の鬼怒川右岸に接した古刹が無量院です。 堤防に面した表参道入口には、立派な大ケヤキがそびえ立つ。 市内では下妻神社のケヤキ [8] に次ぐ巨木とみえます。 樹勢良好、健全な太い幹と広大な樹冠。じつに気持ちの良い立姿。 特に東側から見仰ぐ樹容が素晴らしいものでした。 双幹に分かれて立ち昇っていく姿が際立って見えます。 無量院の由緒 [1] について。 創建は飛鳥時代の白鳳14年 (685)、行基菩薩の開山と伝わる。 ご本尊は行基作とされる薬師如来像。 また平安時代の高僧、恵心僧都の作とされる阿弥陀如来像も祀られているそうです。 かなりの悠遠な歴史を持つ寺院。 往時は大伽藍を有していたようですが、正徳5年 (1715) の火災により焼失。 また明治19年 (1886) にも重ねて罹災。 仮の本堂を建てて凌いだ時期があったようです。 現在の堂宇は、昭和57年 (1982) から3年かけて再建されたもの。 1300余年前に始まった無量院の法灯は、今世でも輝き続けています。
おわりに無量院の歴史で気になったこと。 昔、当地には鬼怒川の渡し場があったということ。大ケヤキの解説板 [1] にそのことが記載 (以下の画像06)。 対岸の船着場は鹿島神社の辺りで、昭和初期まで運航されていたそう。 無量院は交通の要所に建てられていたのです。 鬼怒川の水運が発達した江戸時代には、 船荷の集散地としても賑わっていたかもしれません。 そんなことだから、門前の段丘上に立つ大ケヤキは目立ったことでしょう。 船頭と旅人たちを見守ってきた大ケヤキ。 今は高い盛土の堤体が築かれ、船着場があったような痕跡は見られない。 昔はどのような場所だったのか。もう少し続きます。
無量院周辺の地形を、国土地理院地図の治水地形分類図で調べてみました。 以下画像07を見てくだい。 まず驚いたのが鬼怒川の旧流路 (青線の入った流路)。 今のように真っ直ぐではなく、無量院から上流は東に大きく蛇行。 無量院のある段丘にぶつかってから真っ直ぐ南へ流下していった。 次に注目したのが無量院からすぐ南、西へ伸びた浅い谷状の低地。 以下画像08を見てください。赤枠で囲った部分です。 高い堤防が築かれる以前は、鬼怒川の水が流入していたであろう地形。 解説板 [2] にも昔は入江があったと記載。 ここは船着場を作るには都合のよい地形だったのです。 そして大ケヤキは岬の上にたつ灯台のように見えていた。
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