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    二本紀宗任神社のイチョウ

    巨木の写真

    撮影日:2024.07.31 【01】参道にそびえ立つイチョウ、かつては奥にケヤキの巨木も在った 二本紀宗任神社のイチョウ-01
    【02】 二本紀宗任神社のイチョウ-02
    【03】 二本紀宗任神社のイチョウ-03
    【04】 二本紀宗任神社のイチョウ-04
    【05】 二本紀宗任神社のイチョウ-05

    巨木の基本情報

    巨木の名前 二本紀宗任神社のイチョウ (仮)
    樹種 イチョウ (公孫樹)
    幹周 4.30m [3], 4.40m (実測)
    樹高 30.0m [3]
    推定樹齢 300年以上 [3]
    特徴 単幹、棒状の樹冠
    保護指定 不明
    所在地 茨城県下妻市二本紀
    所在施設 二本紀宗任神社
    撮影日・状態 2024.07.31 : 頭頂部欠損、樹高は20m以下だろう、樹勢は良さそう
    アクセス
    圏央道・境古河ICから約19km、常磐道・谷和原ICから約26km
    電車 関鉄常総線・下妻駅から約3km、宗道駅から約3km
    参考情報 ■現地資料
     [1] 神社由緒の石碑    :内容は下記雑記の写真01を参照
    ■外部ウェブサイト
     [2] 宗任神社ホームページ :旧宗道村、豊田33郷・幸嶋12郷の総鎮守
     [3] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2007年度の追加調査記録)
    ■少遠景の記録
     [4] 宗道神社のスダジイ  :下妻市の南部、旧宗道村の中心地、鬼怒川の河岸があったところ
     [5] 無量院のケヤキ    :下妻市の南部、市内最大級のケヤキ

    巨木と雑記

     下妻市街地から南西に位置する地区の二本紀。 巨樹巨木林DB [3] には、 当地にあるという幹周6mのケヤキが登録されている (ID-9200)。 当地の宗任神社に目星を付け、期待して訪れてみると、 既に伐採されていたことが分かりました。 社殿右側に切り株。 残念でしたが、育ってきた一本のヒコバエが尊く映り、 参道入口には立派なイチョウがそびえ立つ。 また、社殿背後の薬師堂にて、古い如意輪観音を見つける (元禄6年-1693)。 参拝できて良かった。

    cm-二本紀宗任神社-01 【01】神威照徹と題打つ神社由緒の石碑。
    cm-二本紀宗任神社-02 【02】社殿右側、大ケヤキの切り株から一本のヒコバエが育っている。
    cm-二本紀宗任神社-03 【03】社殿背後の薬師堂前、古い年代の如意輪観音 (元禄6年-1693)。


     おわりに二本紀宗任神社の由緒について。 現地の石碑 [1] に刻まれている由緒は、どうやら本社の宗任神社 [2] らしい。 場所は当地から東南、現在の宗道地区の中央あたり (地図リンク) 。祭神は平安時代後期の武将、陸奥国の鳥海柵の主であった安倍宗任。 次に兄の厨川柵主であった安倍貞任の二柱。 前九年の役 (1051~61) で源頼義が率いる官軍に敗れ、 宗任は投降した後に、伊予・越前・肥前へと配流。 一方で貞任は抗戦を続けて討死を遂げた。 何故、遠国の二人の武将が、当地で神様になったのか。

     宗任神社 (本社) の伝承によると、天仁元年 (1108) のとき。 安倍氏の臣である松本七郎秀則の夢枕に、 同年に亡くなった主君の宗任が顕れて託宣。 内容は宗任愛用の甲冑や遺物を奉じ、家臣と共に南へ向かえと。 翌年、七郎秀則は託宣に従い、長旅のすえ当地に辿り着いたとき。 再び宗任が夢枕に顕れ、ここが鎮座地であり、地名を宗道と改めよ告げる。 天の道・人の道を行くを宗とする意であり、地は栄えるだろうと。 こうして宗任神社が創建され、 鎌倉時代には、豊田33郷・幸嶋12郷の総社となる。 豪族の小田氏・豊田氏からも厚く信仰。 江戸時代、三代将軍家光公より代々、朱印地5石を授与。 寛永年間 (1624~ 43) に家光公より社殿を寄進。 宗任神社は当地域を代表する大社でした。