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柿岡諏訪神社のムクノキ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 柿岡諏訪神社のムクノキ (仮) |
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樹種 | ムクノキ (椋) | |||
幹周 | 5.50m [1][4] | |||
樹高 | 16.5m [1],20.0m [4] | |||
推定樹齢 | 不明 | |||
特徴 | 単幹、長い横枝、台地突端の立地 | |||
保護指定 | 石岡市指定天然記念物 | |||
所在地 | 茨城県石岡市柿岡 | |||
所在施設 | 諏訪神社 | |||
撮影日・状態 | 2022.11.05 : 根本に空洞、上部大枝の欠損、全体的に樹勢は良さそうに見えた | |||
アクセス | ||||
車 | 関越道・千代田石岡ICから約13㎞、北関東道・笠間西ICから約13㎞ | |||
電車 | JR常磐線・石岡駅から約11㎞、JR水戸線・福原駅から約14㎞ | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 諏訪神社のエノキ :解説板、内容は上記巨木の写真08を参照 [2] 館の獅子舞 :解説板、内容は下記雑記の写真01を参照 ■外部ウェブサイト [3] 石岡市ホームページ :柿岡城の情報を参考 [4] 巨樹巨木林データベース :当巨木の登録あり (2000年度の調査記録) ■少遠景の記録 [5] 佐久の大杉 :石岡市、県内最古級の老大樹 [6] 柿岡八坂神社の夫婦ケヤキ:石岡市、夫婦ケヤキと呼ばれる二柱の御神木 [7] 吉生香取神社のムクノキ :石岡市、この木も現地解説板では樹種「エノキ」とされている |
巨木と雑記.風光明媚な場所に佇むムクノキ
八坂神社の祇園祭で有名な石岡市の柿岡地区 (旧柿岡町)。 夫婦ケヤキ [6] のある八坂神社に近い巨木スポットが、 南に約500mほどに位置する諏訪神社 [1][2][3] 。室町時代の創建と伝わる古社で、見晴らしの良い段丘の突端に鎮座。 西に位置する柿岡城 (現・市立柿岡小学校) の見張り台も兼ねていたとされる場所です。 社殿の傍らに根差す御神木のムクノキ。 小倉川沿いに広がる田園地帯を背に、風格ある太い幹を立ち昇らせている。 周囲の素晴らしい景観を含めて、とてもフォトジェニックな巨木です。 この御神木の樹種について。 現地解説板 [1] と石岡市ホームページ上 [3] では、樹種は「エノキ」となっています。 しかし実際の樹種はムクノキ。 まず、木肌の質感から違和感を覚えました。 決定的なのが上記写真08に写っている葉と実です。 葉の縁の全体に鋸歯があり、側脈は葉の縁に達している。 熟した実は黒くシワシワになる。この特徴はムクノキに当てはまる。 エノキではありません。
巨木と雑記.柿岡諏訪神社の由緒
柿岡城の東の鎮守でもあった諏訪神社 [1][2][3] について。 社伝によると創建は文明年間 (1469-1487)。 歴史は柿岡城のほうが古い。 建久3年 (1192) 頃、鎌倉幕府の有力御家人である八田知家の子、 時家により築城されたのが始まりとされる。 以後、時家一族は柿岡氏を称し、約300年にわたり当地を支配。 諏訪神社は柿岡氏による創建でしょう。 戦国時代の後期、当地は佐竹氏の支配下となる。 その家臣たちが柿岡城主を次々と務めたそうです (梶原政景、真壁房幹、長倉義興、国分盛重)。 江戸初期には将軍徳川家光の乳母である春日局の子、稲葉正勝の所領となり柿岡藩庁が置かれる。 すぐ後で正勝は真岡藩主、小田原藩主に転じ、柿岡藩は廃され真岡藩領となった。 戦国時代から江戸初期にかけて、 城や藩庁の東の鎮護として諏訪神社も大切にされたのでしょう。 江戸後期には柿岡の町人たちからも信仰されていた。 宝暦3年 (1753) に社殿再建の記録があるそうです。 現在も続く八坂神社の祇園祭、その神輿の露払いとして、 諏訪神社の獅子舞が先行して町内を練り歩く。 獅子舞の起源は不明ながら、獅子頭を収める古い箱には 「文政9年丙歳 (1826) 館本町若者」 とう銘があるそうです。獅子舞の詳細は以下写真。
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