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浄泉寺大銀杏
巨木の写真





巨木の基本情報
巨木の名前 | 浄泉寺大銀杏 [1][2] |
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樹種 | イチョウ (公孫樹) | |||
幹周 | 5.20m [1][2], 4.80m [3] | |||
樹高 | 25.0m [1][2][3] | |||
推定樹齢 | 400年 [1][2] | |||
特徴 | 単幹、気根、棒状の樹冠 | |||
保護指定 | 高崎市指定天然記念物 | |||
所在地 | 群馬県高崎市新町 | |||
所在施設 | 浄泉寺 (五劫山浄泉寺) | |||
撮影日・状態 | 2025.08.30 : 街中ゆえ剪定されスリムな姿になっている、樹勢は良さそう | |||
アクセス | ||||
車 | 関越道・上里スマートICから約4km、上信越道・藤岡ICから約6km | |||
電車 | JR新町駅 (高崎線・湘南新宿線) から約1km | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 浄泉寺大銀杏 :解説板、内容は下記雑記の写真02を参照 ■外部ウェブサイト [2] 高崎市ホームページ :コメント [3] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (1988年度の調査記録) [4] 国立国会図書館 :デジタルコレクションにて群馬県多野郡誌の新町、浄泉寺を参考 ■少遠景の記録 [5] 専福寺のカヤ :高崎市新町、新町宿の中心的な寺院であった [6] 新町諏訪神社のケヤキ :高崎市新町、新町宿の総鎮守、本殿の彫刻が見事 [7] 水宮神社の大ケヤキ :藤岡市、近くの岡之郷の地区、群馬県最大級のケヤキ |
巨木と雑記
高崎市の東端に位置する地区の新町。 神流川と烏川の合流点であり、江戸時代には中山道の新町宿が置かれていたところ。 現在は陸上自衛隊の駐屯地も置かれています。 高崎市にとっては飛地であり、もとは隣接する藤岡市域と同じく多野郡に属していました。 当地にある古刹が、開創は天正年間の頃 (後述) と伝わる古刹の浄泉寺。 境内に根差す大イチョウは、新町で最大となるシンボル的な巨木。 傍らに建つ立派な鐘楼と重なる姿も凛々しく映ります。


浄泉寺の由緒について。 国立国会図書館デジタルコレクション [4] で閲覧できる群馬県多野郡誌に、少し記録がありました。 昭和2年 (1927) に群馬県多野郡教育委員会が編纂・発行した地誌です。 記載があるのは475ページ目。 検索キーとなる永続的識別子とコマ番号は「1188011 / 268」です。 それによると、五劫山と号し、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院。 天正2年 (1574)、北条阿波守増信に勧請された、 浄心房深誉林應上人による開山とされます。 その後、間もなく天正10年 (1582)、兵火により焼失。 時期的に織田信長と連合軍 (徳川家康・北条氏政など) による、 武田氏を滅ぼした甲州征伐の渦中とみえます。 時代は下って宝暦2年 (1752)、現在地に再建。 そして明和7年 (1770) に鐘楼を建立。 大イチョウの傍らに建つ鐘楼は、現存する見事な古建築です。
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