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    雲昌寺の大ケヤキ

    巨木の写真

    撮影日 2017.05.05 【01】8年ぶりの再訪.ヒコバエが少し成長したかな? 雲昌寺の大ケヤキ01
    【02】道路側 雲昌寺の大ケヤキ02
    【03】道路側 雲昌寺の大ケヤキ03
    【04】境内側 雲昌寺の大ケヤキ04
    【05】境内側 雲昌寺の大ケヤキ05
    【06】境内側 雲昌寺の大ケヤキ06
    【07】道路側 雲昌寺の大ケヤキ07
    【08】道路側 雲昌寺の大ケヤキ08
    【09】解説板 雲昌寺の大ケヤキ09
    撮影日 2009.05.01 【01】集落を焼いた大火の傷跡が残るという大ケヤキ 雲昌寺の大ケヤキ01
    【02】道路側 雲昌寺の大ケヤキ02
    【03】境内側 雲昌寺の大ケヤキ03
    【04】境内側 雲昌寺の大ケヤキ04
    【05】道路側 雲昌寺の大ケヤキ05

    巨木の詳細情報

    巨木の名前 雲昌寺の大ケヤキ[1]
    樹種 ケヤキ(欅)
    幹周 8.4m [1][2]
    樹高 18m [1][2]
    推定樹齢 700年[1]
    特徴 大きな根周りと空洞
    保護指定 群馬県指定天然記念物
    所在地 群馬県利根郡昭和村川額
    所在施設 雲昌寺
    撮影日・状態 2017.05.05 : 8年前と大きな変化はない様子、6月頃にはもっと葉が茂ることだろう
    2009.05.01 : 主幹は上部の欠損と大きく空洞化、大きな枝は少なく小枝が多い
    アクセス
    昭和IC(関越自動車道):約3.2km(駐車場はないので路肩駐車)
    電車 岩本駅(上越線)    :約1.5km
    参考情報 ■現地資料
    [1]解説板・雲昌寺の大ケヤキ:幹周・樹高・枝張・樹齢の他、寺とケヤキの由緒など記載
    ■Web
    [2]巨樹巨木林データベース :2000年度の調査記録

    巨木と雑記.雲昌寺

     赤城山の西山麓、関越道と利根川に挟まれた河岸段丘の土地に雲昌寺はあります。 川額という土地の名も、そんな地形に由来していそう。 解説板[1]から雲昌寺について。 江戸初期の慶長(1596~1615)の頃、現在地に近い西原という地に在った。 寛文2年(1662)、覚心宗甫大和尚により中興、伽藍の整備がされた。 このとき境内に立つ大ケヤキは樹齢400年ごろ。 弘化4年(1847)2月29日、集落を大火が襲う。 54軒ほど焼き払い、寺を越えて東北側の入沢集落の11軒も更に焼いたという。 この大火の傷跡は、大ケヤキに空洞となり残っている。

    巨木と雑記.大ケヤキの感想

     境内の南端に立つ大ケヤキ。 損傷が大きな箇所、外皮が大きく欠損し、大きな空洞の開口部があるのも南側。 過去の大火[1]では南風が強い日だったとの記録。大ケヤキは焼けても寺は無事であったという。 故に大火から盾となり寺を守ったとされる、火伏せの大ケヤキ。 境内側の西側には、多くの外皮が残っている状態。 大きく隆起した円錐状の根元。 解説板にある約20メートル近くあるという、迫力ある巨樹の貫禄が残されています。

     何か不思議な魅力を感じる大ケヤキ。 その立姿は、大火や周辺環境の大きな変化に耐え、懸命にその生を全うしてきた荘厳なもの。 初めて訪れたときは、母を同伴していました。 母が群馬県で特別に気に入っていた巨木は、この大ケヤキと 「薄根の大クワ」。 難病を抱えていた母は、大ケヤキに自身と重ねるものを感じ、そして勇気づけられたと。 私にとって思い入れの強い巨木のひとつです。