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川田神社の大ケヤキ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 川田神社の大ケヤキ [1][2][3][4] |
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樹種 | ケヤキ (欅) | |||
幹周 | 9.28m [1][2], 8.80m [3], 9.60m [4] | |||
樹高 | 12.53m [1][2], 14.0m [3], 18.0m [4] | |||
推定樹齢 | 500年 [1][3] | |||
特徴 | 中腹から東西方向への双枝 | |||
保護指定 | 群馬県指定天然記念物 | |||
所在地 | 群馬県沼田市下川田町字内宿 | |||
所在施設 | 川田神社 | |||
撮影日・状態 | 2024.04.27 : 上部欠損、空洞、主幹の表皮は半分以上が失われている、東西に伸びた2本の枝で生き繋ぐ | |||
アクセス | ||||
車 | 関越道・沼田ICから約6km | |||
電車 | JR上越線・沼田駅から約3km | |||
参考情報 | ■現地解説板 [1] 川田神社の大ケヤキ :内容は下記雑記の写真01を参照 ■外部ウェブサイト [2] 沼田市ホームページ :当巨木の情報あ、川田城跡についても参考 [3] 群馬県緑化推進委員会 :サイト内で群馬県内の巨木も紹介している [4] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録) ■少遠景の記録 [5] 沼田城址の御殿桜 :市街地中心部、沼田城址の西櫓跡に残るエドヒガン [6] 沼田須賀神社の大ケヤキ:市街地中心部、沼田の祇園祭をつかさどる鎮守、県内最大級のケヤキ [7] 篠尾神社のケヤキ :近辺、石祠が並ぶ根本、表情のある幹など個性ある |
巨木と雑記.川田神社と大ケヤキ
沼田市街地から利根川を挟んで西側、下川田町の内宿。 ここは旧川田村の中心地。 戦国時代には、沼田氏分家の川田氏の築城に発する、川田城 [2] があったところです。 城の西に守護神として勧請されたのが川田神社。 境内入口には、市内で最も太い巨木、御神木の大ケヤキがそびえ立っています。 最盛期には、県内ケヤキの筆頭たる威容を示していたかもしれない。 今は全身の半分以上を失い、葉を茂らせる大枝は2本のみ。 樹皮の剥離部位に塗られた防腐剤、それが黒くて広範囲なので異様に映る。 それでも流石の巨体には迫力があります。 また、黒面や空洞を前にして樹冠を仰げば、無限の生存闘争の極みを生きているような、 神々しさが感じられる。 ずいぶん前からこの姿らしく、大枝を守っていれば大丈夫なのかも。 気長に不定根を育てるような治療をしたら、樹勢が盛り返しそうにも思えました。
川田神社の由緒 [2][3] について。ときは戦国時代。 沼田氏の第6代当主である沼田景久の4男、 景信が分家して当地を領し、川田氏を名乗る。 そして川田城を築城し、西に守護神として川田神社を勧請したとの伝承。 詳しい年代は不詳ながら、 明応年間 (1492-1501) あたりが近いように思える。 根拠はこの年代に、景久の次男 (景秋) と3男 (景冬) が入る、 小川城と名胡桃城が築かれたからです。 なお、川田神社は一説によると、 上野国神名帳に記録された利根郡二十一社の一座、 小用 (こもちい) 明神に比定する見方があるらしい。 実際には、みなかみ町にある子持神社 (地図リンク) の比定のほうが妥当に思える。 その子持神社から勧請した後継社であり、 元の社号は子持や児持だった可能性がありそうです。 戦国末期、北関東の要衝である沼田を手中にすべく、 武田氏・上杉氏・後北条氏たちが争奪戦を繰り広げる。 天正7年 (1579) に北条氏が侵攻し、 翌年に武田氏旗下の真田昌幸が、遂に本拠沼田城 [5] を攻略。この合戦の最中、沼田氏と川田氏は滅亡した。 その後、真田氏が守る沼田を、北条氏が侵攻し続ける。 天正13年 (1585) の侵攻では、川田城下も激しい戦場となり、川田神社は焼失。 天正18年 (1590) から江戸初期にかけて、沼田は真田氏にの領地となる。 この時期、神社を真田氏が再興したかもしれません。 慶長20年 (1615) 以後は、一国一城令のため川田城は廃城となる。 現在の社殿は享保4年 (1719)、沼田藩主が本多永正の時代に再建されました。
巨木と雑記.川田城址
おわりに川田城址の位置と範囲について。 城址の現地解説板 (写真なし) と沼田市ホームページ [2] の情報、国土地理院地図の陰影起伏図などにより、大凡が分かります。 コミュニティセンターから北は遷流寺、東は薬師堂にまたがる範囲。 本丸は東西約100m、最大幅約75mの5角形を成し、 周囲に濠をめぐらしていたという。 地形は広い段丘の谷間にある台地で、高低差の大きな崖に接していない。 あまり堅牢な感じがしないが、生活はしやすそう。 沼田城の西を守る、砦にして館といった観です。
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