巨木TOP / 群馬 / 高鳥天満宮のイチョウとムクノキ
高鳥天満宮のイチョウとムクノキ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木名 | 高鳥天満宮のイチョウとムクノキ (仮) |
|
||
---|---|---|---|---|
幹周 | イチョウ:3.50m (実測) ムクノキ:3.46m (実測) | |||
樹高 | イチョウ:不明 (20m前後) ムクノキ:不明 (20m前後) | |||
樹齢 | 不明 | |||
保護 | 不明 | |||
所在 | 群馬県邑楽郡板倉町大高嶋 | |||
施設 | 高鳥天満宮 | |||
状態 | 2024.03.16 : 2本とも目立つ損傷なく樹勢良し | |||
交通 | ||||
車 | 東北道・館林ICから約6km | |||
電車 | 東武日光線・板倉東洋大前駅から約6km、館林駅(JR両毛・東武伊勢崎・東武佐野・東武小泉)から約11km | |||
参考情報 | ■現地解説板 [1] 高鳥天満宮社殿 :内容は下記雑記の写真03を参照 ■外部ウェブサイト [2] 高鳥天満宮ホームページ :神社由緒、社殿など参考 [3] 雷電神社ホームページ :板倉町の中央部、板倉地区、関東に多い雷電神社の総社 [4] 巨樹巨木林データベース :当巨木は未登録 (2024年3月時点) ■少遠景の記録 [5] 頼母子薬師堂のシダレザクラ:板倉町の東部、海老瀬地区、町内を代表する美しい桜 [6] 旧板倉東小学校跡のカヤ :上記の頼母子薬師堂に隣接、町内最古の木かも [7] 籾谷薬師堂のカヤとイチョウ:板倉町の西部、籾谷地区、門前にそびえ立つ2本 [8] 十二所神社のエノキ :板倉町の南東端、下五箇地区、昔はムクノキの巨木も在った |
巨木と雑記.高鳥天満宮
板倉町の南部、利根川と谷田川に囲まれた地域の大高嶋。 当地に座す鎌倉時代の創建となる古社が高鳥天満宮 [1] [2] 。板倉町では雷電神社 [3] の総社に次ぐ、格式高い神社として信仰されてきたそうです。 現在の社殿は嘉永元年 (1848) に再建されたもの。 向拝の精巧で鮮やかな彫刻が目を引きます。 社殿の背後には、イチョウとムクノキの大木がそびえ立つ。 境内最奥には「心」の形をした心字池の配されたお庭。 また境内北側に接して、大きな天神池を中心とした公園もある。 地域の方々の憩いの場にもなっている鎮守の杜です。
高鳥天満宮の由緒について [2] 。発端は平安時代の昌泰4年 (901)。 高名な官吏で右大臣を務めていた菅原道真公は、 突如として謂れなき罪にて、九州大宰府へ左遷される。 これは左大臣の藤原時平による謀略。 道真公は死後に神格化され、京都北野天満宮で祀られ、 やがて各地で天神様、学問の神様として信仰されるようになります。 さて、道真公が大宰府へ向かうとき。 忠臣の岩下勝之丞を苦境への随行から外し、自筆の自画像を与えた。 勝之丞は故郷の出羽に戻り、道真公の画像を守り家を存続。 時代は下って文暦元年 (1234)。 子孫の岩下勝之進が、家宝の道真公画像を携え、京都北野天満宮へ参詣。 その途中で当地に寄宿したとき、夢枕に道真公が立つ。 鳥が高く飛んで止まない当地に祀れ、との意思を告げられたという。 こうして勝之進は神社を建立し画像を祀った。 これが創祀の由緒として伝わるそうです。 御神体が道真公自筆の自画像!
巨木と雑記.天神池公園
高鳥天満宮の北側にある天神池公園を散策してみました。 中々に気持ちの良いところです。 公園駐車場が天満宮の裏参道入口と近い。 池の北岸に設けられた歩道では、尻尾の民 (猫) たちとの出会いや、 アカメヤナギの大木を見つけたりしました。
群馬TOP | △TOP | 前へ戻る |