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頼母子薬師堂のシダレザクラ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 頼母子薬師堂のシダレザクラ [3] |
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樹種 | エドヒガン (江戸彼岸) | |||
幹周 | 2.50m [2][3] | |||
樹高 | 16.0m [2][3] | |||
推定樹齢 | 200年 [2], 250年 [3] | |||
特徴 | 単幹、笠状の樹冠 | |||
保護指定 | 板倉町指定天然記念物 | |||
所在地 | 群馬県邑楽郡板倉町海老瀬頼母子 | |||
所在施設 | 頼母子薬師堂 | |||
撮影日・状態 | 2024.03.31 : 開花状況は7~8分咲き、樹容に目立つ変化なし、周囲の椿が咲いていない 2023.03.24 : 開花状況は満開、目立つ損傷なく樹勢良好、根本周囲はロープ柵で保護 | |||
アクセス | ||||
車 | 東北自動車道・館林ICから約8km | |||
電車 | 東武日光線・板倉東洋大前駅から約500m | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 頼母子薬師堂の解説板 :内容は下記雑記の写真01-02を参照 [2] シダレザクラの解説板 :内容は上記巨木の写真09を参照 ■外部ウェブサイト [3] 板倉町ホームページ :当桜と頼母子薬師堂の情報あり、雷電神社の情報も参考 [4] 巨樹巨木林データベース :当巨木は未登録 (2023年3月時点) [5] 国土地理院 :河川の旧流路も分かる治水地形分類図を参照 [6] 今昔マップ :埼玉大学教育学部教授、谷謙二氏の新旧の地図を比較閲覧できるサイト ■少遠景の記録 [7] 旧板倉東小学校跡のカヤ :当地である頼母子薬師堂に隣接、町内最古の木かも [8] 高鳥天満宮のイチョウとムク:板倉町の南部、大高嶋地区、雷電神社に次ぐ町の鎮守 [9] 籾谷薬師堂のカヤとイチョウ:板倉町の西部、籾谷地区、門前にそびえ立つ2本 [10] 十二所神社のエノキ :板倉町の南東端、下五箇地区、昔はムクノキの巨木も在った [11] 渡良瀬遊水地の散策 :第1調節池谷中湖の西、三県境のある地点 (J04) について |
巨木と雑記.お薬師様の美しい桜
群馬県の南東端に位置する板倉町 [3] 。三方を渡良瀬川・渡良瀬遊水地・利根川に囲まれた、田園の広がる水郷です。 有名な神社では、関東一円に点在する雷電神社の総社 (地図リンク) が鎮座。珍らしいスポットとしては、 海老瀬の地区にある田園の中に、群馬・栃木・埼玉の三県境が重なるところ [11] 。河川や山地ではなく、平地で複数の県境が重なるところは、全国的にも珍しいそうです。 そしてこの海老瀬はシダレザクラの巨木もある。 板倉東洋大前駅から西、頼母子薬師堂の境内に根差しています。 柔らかな曲線を描いて立ち昇る端正な幹。 広がる美しい花笠は、一端が地面にまで届く。 じつに艶やかであり清楚な印象も受ける立姿。 加えて周囲の景観にも優れ、竹林とヤブツバキが背景となり、 樹下に並ぶ古い石塔が厳か。 県南のシダレザクラを代表するような素晴らしい一本です。
頼母子薬師堂の由緒 [1][3] について。伝承によると始まりは、 日光開山した勝道上人が、諸国行脚の際に結んだ草庵とされる。 後の弘仁年間 (810-824) の頃。 東国巡錫の弘法大師が当地に至り、手彫りの薬師如来像を草庵に安置し、鰕 (えび) 瀬山西光院と称した。 永治元年 (1141) には、輝光という僧が再興したと伝わるそうです。 薬師堂の建つ地域の小字名は頼母子。 相互扶助のため、金銭や穀物などを融通した頼母子講 (無尽講とも) が由来でありそう。 ここは旧海老瀬村の中心部であり、村役場や小学校 [7] もあったところ。古くから薬師堂は村の信仰の中心でもあったことでしょう。 現在は美しいシダレザクラも手伝って、町外や県外からの参拝者も増えています。 (補足:昭和30年に海老瀬村・西谷田村・大箇野村・伊奈良村が合併して板倉町となる)
巨木と雑記.頼母子は大河に囲まれた島
海老瀬地区の地形、特に薬師堂の建つ頼母子の周辺が気になりました。 周囲に大きな河川のない平地でも起伏に富み、 薬師堂の周囲は段丘の突端のようになっている。 これはかつて渡良瀬川の旧流路に接し、土砂の堆積および浸食されたのか。 昔の河川の流路もわかる、国土地理院の治水地形分類図 [5] および、今昔マップ [6] を見て驚きました。 かつて三方を渡良瀬川と利根川に囲まれ、加えて合流点にも接していたのです。
上記の治水地形分類図と今昔マップから、頼母子の段丘が河川と低湿地に囲まれた、 まさしく島のようなところだったことが分かります。 段丘は旧渡良瀬川により、北側が分断された後に横を流下。 南側で谷田川と利根川分流である旧合の川と合流していました。 三河川により浸食された段丘の突端。 かつて東側には広大な板倉沼も存在。 洪水が発生すれば、大海に浮かぶ島のようになったことでしょう。 村人を守ってきた命の丘と薬師堂。
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