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    頼母子薬師堂のシダレザクラ

    巨木の写真

    撮影日:2024.03.31 【01】再訪、去年より開花は一週間ほど遅い、約7~8分咲き 頼母子薬師堂のシダレザクラ-01
    【02】 頼母子薬師堂のシダレザクラ-02
    【03】 頼母子薬師堂のシダレザクラ-03
    【04】 頼母子薬師堂のシダレザクラ-04
    【05】 頼母子薬師堂のシダレザクラ-05
    【06】 頼母子薬師堂のシダレザクラ-06
    【07】 頼母子薬師堂のシダレザクラ-07
    【08】 頼母子薬師堂のシダレザクラ-08
    【09】 頼母子薬師堂のシダレザクラ-09
    撮影日:2023.03.24 【01】旧海老瀬村の信仰の中心であったお薬師様の桜 頼母子薬師堂のシダレザクラ-01
    【02】 頼母子薬師堂のシダレザクラ-02
    【03】 頼母子薬師堂のシダレザクラ-03
    【04】 頼母子薬師堂のシダレザクラ-04
    【05】 頼母子薬師堂のシダレザクラ-05
    【06】 頼母子薬師堂のシダレザクラ-06
    【07】 頼母子薬師堂のシダレザクラ-07
    【08】 頼母子薬師堂のシダレザクラ-08
    【09】 頼母子薬師堂のシダレザクラ-09

    巨木の基本情報

    巨木の名前 頼母子薬師堂のシダレザクラ [3]
    樹種 エドヒガン (江戸彼岸)
    幹周 2.50m [2][3]
    樹高 16.0m [2][3]
    推定樹齢 200年 [2], 250年 [3]
    特徴 単幹、笠状の樹冠
    保護指定 板倉町指定天然記念物
    所在地 群馬県邑楽郡板倉町海老瀬頼母子
    所在施設 頼母子薬師堂
    撮影日・状態 2024.03.31 : 開花状況は7~8分咲き、樹容に目立つ変化なし、周囲の椿が咲いていない
    2023.03.24 : 開花状況は満開、目立つ損傷なく樹勢良好、根本周囲はロープ柵で保護
    アクセス
    東北自動車道・館林ICから約8km
    電車 東武日光線・板倉東洋大前駅から約500m
    参考情報 ■現地資料
     [1] 頼母子薬師堂の解説板 :内容は下記雑記の写真01-02を参照
     [2] シダレザクラの解説板 :内容は上記巨木の写真09を参照
    ■外部ウェブサイト
     [3] 板倉町ホームページ  :当桜と頼母子薬師堂の情報あり、雷電神社の情報も参考
     [4] 巨樹巨木林データベース:当巨木は未登録 (2023年3月時点)
     [5] 国土地理院      :河川の旧流路も分かる治水地形分類図を参照
     [6] 今昔マップ      :埼玉大学教育学部教授、谷謙二氏の新旧の地図を比較閲覧できるサイト
    ■少遠景の記録
     [7] 旧東小学校跡のカヤ  :板倉町、頼母子薬師堂に隣接、町内最古の木かも
     [8] 十二所神社のケヤキ  :板倉町、町内の南東端の下五箇地区
     [9] 藤岡神社のけやき   :栃木県内で近辺の巨木 (栃木市藤岡町)
     [10] 渡良瀬遊水地の散策  :第1調節池谷中湖の西、三県境のある地点 (J04) について

    巨木と雑記.お薬師様の美しい桜

     群馬県の南東端に位置する板倉町 [3] 。三方を渡良瀬川・渡良瀬遊水地・利根川に囲まれた、田園の広がる水郷です。 有名な神社では、関東一円に点在する雷電神社の総社 (地図リンク) が鎮座。珍らしいスポットとしては、 海老瀬の地区にある田園の中に、群馬・栃木・埼玉の三県境が重なるところ [8] 。河川や山地ではなく、平地で複数の県境が重なるところは、全国的にも珍しいそうです。 そしてこの海老瀬はシダレザクラの巨木もある。 板倉東洋大前駅から西、頼母子薬師堂の境内に根差しています。 柔らかな曲線を描いて立ち昇る端正な幹。 広がる美しい花笠は、一端が地面にまで届く。 じつに艶やかであり清楚な印象も受ける立姿。 加えて周囲の景観にも優れ、竹林とヤブツバキが背景となり、 樹下に並ぶ古い石塔が厳か。 県南のシダレザクラを代表するような素晴らしい一本です。

    cm-頼母子薬師堂-01 【01】今から約60年前 (1963) の頼母子薬師堂の写真。本堂前に展示されていた。
    cm-頼母子薬師堂-02 【02】頼母子薬師堂についての解説板。


     頼母子薬師堂の由緒 [1][3] について。伝承によると始まりは、 日光開山した勝道上人が、諸国行脚の際に結んだ草庵とされる。 後の弘仁年間 (810-824) の頃。 東国巡錫の弘法大師が当地に至り、手彫りの薬師如来像を草庵に安置し、鰕 (えび) 瀬山西光院と称した。 永治元年 (1141) には、輝光という僧が再興したと伝わるそうです。 薬師堂の建つ地域の小字名は頼母子。 相互扶助のため、金銭や穀物などを融通した頼母子講 (無尽講とも) が由来でありそう。 ここは旧海老瀬村の中心部であり、村役場や小学校 [7] もあったところ。古くから薬師堂は村の信仰の中心でもあったことでしょう。 現在は美しいシダレザクラも手伝って、町外や県外からの参拝者も増えています。
     (補足:昭和30年に海老瀬村・西谷田村・大箇野村・伊奈良村が合併して板倉町となる)

    巨木と雑記.頼母子は大河に囲まれた島

     海老瀬地区の地形、特に薬師堂の建つ頼母子の周辺が気になりました。 周囲に大きな河川のない平地でも起伏に富み、 薬師堂の周囲は段丘の突端のようになっている。 これはかつて渡良瀬川の旧流路に接し、土砂の堆積および浸食されたのか。 昔の河川の流路もわかる、国土地理院の治水地形分類図 [5] および、今昔マップ [6] を見て驚きました。 かつて三方を渡良瀬川と利根川に囲まれ、加えて合流点にも接していたのです。

    cm-治水地形分類図 【01】治水地形分類図。河川の旧流路は青横線。頼母子段丘は北側を旧渡良瀬川が分断し、 南側に谷田川と合の川との合流点。三河川に挟まれ周囲は低湿地、頼母子はまさしく島のようなところ。
    cm-今昔マップ 【02】左側は明治24年 (1891) 発行の地図。 現在の複雑な県境が蛇行した渡良瀬川の旧流路であることが分かりやすい。 西側に板倉沼が存在した。合の川は天保9年 (1838) に流頭が塞がれて開拓。



     上記の治水地形分類図と今昔マップから、頼母子の段丘が河川と低湿地に囲まれた、 まさしく島のようなところだったことが分かります。 段丘は旧渡良瀬川により、北側が分断された後に横を流下。 南側で谷田川と利根川分流である旧合の川と合流していました。 三河川により浸食された段丘の突端。 かつて東側には広大な板倉沼も存在。 洪水が発生すれば、大海に浮かぶ島のようになったことでしょう。 村人を守ってきた命の丘と薬師堂。