• TOP
  • 巨木
  • 登山
  • 渡良瀬
  • 旅日記
  • 更新履歴
  • PR
  • 巨木TOP / 静岡 / 葛見神社の大クス

    葛見神社の大クス

    巨木の写真

    撮影日 2017.02.18 【01】南側①:巨大な瘤の塊のような幹は大迫力 葛見神社の大クス01
    【02】南側② 葛見神社の大クス02
    【03】西側①(正面) 葛見神社の大クス03
    【04】西側②(正面) 葛見神社の大クス04
    【05】西側③ 葛見神社の大クス05
    【06】北側① 葛見神社の大クス06
    【07】北側② 葛見神社の大クス07
    【08】東側① 葛見神社の大クス08
    【09】東側② 葛見神社の大クス09
    【10】東側③ 葛見神社の大クス10
    【11】神社・入口 葛見神社の大クス11
    【12】神社・社殿 葛見神社の大クス12
    【13】神社・境内社 葛見神社の大クス13

    巨木の詳細情報

    巨木の名前 葛見神社の大クス 樹種 クスノキ(楠)
    幹周/樹高 15m / 25m 推定樹齢 1000年
    保護指定 国指定天然記念物 所在地 静岡県伊東市馬場町1丁目
    撮影日/天候
    (状態)
    2017.02.18 / 晴 : 主幹は空洞化.支柱や金属の帯がないと大枝が伸びる3方向へ裂けそう.
    アクセス
    沼津IC(東名高速)   :距離約48km(伊豆縦貫自動車道、国道136、県道19経由)
    長泉沼津IC(新東名高速):移動距離と経路は上記とほぼ同じ
    電車 伊東駅(JR伊東線・伊豆急行線):距離約1.5km
    備考 葛見神社に駐車場は無い。周辺は密集した住宅地なので路肩駐車の場所に悩んだ(地図参照)。
    近辺の観光 伊豆・伊東観光協会   :伊東市の公式観光情報サイト.夏の花火大会も良い場所らしい.
    東海館         :伊東を代表する温泉施設.元は老舗旅館の建物が風情ある.
    道の駅・伊東マリンタウン:温泉やプールや遊覧船の波止場も併設されている港の道の駅.
    汐吹公園        :岬の展望台や、潮の干満により断崖の洞穴から吹き上がる潮が名物.
    姥子神社        :神秘的な景観の断崖の洞穴にある霊場.
    城ヶ崎海岸       :断崖の岬や入り江が続く景勝地.遊歩道、灯台、吊橋など見所は多い.
    大室山         :伊東市のシンボルたる端正な姿の標高580mの火山.火口まで散策できる.
    近辺の巨木 蓮着寺のヤマモモ

    巨木の地図

    巨木と雑記

     伊豆半島の東側、相模湾に面して南北に長い形の伊東市。 温泉地、海水浴場、ダイビングスポットが豊富な地域で、海岸には城ヶ崎海岸などの景勝地にも恵まれた伊東は、 ハトヤ(ホテル)の拠点でもある伊豆のリゾート地の一つ。 そんな伊東にある巨木、伊豆で最大ともいえる幹周の巨木が、葛見神社の大クスです。 伊東港に面した市街地の中心部から、南の丘陵地へ向って少し奥まった場所に、葛見神社は鎮座しています。 住宅地に囲まれながらも、大木の多い樹叢に覆われた境内。大クスは社殿の向って左側(北側)の斜面に立っています。

     大クスは幹周15mもの迫力の巨樹にして、樹齢1000年を優に超えるように見える相当な老樹。 主幹はほぼ空洞化し、複数の大枝も欠損。空洞を囲む分厚い表皮からは、3本の大枝が発達しています。 北西側に発達した支柱付きの大枝が、この大クスの生命線になっている様子。 この巨躯は、支柱と幹を結束する鋼鉄の帯の補助がなければ、大枝が伸びる3方向へ倒壊してしまいそうな状態。
     樹勢が最盛期に比べて大きく衰退した老樹。 巨大な残骸を抱えた、凄味のある感情を揺さぶる立姿は、近づく者に痛みや苦しみ、あるいは恐怖といった感情を喚起させる刺激的なもの。 しかし、それらの心の動きは、やがて大きな感動となって返ってきます。 今も力強く生き続けるその姿は、悠久の命の歴史が凝縮された荘厳なもの。 この土地の全てを知っているような、神秘的な老大樹には、縋りたくなるような魅力がありました。

     最後に葛見神社の由緒について少し。 創建の年代は分かりませんが、延喜式神名張にある久豆弥神社に比定されるとの考えによれば、 少なくとも1000余年の歴史がある古社。 平安時代の末期から鎌倉時代にかけては、伊東の地を拠点とした伊東氏から手厚く守護。 伊東氏の家祖である工藤祐隆により神社は修造され、また京都伏見稲荷から稲荷神を勧進合祀されたと云われます。 戦国時代には、伊豆における伊東氏の勢力は衰え、子孫は諸国に分散して再起。 慶長15年(1610)には、徳川家康の家臣となっていた伊東政世(日向伊東氏の支流)によって社殿は再建。 明治まで代々の領主から供米が奉納。地元民からも氏神として、厚く信仰されてきたそうです。
     大クスの根本にある小さな社は、疱瘡神を祀るもの。 疱瘡神は、日本でも江戸時代には猛威を振るった天然痘を模した疫病神。 古くから神木として祀られてきた大クスの霊験と、 大空洞を抱えて生きる強い生命力、そして瘤の多い独特の姿に、 往時の人々は救いを求めたのかもしれません。