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    中荒井稲荷神社のモミと周辺

    巨木の写真

    中荒井稲荷神社のモミ (2023.05.05) 【01】県内最大級のモミ、根本には古い石祠が置かれている 中荒井稲荷神社のモミ-01
    【02】 中荒井稲荷神社のモミ-02
    【03】 中荒井稲荷神社のモミ-03
    【04】 中荒井稲荷神社のモミ-04
    【05】 中荒井稲荷神社のモミ-05
    【06】 中荒井稲荷神社のモミ-06
    【07】 中荒井稲荷神社のモミ-07
    【08】 中荒井稲荷神社のモミ-08
    【09】 中荒井稲荷神社のモミ-09
    【10】 中荒井稲荷神社のモミ-10
    【11】 中荒井稲荷神社のモミ-11
    【12】 中荒井稲荷神社のモミ-12
    【13】 中荒井稲荷神社のモミ-13

    巨木の基本情報

    巨木の名前 中荒井稲荷神社のモミ (仮)
    樹種 モミ (樅)
    幹周 6.20m (実測)
    樹高 不明 (25~30mくらいの印象)
    推定樹齢 不明
    特徴 真っ直ぐな単幹、過去に主幹上部を損傷
    保護指定 不明
    所在地 福島県南会津郡南会津町中荒井久宝居
    所在施設 稲荷神社
    撮影日・状態 2023.05.05 : 樹勢は良い様子、主幹の北側は根本から中腹まで絡みついたツタが繁茂、除去すべき
    アクセス
    東北道・西那須野塩原ICから約49㎞、白河ICから約51㎞ (稲荷神社に駐車場なし)
    電車 会津鉄道・中荒井駅から500m以内
    参考情報 ■現地資料
     [1] 稲荷神社の由緒    :解説板、内容は上記巨木の写真09を参照
     [2] 旧中荒井分校のさくら :解説板、内容は2つ目の雑記枠の写真06を参照
     [3] 旧中荒井分校の沿革  :解説板、内容は2つ目の雑記枠の写真07を参照
     [4] 子安地蔵堂の由緒   :解説板、内容は2つ目の雑記枠の写真09を参照
     [5] 如活禅師仏塔と墳墓  :解説板、内容は3つ目の雑記枠の写真09を参照
     [6] 如活禅師墓地イチイの木:解説板、内容は3つ目の雑記枠の写真02を参照
    ■外部ウェブサイト
     [7] 福島県公式サイト   :森林環境税のコンテンツ、南会津地区の巨木のページにイチイの情報あり
     [8] 巨樹巨木林データベース:当モミは未登録 (2023年5月時点)、イチイの登録あり (2000年度の記録)
     [9] 開当男山酒造     :中荒井地区の老舗の酒造
    ■少遠景の記録
     [10] 熊野宮の男杉女杉   :南会津町の田島地域、御神木の二柱以外にもスギ巨木が群立する鎮守の杜
     [11] 下塩江五本松     :南会津町の田島地域、県内最大級の風雅な姿のアカマツ
     [12] 雷電神社のモミ    :南会津町の田島地域、幹周は約6.7mある県内最大級のモミ
     [13] 永田のツキノキ    :南会津町の田島地域、5本株立ちで幹周合計は12mほどになるという

    巨木と雑記.中荒井稲荷神社のモミ

     会津鉄道の中荒井駅からすぐ東。 国道121号線沿いの集落の中にある稲荷神社。 社殿の傍らにそびえ立つ御神木は、県内最大級のモミです。 実測した幹周は約6.2m。 さほど先細りせずに立ち昇る、重量感ある見事な主幹です。 樹高は太さの割には少し低い印象。 どうやら過去に上部を折損したらしい。 それでも枝を繁茂させて、笠状に整った形のよい梢を作り上げています。 同じ田島地域にある、県内最大かもしれない雷電神社のモミ [12] と比べてみると。 盛大に隆起した根元を除けば、特に見劣りしない素晴らしい大モミでした。

     なお中荒井の集落には、稲荷神社のすぐ近くにも見どころがあります。 ノスタルジックな古い木造校舎としだれ桜。 そして江戸時代に当地で活躍した、高徳の禅僧の墳墓 (イチイの大木あり)。 以下、順次ご紹介します。

    巨木と雑記.旧中荒井分校のしだれ桜

     稲荷神社から開当男山酒 [9]を挟んで南。 子安地蔵堂 [4] と隣接する建物が、旧荒海小学校中荒井分校 [3] です。 校庭には見事なしだれ桜 [2] の大木が一本。 明治末期頃に植えられたもので百年桜とも呼ばれるそうです。 郷愁たっぷりな風景、周囲の野山と古い木造校舎。 これらを背に咲き誇る美しい桜。 春に訪れたい南会津町の名スポットです。 また、お酒好きの人は享保元年 (1716) 創業の老舗、 開当男山酒に立ち寄る楽しみもあります。

    cm-旧中荒井分校-01 【01】郷愁を誘う野山と古い木造校舎が背景となる美しい一本桜。 校舎は町の景観重要建造物、桜は景観重要樹木に指定されている。 花の見頃は4月下旬らしい。当日はすでに盛夏のような葉桜。
    【02】 cm-旧中荒井分校-02
    【03】 cm-旧中荒井分校-03
    【04】 cm-旧中荒井分校-04
    【05】 cm-旧中荒井分校-05
    【06】 cm-旧中荒井分校-06
    【07】 cm-旧中荒井分校-07
    【08】 cm-旧中荒井分校-08
    【09】 cm-旧中荒井分校-09


     旧荒海小学校中荒井分校の沿革 [3] について。 当初は明治11年 (1878)、地元の名士である渡部氏の居宅を借りて開設。 翌年に校舎を現在地に新築。 これには渡部氏の援助があったようです。 ちなみに渡部氏は開当男山酒造 [9]の代々の蔵元らしい。 中荒井分校は当地に開設されてから約80年後の昭和34年 (1959)。 荒海小学校に統合されて閉校となりました。 閉校後は一時、工場や倉庫などに利用されることもあったそうです。 そして近年の平成26年 (2018)。 南会津町の景観重要建造物の第一号に指定。 校庭のしだれ桜も景観重要樹木に指定されました。 今は南会津町の観光スポットとなっています。

    巨木と雑記.如活禅師墳墓とイチイ

     稲荷神社へ続く小道 (未舗装) からすぐ南側に面した十字路。 ここから東に約350mほど進んだところに如活禅師墳墓があります。 道の入口には目印となる解説板 [5]。 静謐な雰囲気に包まれた山林の中にある墓所で、傍らにはイチイの大木が一本。 如活禅師は江戸時代後期の黄檗宗の僧。 北は岩手から南は長崎にいたるまで諸国を遍歴。 仏教と修験道の他に医術にも造詣が深かったそうです。 享保4年 (1719)、禅師が中荒井村を通りかかったとき。 眼病に苦しんでいた村民を癒し、これを縁に当地に逗留。 近郷の黒澤・針生・永田なども回り、 村民たちに念仏を勧めるとともに、優れ医術で救ったそうです。 寛保元年 (1741)、中荒井村にて遷化。 後に禅師の庵があったこの地に墓が建てられました。

    cm-如活禅師墳墓-01 【01】静かな山林の中にある如活禅師墳墓。石段の先に墓石がある。 ここは如活禅師が庵を結んだ場所とされている。
    【02】 cm-如活禅師墳墓-02
    【03】 cm-如活禅師墳墓-03
    【04】 cm-如活禅師墳墓-04
    【05】 cm-如活禅師墳墓-05
    【06】 cm-如活禅師墳墓-06
    【07】 cm-如活禅師墳墓-07
    【08】 cm-如活禅師墳墓-08
    【09】 cm-如活禅師墳墓-09