巨木TOP / 福島 / 大内宿と高倉神社の大スギ
大内宿と高倉神社の大スギ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 高倉の大スギ [1] |
|
||
---|---|---|---|---|
樹種 | スギ(杉) | |||
幹周 | 9.10 [2], 9.17m [3] | |||
樹高 | 56.0m [1][2], 28.0m [3] | |||
推定樹齢 | 800年 [1], 840年 [3] | |||
特徴 | 5本の株立ち | |||
保護指定 | 福島県指定緑の文化財(第405号) | |||
所在地 | 福島県南会津郡下郷町大内 | |||
所在施設 | 高倉神社 | |||
撮影日・状態 | 2021.04.22 : 全体としては樹勢は良い、5本の株のうち1本は根本付近から上部欠損 | |||
アクセス | ||||
車 | 磐越道・会津若松ICから約32km、東北道・白河ICから約48km | |||
電車 | 湯野上温泉駅から約5km | |||
バス | 広田タクシーのバス猿游号が湯野上温泉駅と大内宿を間を運行 | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 標柱・高倉の大スギ :内容は上記の写真08を参照 ■外部ウェブサイト [2] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり(2000年度の調査記録) [3] 福島県公式サイト :当巨木の情報あり [4] 大内宿公式サイト :大内宿観光協会のサイト、大内宿内と周辺観光の情報が豊富 ■少遠景の記録 [5] 小野岳の登山記録 :大内宿の東にそびえる巨木茂る好展望の山 [6] 八幡のケヤキ :下郷町、福島県で最大のケヤキの巨木 |
巨木と雑記.大内宿
南会津で屈指の観光地である大内宿 [4] は、まるでタイムスリップしたかのような景観の集落。 大きな茅葺屋根の家屋が立ち並ぶ景観、 江戸時代に栄えた宿場町としての面影を色濃く残しています。 各古民家は、今も売店・旅館・住居などに使われる生活の場。 この素晴らしい景観を守り継いできた集落は、 重伝建地区に指定されています (重要伝統的建造物群保存地区)。 以下、集落の様子です。
大内宿の歴史について [4] 。宿場町として整備されたのは、江戸初期の寛永17年 (1640) 頃とされます。 会津と下野の今市 (栃木県日光市) を結ぶ、会津西街道で若松城下から3番目の宿場でした。 この街道は藩主の参勤交代にも利用。 江戸と会津だけでなく、越後 (新潟) や出羽 (山形) の物流も結ぶ重要な道でした。 全長は約130キロメートル (32里) で、 経路は現在の県道131号線と国道121号線とほぼ重なるもの。 江戸から会津へ向かう旅人たちにとって、この先は最後の峠越え (大内峠と氷玉峠)。 大内宿で長く険しい山越えに疲れた心身を癒し、若松城下を目指していったのです。
巨木と雑記.高倉神社
大内宿の鎮守である高倉神社について [4] 。創建は平安時代の末期頃とされる古社。 祭神は高倉以仁王、後白河天皇の第二皇子です。 以仁王は源頼政と共に平氏打倒の挙兵を計画し、 治承4年 (1180)に各地の源氏と大寺院に、平氏追討の令旨を下しました。 しかし挙兵は事前に露見、平氏軍と対峙した宇治橋での合戦に敗れます。 社伝では以仁王は都から配下と共に落ち延び、 越後の小国頼之 (源頼行?) の元へ向かう途中、山本村だった当地に逗留したという。 一時的にも皇族の御座所、大内 (内裏) となった。 このため、大内に名前を改め、高倉神社を創建し以仁王を祀ったとされます。 御神木の大スギについて。 神社創建時に植えられたとの伝承です。 根本から分かれた5本ほどの株立ち。 伝承通りなら世代交代しているのでしょう。 古株から生長した側幹 (ヒコバエ) か、後に寄せ植えされたものか。 単幹の老巨樹ではなくとも、見事の立姿の大スギです。 森厳たる空気に満ちた社叢の奥にそびえる、聖域の主らしい立姿。 特に背後 (北側) から見仰ぐ、4本の幹は神々しく見えました。
福島TOP | △TOP | 前へ戻る |