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上平窪のシイノキ群
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 上平窪のシイノキ群 [1] |
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樹種 | スダジイ(すだ椎) | |||
幹周 | 6.0m [1], 6.5m [3] | |||
樹高 | 18.0m [1], 16.0m [3] | |||
推定樹齢 | 不明 | |||
特徴 | 双幹の樹形 | |||
保護指定 | 福島県指定天然記念物 | |||
所在地 | 福島県いわき市平上平窪横山 | |||
所在施設 | 利安寺 | |||
撮影日・状態 | 2020.11.04 : 双幹上部の枝先を複数失っているが樹勢は良い様子 | |||
アクセス | ||||
車 | 常磐道・いわき中央ICから約8km(いわき四倉ICからは約11km) | |||
電車 | 磐越東線・赤井駅から約3km | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 上平窪のシイノキ群 :内容は以下の写真03を参照 [2] 磐城小川江筋の記 :内容は以下の写真10を参照 ■外部ウェブサイト [3] 巨樹巨木林データベース:2000年度の調査記録 [4] いわき市観光サイト :澤村神社、じゃんがら念仏踊りなどの情報あり ■少遠景の記録 [5] 観音寺跡のスダジイ :いわき市小川町にあるスダジイ [6] 称名寺のしいのき :宮城県亘理町、東北で最大のスダジイ |
巨木と雑記.県内最大級の大シイ
暖地性のスダジイの巨木は、東北地方では珍しい存在。 茨城県を除く北関東でも中々見られないような巨木が、いわき市の利安寺にあります。 群落を形成していて、特に目を引く巨木は3本。 一番北側に立つ個体は、福島県でも最大級の大シイです。 最大個体の大シイは、南北に開いたV字型、双幹の樹形が特徴。 双方の太い幹が大きな樹冠を広げているので、見仰いだ姿には迫力があり、古木らしい風格も十分。 墓地を囲む他2本の大シイも見事な立姿。 小川町にある観音寺跡のスダジイ [5] と共に、いわき市内でも注目すべき巨木ではないでしょうか。 以下、境内の様子と他2本のスダジイです。
巨木と雑記.磐城小川江筋と利安寺
利安寺の創建には、江戸初期に開削された農業用水路、磐城小川江筋に深い関係が。 現地解説板 [2] をもとにその話を。 磐城小川江筋は現役の水路で、流路の一部は利安寺の南側を流れています。 関場地区にある夏井川の大堰 (地図) から取水し、四倉町北部の仁井田川 (地図) までが流路。 全長約30キロメートル、夏井川左岸の約945ヘクタールもの農地を潤しきた水路です。 江戸初期、この地域の郡奉行であった澤村勘兵衛により、小川江筋は開削されました。 澤村公は干ばつに困窮する農民を救わんと、農業水路の開削を決意。 磐城平藩主の許可を得て寛永10年(1633)に着工し、寛文5年(1665)に完成させました。 30年以上もかかった大事業。 澤村公は自身の知行から300石分を工事の費用に充てるなどしたそうです。 利安寺について。 水路の開削が横山地区に達したとき、一部の区間は隧道(場所不明)の形となった。 すると地中から蛇が大量発生したという。 捕らえたものを蛇塚に埋め、澤村公はそこに利安寺を建立して供養。 後の正保2年(1645)に大日堂を建て、水路の完成を祈願した、というのが利安寺の由緒。 大日堂の下にその蛇塚があるとか…。
澤村公のその後について。 なんと死罪に!?。明暦元年(1655)、大館の西岳寺(現・大宝寺)にて自刃。 享年43歳の若さでした。 有能な郡奉行であり、磐城小川江筋を完成させ、農業生産力を大いに向上させるという功績ある人物。 であるのに何故この処分か。 どうやら、無実の罪を着せられたという。 功績や出世を妬まれたというのか。 この仕打ち、さぞ無念であったことだろう…。 澤村公は農民たちから厚く崇敬されていたそうで、 農民たちの手により、利安寺に立派な墓が建てられました(境内中央の大きな墓)。 後に澤村公を祀る神社 (地図・澤村神社) も建立。 そして澤村公の霊を慰める「じゃんがら念仏おどり」が、 後の郷土芸能「磐城じゃんがら念仏」の始まりになったとされるそうです。 巨木が残る場所では、様々な興味深い郷土誌を知る機会もあるものです。
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