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    万正寺の大カヤ

    巨木の写真

    撮影日:2021.11.04 【01】4年ぶりの再訪、周囲は広い公園のように整備されていた 万正寺の大カヤ-01
    【02】 万正寺の大カヤ-02
    【03】 万正寺の大カヤ-03
    【04】 万正寺の大カヤ-04
    【05】 万正寺の大カヤ-05
    【06】 万正寺の大カヤ-06
    【07】 万正寺の大カヤ-07
    【08】 万正寺の大カヤ-08
    【09】 万正寺の大カヤ-09
    撮影日:2017.09.16 【01】国内最大級のカヤ、個性も際立つ見事な樹容 万正寺の大カヤ-01
    【02】 万正寺の大カヤ-02
    【03】 万正寺の大カヤ-03
    【04】 万正寺の大カヤ-04
    【05】 万正寺の大カヤ-05
    【06】 万正寺の大カヤ-06
    【07】 万正寺の大カヤ-07
    【08】 万正寺の大カヤ-08
    【09】 万正寺の大カヤ-09
    【10】 万正寺の大カヤ-10
    【11】 万正寺の大カヤ-11
    【12】 万正寺の大カヤ-12
    【13】 万正寺の大カヤ-13

    巨木の基本情報

    巨木の名前 万正寺の大カヤ [1]
    樹種 カヤ(榧)
    幹周 8.7m [1][2]
    樹高 16.0m [1][2]
    推定樹齢 700年 [1]
    特徴 大な樹冠と多数の支幹
    保護指定 福島県指定天然記念物
    所在地 福島県伊達郡桑折町万正寺字大榧4 [1]
    所在施設 観音寺の管理地
    撮影日・状態 2021.11.04 : 樹勢良し、樹容に大きな変化なし、隣接する民家が撤去され公園のようになった
    2017.09.16 : 主幹・支幹ともに目立つ損傷なく樹勢良い、樹冠広大、実も多く生る
    アクセス
    東北自動車道・国見ICから約5㎞ (駐車スペースあり)
    電車 JR桑折駅から約1㎞ (駅から南に位置するアンダーパスで西側へ抜けられる)
    参考情報 ■現地解説板
     [1] 万正寺の大カヤ      :内容は上記2021年度の写真09を参照
    ■外部ウェブサイト
     [2] 巨樹巨木林データベース  :当巨木の登録あり(1988年度の調査記録)
     [3] 国指定文化財等データベース:桑折西山城について
     [4] 桑折町ホームページ    :桑折町や西山城の歴史などについて
    ■少遠景の記録
     [5] 塩貝の大カヤ       :浜通りの楢葉町にある国内最大級のカヤ
     [6] 遍照寺のカヤ       :栃木県の真岡市、伊達氏の祖に所縁のあるカヤ

    巨木と雑記.万正寺の大カヤ

     中通りの北部に位置する桑折町。 戦国時代に伊達氏が本拠とした居城のひとつ、桑折西山城 (後述) のあるまち。 その山城の麓にあるのが、国内最大級のカヤ、万正寺の大カヤです。 中通りでも特に注目していた巨木の一本。 太い主幹を持つだけでなく、個性際立つ樹容と、 直径30メートルもの広大な樹冠を併せ持っています。 根本付近から奔放に立ち昇る複数の大枝。複雑に隆起する逞しい木肌。 まるで、燃え上がる炎か、巨大な軟体動物を思わせる、凄みのある立姿です。 一度見たら忘れられない。 それでいて、纏っている気配は明るいもの。 訪れる者を優しく包み、大いに感動的な一時を与えてくれる素晴らしい巨樹でした。 浜通りにある塩貝の大カヤ [5] と並び、全国に誇れるカヤでしょう。

     以下は桑折西山城、万正寺の大カヤについての歴史、 所縁のある他のカヤについてご紹介してす。

    巨木と雑記.桑折西山城

     国指定史跡の桑折西山城は大カヤのすぐ北西、 高館山 (193m) に築かれた伊達氏の居城。 元は伊達氏の祖、伊達朝宗が文治5年 (1189) に居館を構えた場所とされます。 応永7年 (1400) から3年間には、9代政宗が本城に拠って鎌倉公方の攻勢を防ぐ。 天文元年 (1532) の頃、14代稙宗が現在の規模に築城。 後に嫡男の晴宗が米沢へ移るまで、西山城下が伊達氏領国の中心でした。 [3][4]

     以下、麓の大手口から大手門を経て本丸までの様子です。 本丸は展望抜群。 時間に余裕のある人は、谷間を挟んだ西の峰にある、中館と西館の郭にも行ってみてください。 大きな空堀や、土塁、枡形虎口の遺構がよく残っているそうです。

    cm-桑折西山城-01 【01】桑折西山城:観音寺の前を通る町道に面した大手口。標識あり。ここから本丸まで20分もあれば着くだろう。 道は細い未舗装となるので車での進入は危険だ。
    【02】 cm-桑折西山城-02
    【03】 cm-桑折西山城-03
    【04】 cm-桑折西山城-04
    【05】 cm-桑折西山城-05
    【06】 cm-桑折西山城-06
    【07】 cm-桑折西山城-07
    【08】 cm-桑折西山城-08
    【09】 cm-桑折西山城-09
    【10】 cm-桑折西山城-10
    【11】 cm-桑折西山城-11
    【12】 cm-桑折西山城-12
    【13】 cm-桑折西山城-13

    巨木と雑記.万正寺の大カヤに纏わる歴史

     まず名前について。 この大カヤは万正寺という寺院境内にあるわけではありません。 近くにある寺院は観音寺。 万正寺地区の南には、鎌倉時代に当地へ移ってきた伊達氏の祖、伊達朝宗の墓所 (位置) があります。かつて朝宗が建立した菩提寺が萬勝寺。 やがて寺号が地名となり、大カヤの名前にもなったのでしょう。[4]

     大カヤの歴史について。 約700年という推定樹齢は、伝承と根本からの発掘品に基づくもの。 文治5年 (1189) の奥州征伐で武功を挙げた藤原朝宗は、 源頼朝から恩賞により奥州の伊達郡を獲得。 後に下野国中村(栃木県真岡市)から当地に移り、伊達氏を名乗ります。 伊達郡入部の記念樹として、朝宗が植樹したとの伝承。 また、近くにある観音寺を宝治年間 (1247-1248) 建立した、 4代政依による植樹との伝承もあるそうです。[1][4]

     発掘品については、根本から鎌倉時代のものとされる陶器が出土。 その中には火葬した人骨が入っているものもあった。 大カヤは塚のような土盛りも上に立っており、 墓地の標木とされていた可能性もあります。 伊達氏の居城および菩提寺の前に、同時代から存在していたと考えられる老樹。 以上のことから、大カヤは伊達氏に所縁の深い巨木といえるでしょう。[1]

    巨木と雑記.万正寺の大カヤの兄弟木

     栃木県にも伊達朝宗に所縁があるとされる大カヤがあります。 栃木県真岡市にある遍照寺のカヤ [6]。 元の遍照寺は、朝宗が下野国で拠点としていた中村城跡。 当寺のカヤは、奥州征伐で武功を挙げた際の記念樹として植えたと伝わるそうです。 となると入部先の伊達郡でも、やっぱり植えた? 万正寺と遍照寺のカヤ、伊達氏の祖に植えられた兄弟木かもしれません。

    cm-遍照寺-01 遍照寺のカヤ。栃木県内で最大級のカヤ。