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遍照寺のカヤ
巨木の写真
巨木の詳細
巨木の名前 | 遍照寺のカヤ (仮) |
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樹種 | カヤ (榧) | |||
幹周 | 6.22m [4] | |||
樹高 | 28.0m [4] | |||
推定樹齢 | 800年 [1] | |||
特徴 | 直幹で背が高い | |||
保護指定 | 栃木県指定天然記念物 | |||
所在地 | 栃木県真岡市中2402 | |||
所在施設 | 遍照寺 | |||
撮影日・状態 | 2012.07.24 : 前回と樹容に大きな変化はない様子、盛夏の時期だからか前回より少し元気な印象 2010.02.06 : 直幹で背が高く葉量は多い、古木らしい風貌だが樹勢は良い様子 | |||
アクセス | ||||
車 | 北関東自動車道・真岡ICから約7㎞ | |||
電車 | 真岡鐵道・寺内駅から約3㎞ | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 遍照寺案内板 :内容は下記雑記の写真01と02を参照 ■外部ウェブサイト [2] 巨樹巨木林データベース:当巨木の情報あり (2000年度の調査記録) [3] 真岡鐵道ホームページ :稼働SLの詳細や運行情報はこちらから [4] ウィキペディア :中村城の最後の城主、中村時長について ■少遠景の記録 [5] 中村八幡宮のケヤキ :真岡市、最寄りの巨木、御神木の他に参道入口にもケヤキ巨木あり [6] 万正寺の大カヤ :福島県の桑折町、国内最大級のカヤ、藤原朝宗が植えた可能性あり? |
巨木と雑記.県内最大級のカヤを有する真岡の名刹
栃木県の南東部、鬼怒川下流の左岸に位置する真岡市。 市域を南北に縦断する真岡鐵道 [3] は、蒸気機関車 (C1266) を現役で運行していることで有名。 拠点である真岡駅舎は、SLの形を模した面白い形をしています。 そんな真岡駅の隣駅、寺内駅から国道を挟んで西に位置する古刹が遍照寺。 境内のご神木は、県内最大級のカヤ巨木です。 相当な古木らしい貫禄極まる太い幹。 背は高く端正な直幹と傘状の樹冠。葉量は多く樹勢も良好。 じつに風雅な佇まいの素晴らしい大カヤです。
遍照寺の由緒について [1]。 創建は室町時代の初期の暦応年間 (1338-1341)。 関東官領の足利基氏による建立、 室町幕府の護持僧であった三賓院賢俊にる開山と伝わります。 数多くの末寺を有し、足利将軍家、古河公方、結城氏の帰依も深かったという大寺院でした。 元は茅堤の地に開かれていましたが、 天文年間 (1532-1555) に中村城の第15代城主、 中村時長 [4] によって中興され、現在地のあたりへ遷座したそうです。 遍照寺の境内全域は中村城跡でもあり、一部に濠や土塁などの遺構が残されています。 現存する城跡の面積は、約3万5千平方メートルもあるそう。 城のはじめは保元元年 (1156)、藤原朝宗が拠点とする中村荘に築いた居館。 朝宗は源頼朝の奥州征伐で武功を挙げ、その恩賞で奥州の伊達と信夫の2郡を獲得。 朝宗は移住した後、伊達氏 (第17代目が政宗) の家祖となります。 中村荘は子の朝定が継ぎ、代々中村氏の所領となりました。 この由緒から現在にいたるまで、伊達家にも崇高されているお寺です。 戦国時代、宇都宮氏と結城氏の勢力争いが激しかった地域。 往時は二代将軍足利義詮が寄進した五重塔、総門、大門、山門など 荘厳な七堂伽藍が建ち並んでいたという。 しかし度重なる戦火により焼失。 天文13年 (1544) に結城氏の家臣、水谷正村により中村城は落城し結城氏の支配地域に。 城主の中村時長は逃れ転戦、主君である宇都宮氏の領地に移りました。 ことき寺も燃えてしまったか。 後に宇都宮氏と結城氏は和睦。中村領の一部は返還されるも中村城は再建されず廃城。 焼失した遍照寺の伽藍は天正年間 (1573-1592) に再建されたそうです。
巨木と雑記.大カヤの伝承と福島県にある兄弟木
約800年という推定樹齢の根拠は、初代中村城の城主である藤原朝宗の手植えという伝承 [1]。 文治5年 (1189)、奥州征伐で武功を挙げた記念樹とされる。 そのせいか、質実剛健な古強者のような佇まいも感じさせる大カヤです。 さて、福島県にはこの大カヤの兄弟木かもしれない巨木があります。 桑折町にある、万正寺の大カヤ [6] 。朝宗は奥州征伐の恩賞で得た所領の伊達郡へ移ります。 そして高館山に桑折西山城の前身となる居館を構え、初代の伊達氏となります。 山城への正面、大手口あたりに根差した万正寺の大カヤ。 根本は塚状になっていて、鎌倉時代のものされる陶器などが出土。 これは想像が膨らみます。 中村城でしたように、今度は新たな所領で子孫繁栄を願って植え記念樹かもしれない。 実際、朝宗の手植えとの伝承もあるようです。 伊達氏の祖により植えられた兄弟木。
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