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中村八幡宮のケヤキ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 中村八幡宮のケヤキ (仮) |
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樹種 | ケヤキ (欅) | |||
幹周 | 4.90m [2], 5.40m [5] | |||
樹高 | 30.5m [2], 28.0m [5] | |||
推定樹齢 | 不明 | |||
特徴 | 肥大した根本、真っ直ぐな単幹 | |||
保護指定 | 栃木県指定天然記念物 (社叢全体) | |||
所在地 | 栃木県真岡市中 | |||
所在施設 | 中村八幡宮 | |||
撮影日・状態 | 2022.07.24 : 根本に空洞、主幹上部に太い枝が少ない、樹冠の規模が縮小してきているか | |||
アクセス | ||||
車 | 北関東自動車道・真岡ICから約6㎞ | |||
電車 | 真岡鐵道・寺内駅から約4㎞ | |||
参考情報 | ■現地解説板 [1] 中村八幡宮の由緒 :内容は下記雑記の写真12を参照 [2] 中村八幡宮の社叢 :内容は下記雑記の写真13を参照 ■外部ウェブサイト [3] 栃木県神社庁ホームページ:コメント [4] 真岡市ホームページ :中村八幡宮の祭礼、流鏑馬の情報あり [5] 巨樹巨木林データベース :当巨木の登録あり (2000年度の調査記録) ■少遠景の記録 [6] 遍照寺のカヤ :真岡市内、最寄りの巨木、県内最大級のカヤ巨木 |
巨木と雑記
県内最大級のカヤを有する遍照寺 [6] からすぐ近く、中村郷の総鎮守であった古社が中村八幡宮。 社叢は県指定の天然記念物。 一之鳥居から三之鳥居までは続く参道は約500mと長く、スギ・ヒノキ・サワラなどの並木が続きます。 社殿周囲にも大木が多く、クスノキ、シラカシ、スダジイ、モミなども生育。 じつに森厳たる景観の境内。 そして拝殿右手前にはケヤキ御神木。 力強く肥大した根本が特徴的。 太い根元を前景として、広い境内と社殿を重ねる姿は神々しいものでした。 中村八幡宮の参拝では、ぜひ長い参道を歩いてみてください。 よい雰囲気です。 参道の並木は寛永2年 (1625)、社殿修復の際は建材にもなるようにと、氏子の方々が植えたとされる [2]。 古い切り株はかつて用材となったのでしょう。 一之鳥居から手前の右手には、見事な大ケヤキもあります。 根本が藪っぽくなっていましたが、御神木より背が高く、幹周は同等か少し太い印象。 巨樹巨木林DB [5] に登録されている幹周5.50mのケヤキに該当するのかも。 以下、参道と入口のケヤキ、解説板です。
おわりに神社由緒について [1][3] 。創建は社伝によると天武天皇の御代 (7世紀末)。 勅命により諸国に建立された八幡宮の一社であるという。 また、源頼義・義家の父子による創建との伝承もあるそうです。 奥州の安倍氏一党との闘い、前九年の役 (1051-1062) のとき。 北関東の各地に氏神である石清水八幡宮を勧請、その一社とも伝わっている。 真相はともかく、古代からの神聖な場所ではありました。 境内奥には古墳 (中村大塚古墳) があり、年代は6世紀末~7世紀初頭とされる。 直径約25mの円墳で、長さ約8mの横穴式の石室があるそうです。 平安時代の末期の文治5年 (1189)、源頼朝が奥州藤原氏の征伐に向かう際、 当社に戦勝祈願したという。当地は御家人である中村朝宗の領地であり、 すぐ近くに居館 (現在の遍照寺) もあった。 だから行軍の休憩に立ち寄った可能性はありそうです。 奥州征伐において、朝宗は子供らとともに参戦して武功を挙げる。 頼朝は恩賞として伊達郡の所領を与え、 当社には33町歩の神田を寄進したそうです。 後に朝宗は一部の子供に中村領を引き継がせて伊達に移る。 そして奥州伊達家の祖となります (17代目が伊達政宗)。 このため当社は代々の伊達家から崇敬され、社殿の造営や修復などの寄進を受けてきたそう。 当社の祭礼には流鏑馬神事があります。 毎年9月中旬、参道の二之鳥居から三之鳥居の区間で行われている様子。 この神事のはじまりは江戸時代の中期。 仙台藩の5代藩主、伊達吉村 (伊達氏21代) により神馬が寄進されたことに発するそう。 並木の参道を疾駆する騎馬武者、さぞ勇壮なことでしょう。 機会があれば拝んでみたいものです。
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