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龍興寺のシラカシ
巨木の写真
巨木の基本情報
| 巨木名 | 龍興寺のシラカシ [1]、白龍大樫 [2] |
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|---|---|---|---|---|
| 樹種 | シラカシ (白樫) | |||
| 幹周 | 3.60m [1] | |||
| 樹高 | 20.5m [1] | |||
| 樹齢 | 500年 [1] | |||
| 特徴 | 単幹、独特な主幹根本の模様 | |||
| 保護 | 栃木県指定天然記念物 | |||
| 所在 | 栃木県下野市薬師寺 | |||
| 施設 | 生雲山龍興寺 | |||
| 撮影日 | 2025.09.03 : 主幹は上部欠損と表皮の大部分が剥離、白い標柱のような様相、若枝の成長を祈念する | |||
| 交通 | ||||
| 車 | 東北道・栃木ICから約18km、北関東道・宇都宮上三川ICから約12km、圏央道・五霞ICから約39km | |||
| 電車 | JR自治医大駅 (宇都宮線・湘南新宿線) から約3km | |||
| 参考情報 | ■現地解説板 [1] 龍興寺のシラカシ :内容は下記巨木の雑記の写真01を参照 [2] 白龍大樫 :内容は下記巨木の雑記の写真02を参照 [3] 龍興寺の境内図と縁起 :内容は下記龍興寺の雑記の写真02-03を参照 [4] 龍興寺金堂 :内容は下記雑記の写真08を参照 [5] 先師尊霊墓地と鑑真和尚碑:内容は下記雑記の写真14を参照 ■外部ウェブサイト [6] 龍興寺ホームページ :由緒と境内案内を参考 [7] 巨樹巨木林データベース :当巨木は未登録 (2025年9月時点) ■少遠景の記録 [8] 薬師寺八幡宮のケヤキ :下野市、平安時代に下野薬師寺の守護神として勧請された古社 [9] 小金井一里塚のエノキ :下野市、日光街道跡の小金井宿の入口付近、国指定史跡 | |||
巨木と雑記.シラカシ
国指定史跡の下野薬師寺跡 [8] から南に位置する龍興寺 [3] 。 奈良時代に下野薬師寺の別院として創建され、鑑真和尚の開基とされる名刹です。 立派な山門を潜って左手には、円墳状の大きな塚。 薬師寺別当を務め、宝亀3年 (772) に寂された道鏡禅師の墓所 (道鏡塚) です。 その手前には、古い石塔群とともに、一本のシラカシ [1] [2] が根差している。 栃木県内では珍しい、天然記念物に指定されている貴重なシラカシ。 雄大な立姿に期待していると驚きました。 大きな損傷を負っていたのです。 龍興寺のシラカシは2018年、落雷を受けた後、台風により大枝を失ったそうです。 今、表皮の殆どが失われ、枝葉は僅かとなり、白い標柱のような姿となっても、懸命に生き続けている。 その姿に荘厳な、不滅の命の灯のようなものを感じます。 また、根本から立ち昇っていく模様が、じつに神々しい。 複数の小さなコブ状のものが、お坊様や仏様の顔に見えるのです。 神仏が宿りし龍興寺の白龍大樫。
巨木と雑記.龍興寺
龍興寺 [3] [4] [5] [6] の由緒について。 天平宝字5年 (761)、下野薬師寺の別院として建立され、 鑑真和尚の開基と伝わります。 鑑真和尚は唐から渡来した高僧であり、 勅願により日本で僧が守るべき規則の戒律を確立。 そして、戒律を授けて僧となることを正式に認める戒壇も設立。 東国においては、下野薬師寺に戒壇が置かれました。 境内墓地には、お弟子が建立したという鑑真和尚の供養碑があり、 傍らには、ボダイジュの大木が枝を広げています。 龍興寺はかつて30以上の末寺を従えた大寺院。 以下、略縁起の一部です。 天平宝字5年 (761)、日光開山の勝道上人が龍興寺にて修行。 宝亀3年 (772)、下野薬師寺別当の道鏡禅師 (都で太政大臣・法王を歴任) が寂すると、境内の円墳を墓標として葬られる。 弘仁11年 (820)、弘法大師空海が訪れて以後、真言宗の道場となる。 弘長2年 (1262)、慈猛上人により中興。 元亀元年 (1570)、北条氏政の兵火に遭い消失。 現在の金堂は安政7年 (1860) の再建であり、2013年に修復されました。
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