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祇園城跡の公孫樹
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 公孫樹 [1] |
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樹種 | イチョウ (公孫樹) | |||
幹周 | 6.00m [1], 6.35m [2] | |||
樹高 | 15.0mm [1][2] | |||
推定樹齢 | 不明 | |||
特徴 | 下枝が多く根本は単幹に近い樹形 | |||
保護指定 | 小山市指定天然記念物 | |||
所在地 | 栃木県小山市本郷町1丁目 | |||
所在施設 | 城山公園 (祇園城跡) | |||
撮影日・状態 | 2021.12.13 : 一部の大枝を失っているが樹勢は良い様子、堀切に面した傾斜地に立っている | |||
アクセス | ||||
車 | 東北自動車道・佐野藤岡ICから約19㎞ | |||
電車 | JR小山駅から約1㎞ | |||
参考情報 | ■現地解説板 [1] 小山市指定文化財・公孫樹:幹周と樹高の他に伝承などが記載 (大きな写真なし) ■外部ウェブサイト [2] 巨樹巨木林データベース :当巨木の登録あり (2000年度の調査記録) [3] 小山市ホームページ :当巨木と祇園城跡の情報あり [4] とちぎふるさと学習 :栃木県教育委員会が運営するサイトのひとつ、祇園城の情報あり [5] ウィキペディア :祇園城主であった小山氏について参照 ■少遠景の記録 [6] 須賀神社のケヤキ :小山市内、祇園城の守護神でもあった古社、境内に複数の大ケヤキ [7] 愛宕神社のケヤキ :小山市内、須賀神社に近い、市内最大のケヤキ [8] 鷲神社のシラカシ :小山市内、小山氏が築いた鷲城の跡、遺構や神社が残っている [9] 喜沢日枝神社のケヤキ :小山市内、祇園城の支城跡、参道に大ケヤキ3本が並び立つ [10] 国府神社のケヤキ :小山市内、古墳に建つような神社、根本が雄大なケヤキ |
巨木と雑記.小山を代表する史跡と大イチョウ
小山市の代表的な史跡が、市街中心部にある祇園城跡。 平安時代の末期から戦国時代において、当地を支配した小山氏の主城でした。 思川の左岸にある段丘地形を利用した平山城。 本丸を中心とした複数の曲輪、深い堀切と土塁などの遺構がよく保存されています。 国指定史跡であり、現在は公園としても整備。 各曲輪の中を散策でき、一部の歩道は堀切の中を通っています。 展望もよく豊かな木々に覆われていて、市内最大のイチョウ巨木もあるところ。 じつに素晴らしい城址公園です。 大イチョウがあるのが本丸の曲輪から北、塚田曲輪の中央部。 堀切の傾斜地を背にして立っています。 樹形は側幹の集合でなく、主幹を中心とした単幹に近い姿で、大きな横枝も多く樹冠は広い。 個性もある見事な立姿の大イチョウです。
巨木と雑記.祇園城の歴史
祇園城の歴史 [3] [4] について。 はじめの築城年代および築城者は不明。 鎮守府将軍であった藤原秀郷の子孫、 初代小山氏となる太田正光が久安4年 (1148) に築いたと伝わる。 祇園城と呼ばれるのは小山氏の守護神、八坂神社があることに由来 (現在の須賀神社)。 南北朝時代から周辺の支城 (鷲城・中久喜城など) を従える小山氏の主城となり、 戦国時代に現在見られる形に整備された。 天正4年 (1576)、小田原北条氏に小山氏は降伏し開城。 北条氏の北関東攻略の拠点となり改修された。 後に北条氏配下となった小山氏に祇園城は戻る。 しかし、天正18年 (1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐の後、 北条氏に加勢していたため領地を没収。 約400年続いた戦国大名としての小山氏は、第18代目の秀綱を最後に幕を閉じた。 その後、元和2年 (1616) に本田正純の居城となるが、 3年後に正純の宇都宮への国替に伴い、小山城は廃城となった。 最後に小山氏 [5] のその後について。 小山秀綱の曾孫、秀泰は水戸徳川家に仕え、弟の秀堅は家老となり活躍。 以後、子孫も藩士として水戸藩を支え、存続していったそうです。 名家が続いてよかった。
巨木と雑記.ヤマザクラと送電鉄塔
城山公園で城の遺構と大イチョウ以外にも、 気になるものが2つありました。 まずは本祇園曲輪の北端にあるヤマザクラ。 複数の細木の株立ちなので、あまり巨木らしくは見えない。 それでも印象的なサクラです。 広葉樹林の中に1本だけあるサクラで、深い堀切の谷間を背にして立っている。 樹冠は広いので見事な花笠を飾りそう。 春に再訪してみたいものです。
2つ目の気になったものは送電鉄塔。 本祇園曲輪の北側堀切の端に建つもので、ヤマザクラの位置からも姿が見えます。 初めて目にしたタイプの送電鉄塔かもしれません。 構造は鋼管単柱であり、地下に送電ケーブルを柱に内蔵して引き込んでいる、というタイプ。 珍しくないですか?。 調べてみると、小山変電所を経てくる送電線路のひとつで、 城山公園に隣接した本郷町変電所へ地下で繋いでいるらしい。
最後に、この送電鉄塔から地中送電となった理由について。 近くの本郷町変電所まで架空送電にしたほうが、建設費も維持費も安く済みそうなのに何故?。 それは、城山公園の景観を損ねないためではないでしょうか。 小山市を代表する史跡の上空を、送電線で遮るという無粋を回避するため。 そして建てる位置を堀切の底とし、鉄塔自体をなるべく目立たないようにしている。 そう勝手に納得して感心しました (事実か不確)。
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