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    練貫のエノキ

    巨木の写真

    撮影日:2016.09.15 【01】田園に映える見事な大エノキ、古道の塚で集落を見守ってきた 練貫のエノキ-01
    【02】 練貫のエノキ-02
    【03】 練貫のエノキ-03
    【04】 練貫のエノキ-04
    【05】 練貫のエノキ-05
    【06】 練貫のエノキ-06
    【07】 練貫のエノキ-07
    【08】 練貫のエノキ-08
    【09】 練貫のエノキ-09
    【10】 練貫のエノキ-10
    【11】 練貫のエノキ-11
    【12】 練貫のエノキ-12
    【13】 練貫のエノキ-13

    巨木の基本情報

    巨木の名前 練貫のエノキ (鴻の巣庚申塚のエノキ) [2]
    樹種 エノキ (榎)
    幹周 4.30m [1], 5.90m [2]
    樹高 23.0m [1][2]
    推定樹齢 170年 [1][2]
    特徴 球形の樹冠、板状の根の隆起
    保護指定 おおたわら令和の名木 (第10号)
    所在地 栃木県大田原市練貫
    所在施設 市有地
    撮影日・状態 2016.09.15 : 目立つ損傷なく樹勢良し、風当りが強い立地だが樹冠は大きく整っている
    アクセス
    東北道・西那須野塩原ICから約12km
    電車 JR東北本線・那須塩原駅から約3km
    参考情報 ■現地解説板
     [1] おおたわら名木    :内容は下記雑記の写真02を参照
     [2] 金田北部地区の案内板 :内容は下記雑記の写真03-04を参照
    ■外部ウェブサイト
     [3] 大田原市ホームページ :当巨木の情報あり
     [4] 巨樹巨木林データベース:当巨木は未登録 (2016年時点)
     [5] 今昔マップ      :埼玉大学教育学部教授、谷謙二氏の新旧の地図を比較閲覧できるサイト
    ■少遠景の記録
     [6] 雲巌寺のスギ     :大田原市内、八溝山の西麓にある禅宗の古刹
     [7] 高性寺のカヤ     :大田原市内で最古級の巨木

    巨木と雑記.田園の美しい一本エノキ

     大田原市の北西部、那須塩原駅寄りの田園地帯にポツンと一本ある巨木。 のどかな広い田園を舞台に、好天なら日光や那須の山々を背景とできる優れたロケーション。 この大エノキの姿も格好良く決まっていて、球形の端正な樹冠をつくっています。 板状に隆起した根元も逞しい。 この場所と大エノキをすっかり気に入ってしまいました。 また訪れたい。

    cm-練貫のエノキ-01 【01】広い田園に映える姿の一本エノキ。 標木 (後述) として植えられたらしく、今でも遠くからよく目立つ。田植えの時期に再訪してみたい。
    cm-練貫のエノキ-02 【02】これは2016年時点の旧解説板。2020年に新しいものに取替えられた (写真なし)。 新解説板での主な変更点は名称と幹周など (名称:練貫のエノキ、幹周:5.9m)。
    cm-練貫のエノキ-03 【03】練貫のエノキの傍らにある金田北部地区の案内板より。 拡大画像は左側のもの。
    cm-練貫のエノキ-04 【04】金田北部地区の案内板の右半分。

    巨木と雑記.エノキの由来について

     遠くから目立つ広い田園の独立木。 その由来が気になるところです。 エノキは街道の一里塚などの標木としてよく植えられる樹種。 この大エノキも道標などとして植えられたのかも。 昔の様子を知るべく今昔マップ [5] で調べてみました。 現在と過去の国土地理院地図を見比べることができるサイト。 そこで大エノキの周辺図を現在のものと 明治42年、昭和4年、昭和52年、平成7年のものと見比べみました。 そして分かったのは、やはり傍らには道があったこと。

    cm-練貫のエノキ周辺地図-01 【01】今昔マップ [5] より抜粋した大エノキの周辺地図。 右が現在で左が明治42年。かつて大エノキの傍らには辻、十字路があった。
    cm-練貫のエノキ周辺地図-01 【02】左上が昭和4年、左下が昭和52年、右上が平成7年、右下が現在。 やがて辻では無くなり、鴻巣から南の木曽畑中を結ぶ道もなくなる。 相之川の流路も変わり水田に囲まれるのみとなった。


     かつて練貫のエノキの傍らには辻、集落どうしを結ぶ道の交わりがあった。 根本には寛政12年 (1800) の銘ある庚申塔が置かれている。 そして近年までの旧称は「鴻の巣庚申塚のエノキ」。 辻の塚に標木として植えられたのでしょう。 明治42年の地図には、辻の中央に空間があり、そこにそびえ立っていたか。 当時は今より周囲の地表が低そうなので、より遠くから目立ったことでしょう。 やがて昭和後期に入ると、周辺は整備され水田地帯として拡大。 標木たる由縁の古道は消えても、大切にされ当地を見守ってきた雄姿は健在。 田園に映える素晴らしい大エノキで在り続けています。