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雲巌寺のスギ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 雲巌寺のスギ [1] |
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樹種 | スギ (杉) | |||
幹周 | 5.88m [1], 5.20m [2] | |||
樹高 | 39.6m [1], 32.0m [2] | |||
推定樹齢 | 550年 | |||
特徴 | 真っ直ぐな単幹 | |||
保護指定 | 大田原市指定天然記念物 | |||
所在地 | 大田原市雲岩寺 | |||
所在施設 | 雲巌寺 | |||
撮影日・状態 | 2016.09.15 : 目立つ損傷なく樹勢良し、根本を竹を組んだ柵が囲っている | |||
アクセス | ||||
車 | 東北道・矢板ICから約35km、西那須野塩原ICから約31km | |||
電車 | JR東北本線・那須塩原駅から約24km | |||
バス | 那須塩原駅の東口から大田原市営の雲巌寺線を利用 | |||
参考情報 | ■外部ウェブサイト [1] 大田原市ホームページ :当巨木の情報あり [2] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (1988年度の調査記録) [3] ウィキペディア :雲巌寺の由緒について参照 ■少遠景の記録 [4] 練貫のエノキ :大田原市内、田園の中にポツンと一本ある巨木 [5] 高性寺のカヤ :大田原市内で最古級の巨木 |
巨木と雑記
大田原市の東部に広がる八溝山地。 最高地点の主峰は標高1022m、茨城県 (大子町) との境にそびえています。 主峰から南西の山麓にある霊場が雲巌寺 [1] [3] 。開山当時の鎌倉時代には、筑前・聖福寺、越前・永平寺、紀州・興国寺と並び、 禅宗の四大道場と称されました。 参道入口にそびえる大スギから先は、まるで別天地の観。 現役の修行場である境内は、とても静謐で厳かな雰囲気です。 伽藍は一列に並ぶ山門・仏殿・方丈を中心とした配置。 格調高い堂塔は豊かな自然林と武茂川の清流に調和。 幽玄なる境地に佇むじつに風雅な禅宗の名刹です。
雲巌寺の由緒について [1] [3] 。宗派は臨済宗妙心寺派。 山号は東山。 はじまりは平安時代後期の大治年間 (1126-1131) の頃。 当地を霊場として見出した初叟元による開山とされます。 その後、弘安6年 (1283) に仏国国師こと高峰顕日が、臨済宗の寺院として再興開山。 顕日の出自は嵯峨天皇の第2皇子。 出家した後に高名な渡来僧の兀庵普寧と無学祖元に師事。 鎌倉建長寺などの大寺院の住持を歴任、晩年は雲巌寺に戻りました。 顕日は関東禅林の興隆に大いに貢献したとされる僧。 彼により雲巌寺は禅宗の四大道場と称されるに至ったのです。 時代はくだって戦国時代の天正6年 (1578)。 住職が無住妙徳のとき臨済宗妙心寺派に改宗。 天正18年 (1590)、豊臣秀吉による小田原征伐のとき。 当地域を領した那須氏第21代当主の資晴は、 秀吉に恭順しなかったので居城 (鳥山城) を攻められたうえ改易。 このとき雲巌寺も戦火に遭い伽藍が焼けるも、数年後に再建されたそうです。 江戸時代の元禄2年 (1689)。 俳聖松尾芭蕉が、奥の細道紀行の途中で雲巌寺に立ち寄りました。 その時に詠んだ句は「木啄も 庵はやぶらず 夏木立」。 芭蕉にとって雲巌寺は所縁のあるお寺。 禅の師匠である仏頂禅師が修行した地なのです。 師匠の草庵にはキツツキでも嘴を向けない。 師匠への尊敬の念が感じられる句ですね。
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