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    岩槻城跡のケヤキ

    巨木の写真

    撮影日:2024.09.26 【01】県指定史跡である岩槻城跡の新曲輪の堀に根差すケヤキ 岩槻城跡のケヤキ-01
    【02】 岩槻城跡のケヤキ-02
    【03】 岩槻城跡のケヤキ-03
    【04】 岩槻城跡のケヤキ-04
    【05】 岩槻城跡のケヤキ-05

    巨木の基本情報

    巨木の名前 岩槻城跡のケヤキ [1][6]
    樹種 ケヤキ (欅)
    幹周 4.00m [1][6][7]
    樹高 20.0m [1][6][7]
    推定樹齢 不明
    特徴 傾斜地 (堀)、中腹から双幹
    保護指定 さいたま市指定天然記念物
    所在地 埼玉県さいたま市岩槻区太田3丁目
    所在施設 岩槻城址公園
    撮影日・状態 2024.09.26 : 目立つ損傷なく樹勢は良い様子、周囲は下草が繁茂
    アクセス
    東北道・岩槻ICから約4km
    電車 東武野田線・岩槻駅から約2km
    参考情報 ■現地資料
     [1] 岩槻城跡のケヤキ   :解説板、内容は下記雑記の写真01を参照
     [2] 岩槻城跡の概要説明  :解説板、内容は下記雑記の写真02-05を参照
     [3] 岩槻城黒門と裏門   :解説板、内容は下記雑記の写真07と写真09を参照
     [4] 堀障子        :解説板、内容は下記雑記の写真11を参照
     [5] 特急電車きぬ号    :解説板、内容は下記雑記の写真14を参照
    ■外部ウェブサイト
     [6] さいたま市ホームページ:当巨木と岩槻城跡の情報あり
     [7] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録)
    ■少遠景の記録
     [8] 光秀寺のカヤノキ   :さいたま市岩槻区、風格あるカヤの老樹
     [9] 正蔵院のイチョウ   :さいたま市岩槻区、本堂前のイチョウは岩槻区では最大とみえる

    巨木と雑記

     さいたま市の東側に広がる岩槻区。 そのほぼ中央に位置するのが、元荒川に接した岩槻城址公園です。 県指定史跡である岩槻城跡 [2] [6] の新曲輪と鍛冶曲輪の跡地に拓かれた公園であり、 土塁や空堀などの遺構が保たれている。 新曲輪の南西端にあたる堀に面して、一本のケヤキの巨木が根差しています。 散策する際は注目してみてください。 ちなみに、本丸・二之丸・三之丸などの主郭部は、 ここから北西、現在は住宅地となった本丸1~4丁目あたりに在りました。

     室町時代後期、岩槻城を築城したのは、太田道灌または父の道真とする説があり、 当初は太田氏の居城でした。 永禄10年 (1567) になると小田原北条氏の支配となり、 城郭は更に増強され、新曲輪と鍛冶曲輪が配されたという。 天正18年 (1590)、豊臣秀吉の小田原攻めにより、岩槻城も攻められ落城。 同年、徳川家康が江戸に入り、家臣の高力清長が城主となる。 以後、江戸時代は譜代大名が城主となり、江戸北方の守りの要とされました。 明治維新後に廃城となり、宅地化と公園化され現在に至ります。

    cm-岩槻城址公園-01 【01】ケヤキの解説板。
    cm-岩槻城址公園-02 【02】岩槻城の概要と縄張図の解説板。 公園化された新曲輪・鍛冶曲輪の北西、沼を囲んで主郭が在った。 武家屋敷や城下町の全体が大構で囲まれていた。
    【03】 cm-岩槻城址公園-03
    【04】 cm-岩槻城址公園-04
    【05】 cm-岩槻城址公園-05
    【06】 cm-岩槻城址公園-06
    【07】 cm-岩槻城址公園-07
    【08】 cm-岩槻城址公園-08
    【09】 cm-岩槻城址公園-09
    【10】 cm-岩槻城址公園-10
    【11】 cm-岩槻城址公園-11
    【12】 cm-岩槻城址公園-12
    【13】 cm-岩槻城址公園-13
    【14】 cm-岩槻城址公園-14