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    権現堂桜堤と巨木

    巨木の写真

    撮影日:2024.04.08 【01】河川敷の菜の花畑から、桜並木に突出したヒマラヤスギの樹冠 権現堂桜堤-01
    【02】 権現堂桜堤-02
    【03】 権現堂桜堤-03
    【04】 権現堂桜堤-04
    【05】 権現堂桜堤-05
    【06】 権現堂桜堤-06
    【07】 権現堂桜堤-07
    【08】 権現堂桜堤-08
    【09】 権現堂桜堤-09
    【10】 権現堂桜堤-10
    【11】 権現堂桜堤-11
    【12】 権現堂桜堤-12
    【13】 権現堂桜堤-13

    巨木の基本情報

    巨木の名前 権現堂桜堤のヒマラヤスギとエノキ
    幹周 ヒマラヤスギ:4.10m (実測)
    エノキ   :3.80m (実測)
    樹高 ヒマラヤスギ:不明 (30m前後)
    エノキ   :不明 (15m以上)
    推定樹齢 不明
    保護指定 不明
    所在地 埼玉県幸手市内国府間
    所在施設 権現堂公園 (4号公園内)
    撮影日・状態 2024.04.08 : 双方とも目立つ損傷なく樹勢良し、エノキは根本の側幹を含めた幹周は5m近くなる
    アクセス
    圏央道・幸手ICから約5km、東北道・久喜ICから約9km、加須ICから約10km
    電車 東武日光線・幸手駅から約3km
    バス 幸手駅から五霞町役場行きの路線に乗車、権現堂で下車 (桜開花中は直通の臨時バスあり)
    参考情報 ■外部ウェブサイト
     [1] 幸手市ホームページ  :権現堂桜堤、権現堂川の歴史など参考
     [2] 権現堂公園ホームページ:公園の概要や施設など参考
     [3] 巨樹巨木林データベース:当巨木は未登録 (2024年4月時点)
    ■少遠景の記録
     [4] 天神島天神社のケヤキ :幸手市、市街地の南部、城跡に残る古社
     [5] 臨川庵の地蔵イチョウ :幸手市、江戸川沿いにある御堂、幹に地蔵が彫られている

    巨木と雑記

     埼玉県の北東端に位置する幸手市 [1] 。江戸時代には、日光街道と日光御成街道が交差する宿場として栄えたところ。 現在も比較的にアクセスはし易く、国道4号線・圏央道・東武日光線などの沿線です。 そして市内には桜の名所、 権現堂公園 [2] があります。公園は4つの区域があり、桜並木があるのは中川の右岸に接した4号公園。 堤防上には約1000本ものソメイヨシノが1kmにわたり植栽。 河川敷には広大な菜の花畑がつくられ、長大な桜並木との共演が、じつに美しく壮観です。 私もよく訪れている、県内屈指の春の観光名所。

     権現堂桜堤には異色の存在があります。 桜並木の中央部に突出した濃緑の尖塔、一本のヒマラヤスギ。 当美景の特徴となりアクセントにもなる存在です。 幹周は4mと少しあり、背は高く堂々たる立姿。 この樹種では県内最大級とみえます。 他にも桜並木の中には、石碑の近くにエノキの巨木も一本。 桜に包まれた巨木も風流、立ち寄ってみてください。

     以下、早朝の権現堂桜堤の様子です。

    cm-権現堂桜堤-01 【01】撮影日は2024年4月8日の早朝。天気は雨天。 青空が欲しいところだが、濡れた空気も情緒がある。 (写真05-08-12-13の4枚は2019年4月4日)
    【02】 cm-権現堂桜堤-02
    【03】 cm-権現堂桜堤-03
    【04】 cm-権現堂桜堤-04
    【05】 cm-権現堂桜堤-05
    【06】 cm-権現堂桜堤-06
    【07】 cm-権現堂桜堤-07
    【08】 cm-権現堂桜堤-08
    【09】 cm-権現堂桜堤-09
    【10】 cm-権現堂桜堤-10
    【11】 cm-権現堂桜堤-11
    【12】 cm-権現堂桜堤-12
    【13】 cm-権現堂桜堤-13



     続いて以下、ライトアップされた権現堂桜堤の様子です。

    cm-権現堂桜堤・夜桜-01 【01】権現堂桜堤のライトアップ。撮影日は2019年4月4日、時刻は19時あたり。
    【02】 cm-権現堂桜堤・夜桜-02
    【03】 cm-権現堂桜堤・夜桜-03
    【04】 cm-権現堂桜堤・夜桜-04
    【05】 cm-権現堂桜堤・夜桜-05
    【06】 cm-権現堂桜堤・夜桜-06
    【07】 cm-権現堂桜堤・夜桜-07
    【08】 cm-権現堂桜堤・夜桜-08
    【09】 cm-権現堂桜堤・夜桜-09



     権現堂桜堤の歴史について [1] [2] 。まずは中川と合流していた権現堂川について。 利根川の分流であり、東の下流で江戸川と繋がり、 当地に舟運の宿場としての繁栄をもたらした。 しかし、暴れ川で氾濫が度々起こり、多くの村民たちが犠牲となる。 ひどいときには、天下の大江戸にまで浸水が及んだそうです。 やがて最終的には、治水のために廃川とされる。 昭和元年 (1926)、流頭の利根川にある川妻地先 (地図リンク) を締め切る。 そして翌年、下流の江戸川にある西関宿地先 (地図リンク) を締め切り、廃川となりました。 なお、上流部分は行幸湖こと、権現堂調節池として活用されています。

     権現堂堤に桜が植栽され始めたのは大正9年 (1920) の頃から。 約3000本が6kmにわたって植えられたという。 時代は昭和に入ると桜は成長、花見の名所として大勢の人々で賑わうように。 戦後は燃料として多くが伐採されてしまうが、昭和24年 (1949) に再び植栽。 それが現在残っている約1000本です。 昭和63年 (1988) から河川敷に菜の花の作付け。 後に堤には、紫陽花・曼殊沙華・水仙なども植え付け、 四季を通して花が楽しめるようになりました。 平成20年 (2008) に県営公園となり、キレイに整備されて現在に至ります。

     おわりにページトップの巨木の写真に写っている、 記念碑と供養塔の説明について。

    【 巡礼供養塔 】
     昭和8年 (1933) の建立。題字は文部大臣の鳩山一郎。 享和2年 (1802) に権現堂堤が決壊したとき、
     人柱となった巡礼者親子の供養。 および、明治32年 (1899) の決壊の際、水防活動の殉職者を供養。
    【 巡礼の碑 】
     昭和11年 (1936) の建立。 表面に画家の結城素明の作による、巡礼親子の絵図。
     裏面に「治水犠牲者人柱 巡礼供養之碑」と銘ある。
    【 権現堂川用水記念碑 】
     昭和8年 (1933) の建立。 中川より取水する樋管と農業用水路が完成したことの記念碑。
     樋管は桜堤の真下を通り、土木遺産となっている。
    【 矢嶋健八郎君碑 】
     昭和5年 (1930) の建立。題字は文部大臣の田中隆三。
     権現堂川で溺れた学友を救助中に亡くなった、粕壁中学校3年生の矢嶋健八郎君の供養。