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月輪神社のスギ
巨木の写真
巨木の基本情報
| 巨木の名前 | 月輪神社のスギ (仮) |
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|---|---|---|---|---|
| 樹種 | スギ (杉) | |||
| 幹周 | スギA木:4.05m [5], 4.10m (実測) スギB木:4.09m [5], 4.28m (実測) | |||
| 樹高 | スギA木:28.0m [5] スギB木:28.0m [5] | |||
| 推定樹齢 | 不明 | |||
| 保護指定 | 不明 | |||
| 所在地 | 月輪神社 (埼玉県比企郡滑川町月輪) | |||
| 撮影日・状態 | 2025.08.24 : 両木とも樹勢は良い様子、B木は頭頂部枝折れ (周囲の道路など離れた位置から見える) | |||
| アクセス | ||||
| 車 | 関越道・東松山ICから約5km、嵐山小川ICから約7km | |||
| 電車 | 東武東上線・つきのわから約1km、森林公園駅から約2km | |||
| 参考情報 | ■現地資料 [1] 月輪神社の由緒 :解説板、内容は下記、月輪神社の雑記の写真04を参照 [2] 月輪神社の獅子舞 :解説板、内容は下記、月輪神社の雑記の写真05を参照 [3] 勢至堂の由緒 :解説板、内容は下記、勢至堂の雑記の写真02を参照 ■書籍 [4] 埼玉巨樹紀行 :著者・大久根茂、ISBN4-902615-03-7 ■外部ウェブサイト [5] 滑川町ホームページ :月輪神社と福正寺勢至堂の由緒について参考 [6] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録) [7] ウィキペディア :九条兼実 (月輪殿) について参考 [8] 国立国会図書館 :デジタルコレクションより大日本老樹名木誌の「勢至堂ノ大欅」を参照 ■少遠景の記録 [9] 菅谷神社のスギ :嵐山町で近辺、地元に愛される武将、畠山重忠により勧請された神社 [10] 大宮氷川神社の社叢 :さいたま市、武蔵国一宮、長い参道と広大な境内から様々な巨木を紹介 [11] 幸福寺のサイカチ :久喜市、本多静六博士の資料館についても紹介 | |||
巨木と雑記.月輪神社
町域の北部に国営武蔵丘陵森林公園のある滑川町。 人口の集中する南部の街中には「月の輪・月輪」という地区があります。 この珍しい名称の地にある鎮守が月輪神社 [1] 。社伝によると和銅2年 (709) に大宮氷川神社 [10] から分霊を勧請。建久9年 (1198) に公卿の月輪兼実の霊を合祀し、 氷川大明神と称した。明治期に入って現在社号に改めたそうです。 (月輪兼実については後述) スギの大木に包まれ鬱蒼とした月輪神社の境内。 円墳上に築かれたような社殿、その周囲にも大きなものが多い。 特に目を引くのは、南へ伸びた参道の両側に立ち並ぶ2本 (AB木) です。 両木とも同等の太さで背が高く、相重なる立姿には威厳があります。 神社と隣接する福正寺勢至堂に参拝される方も、注目してみてください。
月輪神社の御祭神の一柱である月輪兼実について。 鎌倉末期から平安初期の公卿であった九条兼実 [7] のこと。五摂家の一つである九条家の祖であり、 摂政・関白・太政大臣を歴任した最高位の公卿。 兼実が執筆した日記「玉葉」は、高度な見識により当時の社会情勢が的確に記され、 後世に多大な影響を与えた一級資料です。 その兼実は月輪殿とも称されました。 名前の由来は、墓所のある京都の東福寺 (地図リンク) から東の丘陵に築いたという、山荘の名称であるそうです。 さて、九条兼実と月輪神社の繋がり。 当地は九条家が領する荘園 [5] のひとつでした。 だから領地経営も兼ねて交流があり、代官や領民に敬われのでしょう。 月輪神社の北に隣接する福正寺の勢至堂 (後述) は、兼実による建立と伝わります。 兼実は存命のうちに祭神となり、やがて地名となりました。
巨木と雑記.福正寺勢至堂
月輪神社の北側に隣接する福正寺 [3] [5] 。比企西国三十三所観音霊場の23番札所。 九条兼実 (月輪殿) から保護され、境内の勢至堂は建久7年 (1196) に建立。 兼実が尊崇礼拝していた勢至菩薩が安置されていると伝わります。 後に勢至堂は文禄年間 (1592-96) と嘉永2年 (1849) に再建。 昔は福正寺が月輪神社の別当であったようにみえます。 ここで祀られている勢至菩薩は、眷属がウサギ (兎) という特徴があります。 須弥壇の四方には、ウサギの彫刻が施されているそうです。 また、狛犬も獅子ではなくウサギの姿。 勢至菩薩は午年の守り本尊とされますが、卯年の人も期待できそうです。
おわりに、かつて勢至堂の傍らに根差していた大ケヤキについて。 大久根茂氏の著書、埼玉巨樹紀行 [4] にて知ることができました (119ページ目)。 御堂の左側には、幹周10mにも達する大ケヤキが根差していたが、 大正6年 (1917) 6月30日に倒れた後に伐採。 以前から樹勢が衰えていて、明治15年 (1882) に火災に遭っていたという。 埼玉巨樹紀行には伐採される直前の写真が掲載され、大きさが実感できます。 現在、跡地に植えられた2代目が、成長して枝を広げています。 なお、勢至堂の大ケヤキは、大日本老樹名木誌にも記録があります。 林学博士の本多静六氏 [11] が、全国の巨木の調査記録まとめたもので、大正2年に発行されました。 国立国会図書館デジタルコレクション [8] にて閲覧可能。 該当ページの検索キー、永続的識別子とコマ番号は「951274 / 137」。 【 補足・大日本老樹名木誌の記録 】 ・番号:972 (紹介する巨木の順番) ・項 :247 (ページ) ・名称:勢至堂ノ大欅 ・所在:埼玉県比企郡宮前村大字月輪、勢至堂境内 ・周囲:3丈5尺 (地上5尺) ⇒ 約10.61m ・樹高:10間 ⇒ 約18.18m ・樹齢:不詳 ・伝説:古来都幾山七木ノ一ト称セラル
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