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長慶寺のイチョウ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 長慶寺のイチョウ (仮) |
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樹種 | イチョウ (公孫樹) | |||
幹周 | 5.54m (実測) | |||
樹高 | 不明 (20m以上) | |||
推定樹齢 | 570年 [3] | |||
特徴 | 単幹、箒状の樹冠 | |||
保護指定 | 不明 | |||
所在地 | 埼玉県熊谷市西城 | |||
所在施設 | 長慶寺 (浄瑠璃山薬樹院) | |||
撮影日・状態 | 2023.10.03 : 目立つ損傷なく樹勢良し、実の生らない雄樹 | |||
アクセス | ||||
車 | 東北道:加須ICから約27km、羽生ICから約22km、館林ICから約23km 関越道:東松山ICから約27km、花園ICから約24km | |||
電車 | 熊谷駅 (JR湘南新宿線・JR高崎線・秩父本線) から約8km | |||
参考情報 | ■現地解説板 [1] 長慶寺本堂・薬師堂・厨子:内容は上記の写真03を参照 [2] 僧形庚申塔 :内容は上記の写真05を参照 ■外部ウェブサイト [3] 長慶寺ホームページ :由緒・薬師堂・本堂について参考 [4] 巨樹巨木林データベース :当巨木は未登録 (2023年10月時点) [5] ウィキペディア :中島飛行機株式会社について ■少遠景の記録 [6] 妻沼聖天山のケヤキ :熊谷市の妻沼地区、日本三大聖天のひとつ、本殿の聖天堂は国宝 [7] 長昌寺のスダジイ :熊谷市の妻沼地区、妻沼聖天山を開基した斎藤実盛の手植えとの伝承 [8] 国性寺のカヤ :熊谷市の北部地区で近辺、境内に市内最古の板石塔婆あり |
巨木と雑記
熊谷市街地と妻沼地区の間にある北部地区。 当地の福川に接した西城にある古刹が長慶寺 [3] 。南北朝時代の永和2年 (1376)、慶弘上人による開創で、 本尊は行基菩薩お手彫りの薬師如来像とされます。 薬師堂は享保18年 (1733) の建立。 御本尊を収める厨子と本堂も同年代の建立と見られ、 ともに市の有形文化財。これら御堂は、後に妻沼聖天山 [6] の聖天堂の建立を主導した職人たちによるもの。 大工棟梁の林兵庫正清、 上州花輪村 (群馬県桐生市黒保根町) の彫刻師集団の棟梁の石原吟八郎などとされます。 国宝である聖天堂の礎となったであろう、格調高い御堂を有する長慶寺。 古くから当地の信仰の中心的存在であったことが窺えます。
長慶寺のイチョウについて。 熊谷市内にあるイチョウの中では、特に大きく凛々しいものとみえます。 歴史的な建物である、薬師堂と重なる姿が映えるのも良い。 また北側の根本からは、巨人の腕のように立ち昇る樹冠を見仰ぐことができます。 この見事なイチョウについて、和尚様からお話を伺う機会を得ました。 その中で印象的だったのは、飛行場の目印になっていたこと。 大戦時のこと。 利根川を挟んで北側、現在の群馬県大泉町には飛行場がありました。 昭和16年 (1941) に完成した、中島飛行機株式会社 [5] の太田飛行場。中島飛行機は現在のSUBARU自動車と日産自動車の前身。 戦時中は数多くの戦闘機を製造し、 代表的なものに隼 (キ43/一式戦闘機)、疾風 (キ84/四式戦闘機) など。 また三菱重工が開発したゼロ戦こと零式艦上戦闘機も、大量にライセンス生産していました。 跡地は現在のSUBARU群馬製作所大泉工場 (地図リンク) 。近郊の拠点工場である太田製作所 (太田市側) と小泉製作所から大量に送られ、 試験飛行の後に前線へ飛び立っていったのです。 かつての太田飛行場のパイロットたちにとって、 長慶寺のイチョウは目印になったという。 利根川を挟んでちょうど真南にあたるので、この方角からはよく目立ったのでしょう。 田園地帯の古刹にそびえ立つ大イチョウは、パイロットたちにどう映ったか。 郷土の美しさと無事帰投できる喜びを感じつつ、 任務の達成や生還を祈願していたのかもしれません。
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