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  • 巨木TOP / 茨城 / 一ノ矢八坂神社のケヤキ

    一ノ矢八坂神社のケヤキ

    巨木の写真

    撮影日:2022.11.05 【01】筑波研究学園都市の鎮守に根差す大ケヤキ 一ノ矢八坂神社のケヤキ-01
    【02】ケヤキ (A) 一ノ矢八坂神社のケヤキ-02
    【03】ケヤキ (A) 一ノ矢八坂神社のケヤキ-03
    【04】ケヤキ (A) 一ノ矢八坂神社のケヤキ-04
    【05】ケヤキ (A) 一ノ矢八坂神社のケヤキ-05
    【06】ケヤキ (A) 一ノ矢八坂神社のケヤキ-06
    【07】ケヤキ (A) 一ノ矢八坂神社のケヤキ-07
    【08】ケヤキ (B) 一ノ矢八坂神社のケヤキ-08
    【09】ケヤキ (B) 一ノ矢八坂神社のケヤキ-09
    【10】イチョウ 一ノ矢八坂神社のケヤキ-10
    【11】イチョウ 一ノ矢八坂神社のケヤキ-11
    【12】岩大日社 一ノ矢八坂神社のケヤキ-12
    【13】岩大日社 一ノ矢八坂神社のケヤキ-13

    巨木の基本情報

    巨木の名前 一ノ矢八坂神社のケヤキ (仮)
    幹周 A:5.50m [3], 6.65m (実測)
    B:7.40m [3],
    樹高 A:25.0m [3]
    B:20.0m [3] (現在は10mくらい)
    推定樹齢 不明
    特徴 単幹、板状に隆起した根元
    保護指定 不明
    所在地 茨城県つくば市玉取
    所在施設 一ノ矢八坂神社
    撮影日・状態 2022.11.05 : 周囲に低木類が茂り藪状態、ケヤキAは樹勢良好、ケヤキBは損傷が大きい
    アクセス
    常磐道:谷田部ICから14km、土浦北ICから約11km
    圏央道:常総ICから約16km、つくば中央ICから約10km
    電車 つくばエクスプレス・つくば駅から約6km、JR常磐線・土浦駅から約12km
    バス 「つくばセンター」か「土浦駅東口」から「テクノパーク大穂」行の路線、一ノ矢交差点で下車
    参考情報 ■現地資料
     [1] 一ノ矢八坂神社の由緒 :解説板、内容は下記雑記の写真04と写真05を参照
    ■外部ウェブサイト
     [2] 一ノ矢八坂神社    :神社ホームページ、由緒など参考
     [3] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録)
    ■少遠景の記録
     [4] 筑波山神社の社叢   :つくば市、御神木の他のスギやスダジイなど多数
     [5] 筑波山の巨木たち   :つくば市、山中の巨木群、スギの他にブナ、シラカシ、モミなど

    巨木と雑記.研究学園都市の鎮守の森

     つくば市の中央部。 筑波大学や様々な研究機関の施設が並ぶエリア。 まさに研究学園都市と呼ぶに相応しい景観が広がっています。 筑波大学キャンパスの北区に、県道55号を挟んで接している古社が、 一ノ矢八坂神社 [1][2] 。平安時代の創建と伝わる当地の鎮守です。 広い境内にはケヤキをはじめ、スギやイチョウなどの大木が林立。 背筋の伸びる厳かな空気に包まれています。 筆頭となる巨木は、二之鳥居のすぐ左側にそびえ立っていた大ケヤキ。 幹周は10mほどもあるという、県内最大かもしれないケヤキでしたが、 残念ながら既に枯死。2012年に倒壊してから撤去され、現在は跡形もありません。 それでも境内には、まだ幹周7mほどの大ケヤキが2本残っています。

     現存する2本の大ケヤキ。 まずは二之鳥居から右に少し離れた位置にたつケヤキ (A)。 背が高く太い幹は、道路上からも目立つ存在です。 板状に発達肥大した根本が、じつに力強く逞しい。 2本目は二之鳥居から左、イチョウのとなりにあるケヤキ (B)。 主幹上部を失い背が低いのですが、こちらの方が太く根本に迫力がある。 なお根本の損傷が大きいため、幹周は実測しませんでした。 一ノ矢八坂神社、巨樹に包まれた研究学園都市の素晴らしい鎮守の森です。

    cm-一ノ矢八坂神社-01 【01】一之鳥居の前。参道左手には森が広がっている。
    【02】 cm-一ノ矢八坂神社-02
    【03】 cm-一ノ矢八坂神社-03
    【04】 cm-一ノ矢八坂神社-04
    【05】 cm-一ノ矢八坂神社-05



     おわりに一ノ矢八坂神社の由緒について [1][2] 。祭神は素戔嗚尊。 創立は平安時代初期の貞観年間 (859-877) の頃。 山城国愛宕郡より勧請したと伝わる (京都市東山区の八坂神社総本社)。 平安時代中期、藤原秀郷により崇敬。 天慶年間 (938-947)、平将門の乱を平定した後に弓矢が奉納された。
     鎌倉時代、有力御家人である八田和家が常陸国守護となり、当地は所領の一部となる。 以後、子孫の小田氏から代々崇敬された。 室町時代の末期。 永禄年間 (1558-1570) から 天正年間 (1573-1592) の始め頃まで続いた、 小田氏の戦乱により社殿が焼失。 文禄年間 (1592-1596) に再建された。
     江戸時代。 延宝4年 (1676)、常陸国玉取藩の3代藩主、堀通周によって本殿が再建。 宝永8年 (1711)、堀利寿により拝殿が再建。 2棟とも現存する古建築、県と市の指定文化財。

     続いて一ノ矢という地名について。 地名にまつわる伝説があります。 内容をまとめると、昔、友永という勇士が弓で三本足の鳥 (カラス) を仕留めた。 矢は三射目で当たり、外れたうち一射目の矢が落ちたのが当地であった。 このため当地が一ノ矢と呼ばれるようになった、というもの。 三本足のカラスといえば八咫烏。 日本神話に登場し日本武尊を導いた神の御使いであり、太陽の化身ともされている。 縁起が良いものとされ、近年では日本サッカー協会および、 代表選手ユニホームのエンブレムにもなっています。 八咫烏には神聖なイメージを持っていたので、撃墜されている話に少し驚きました。 社名や地名となっていることで、供養されていることでしょう。