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    雨引観音の宿椎

    巨木の写真

    撮影日:2019.12.11 【01】多くの参拝者を脅かせるであろう威容の大シイ 宿椎-01
    【02】 宿椎-02
    【03】 宿椎-03
    【04】 宿椎-04
    【05】 宿椎-05

    巨木の基本情報

    巨木の名前 宿椎 (根本の標石)
    樹種 スダジイ(すだ椎)
    幹周 7.48m [2]
    樹高 15.0m [2]
    推定樹齢 不明
    特徴 東西の双幹、根本より太く立ち昇る幹
    保護指定 桜川市指定天然記念物
    所在地 茨城県桜川市本木
    所在施設 雨引山楽法寺(雨引観音)
    撮影日・状態 2019.12.11 : 斜面下側(南)に傾いている、空洞あり、全体的に樹勢は良い様子に見える
    アクセス
    北関東自動車道・桜川筑西ICから約8㎞
    電車 JR水戸線・岩瀬駅から約7㎞
    バス 岩瀬駅より市営バス「ヤマザクラGO」利用、平日・本木、休日・雨引観音まで
    参考情報 ■現地資料
     [1] 雨引観音の歴史・文化財:内容は下記の写真04を参照
    ■外部ウェブサイト
     [2] 巨樹巨木林データベース:宿椎の登録あり(2000年度の調査記録)
     [3] 雨引観音ホームページ :由緒、境内案内、行事など各種情報あり
    ■少遠景の記録
     [4] 小山寺の大杉     :桜川市内、富谷観音こと小山寺のスギ巨木
     [5] 八柱神社のケヤキ   :桜川市内、個性的な対姿のケヤキ巨木
     [6] 薬王院のスダジイ樹叢 :桜川市内、筑波山西山麓の古刹、三重塔あり

    巨木と雑記.雨引山楽法寺

     関東平野のランドマークたる霊峰の筑波山。 北には長い山脈が伸びていて、加波山を越えた先にある峰が雨引山(409m)。 山腹には勅願寺とされた古刹、雨引観音こと楽法寺が開かれています。 創建初期の頃、推古天皇の病気平癒、 聖武天皇と光明皇后の安産祈願の結願を成就。 古くから延命、安産子宝に霊験あらたかな神社として信仰されています。 広い境内には、仁王門、本堂、多宝塔をはじめ江戸時代に建立された、荘厳な堂塔が建ち並ぶ。 現在は坂東観音霊場第24番札所として、 桜や紫陽花の名所としても、多くの人が参詣しています。 参道には見事なスダジイもあり、巨木好きにも嬉しい名刹。 以下、境内の様子です。 [1][3]

    cm-雨引観音-01 【01】大きな仁王門。天和2年(1628)の再建。県指定重要文化財。
    【02】本堂 cm-雨引観音-02
    【03】多宝塔 cm-雨引観音-03
    【04】解説板 cm-雨引観音-04
    【05】孔雀 cm-雨引観音-05
    【06】展望 cm-雨引観音-06
    【07】雨引山 cm-雨引観音-07
    【08】雨引山 cm-雨引観音-08
    【09】雨引山 cm-雨引観音-09


     以下、雨引観音の由緒 [1][3] について。 用明天皇の御代(6世紀末)に、梁の国人の法輪独守居士によって開山されたと伝わる。 本尊の延命観世音菩薩は国指定重要文化財。 弘仁12年(821)夏の大旱魃の際、 第52代嵯峨天皇は当山に写経を収めた降雨を祈願。 後に大雨が降ったため、 勅命により山号寺号を雨引山楽法寺と改めたそうです。

     鎌倉時代、幕府の第6代将軍である宗尊親王により再興。 建長6年(1254)に仁王門、本堂、三重塔など堂塔が寄進。 室町時代には足利尊氏や真壁氏から寄進を受け、 江戸時代には徳川家より社領を受けるなど、大寺院として栄え今日に至るそうです。

     多宝塔について。面白い歴史があります。 古くは天平年中(730)に、光明皇后が安産祈願の成就に寄進した三重塔であった。 後に中興の宗尊親王により再建。 天和3年(1683)から翌年の貞享元年にかけても再建されるが、 二層目まで落成した状態だったとか。 そして嘉永6年(1853)に多宝塔として改修し現在に至るそうです。

    巨木と雑記.宿椎

     仁王門の先、表参道の途中にそびえる大シイ。 捩じれ立ち昇る異形、巨大な樹塊。 多くの参拝者は、その立姿に驚くことでしょう。 地上6m付近から東西に分かれたの双幹。 特に参道上、東側から拝む姿は圧巻で、根本より中腹が太く見える。 また参道の石段上、北側から見る背中も実に逞しい姿。 茨城県の東部地域(常磐道から東)の中で、特に惹かれる大シイの一本でした。 なお、見学できる位置が限られるので、写真は少なめです。

     最後に名前の由来について。 現地解説板やお寺のホームページ [3] に見つけられない。 ネットで調べてみると 「過去に寺が火災に遭った際、本尊を樹下まで避難させた」 というような情報が散見。 御本尊の仮宿になったことから? 再訪する機会があれば、お寺の方に由来を教えていただこうと思います。