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    弘経寺の来迎杉

    巨木の写真

    撮影日 (2024.09.30 / 2021.12.16) 【01】徳川家康の孫娘・千姫の菩提寺である弘経寺、御神木は常総市で最大の巨木 弘経寺の来迎杉-01
    【02】 弘経寺の来迎杉-02
    【03】 弘経寺の来迎杉-03
    【04】 弘経寺の来迎杉-04
    【05】 弘経寺の来迎杉-05
    【06】 弘経寺の来迎杉-06
    【07】 弘経寺の来迎杉-07
    【08】 弘経寺の来迎杉-08
    【09】 弘経寺の来迎杉-09
    【10】 弘経寺の来迎杉-10
    【11】 弘経寺の来迎杉-11
    【12】 弘経寺の来迎杉-12
    【13】 弘経寺の来迎杉-13

    巨木の基本情報

    巨木の名前 来迎杉 [2][3]
    樹種 スギ (杉)
    幹周 7.53m [2], 6.75m [5]
    樹高 33.0m [2], 34.0m [5]
    推定樹齢 不明
    特徴 真っ直ぐな単幹、枝下の位置が高い
    保護指定 常総市指定天然記念物
    所在地 茨城県常総市豊岡町甲
    所在施設 弘経寺 (寿亀山天樹院)
    撮影日・状態 2024.09.30 : 樹容に目立つ変化なし、根本にコルチカムらしき可憐な花が咲く、境内の彼岸花は見頃
    2021.12.16 : 根本はしっかりしているが樹冠の密度が少し薄い印象、上部の梢部分は枯損により切除
    アクセス
    圏央道・常総ICから約7km、坂東ICから約12km
    電車 常総線・北水海道駅から約3km
    参考情報 ■現地解説板
     [1] 弘経寺の由緒       :内容は下記雑記の写真04を参照
     [2] 弘経寺の文化財      :内容は下記雑記の写真05を参照
    ■外部ウェブサイト
     [3] 弘経寺ホームページ    :来迎杉の伝説の詳しい紹介あり
     [4] 常総市デジタルミュージアム:弘経寺の詳しい情報あり
     [5] 巨樹巨木林データベース  :当巨木の登録あり (2000年度の調査記録)
    ■少遠景の記録
     [6] 安楽寺のカヤ       :常総市、風格あるカヤ古木、境内はロケ地にも利用
     [7] 坂野家住宅の庭木     :常総市、名家の屋敷を転用した博物館、巨木はイヌマキとクスノキ

    巨木と雑記.弘経寺

     弘経寺 [1] [2] [3] は室町時代の応永21年 (1414) に創建された浄土宗の古刹。 大本山である増上寺 (東京都港区) を開山した聖聡上人の高弟、良肇上人による開山です。 徳川家に縁深い寺院で、家康の孫娘である千姫の菩提寺。 院号の天樹院は千姫の法名です。 徳川家から厚遇されて江戸時代に最盛期を迎え、 関東における浄土宗の大檀林となった。 数多くの寺宝が文化財に指定されていて、 そのひとつが市内最大の巨木である来迎杉 (後述) です。 また境内は彼岸花 (後述) の名所にもなっています。

    cm-弘経寺-01 【01】弘経寺の本堂。
    【02】 cm-弘経寺-02
    【03】 cm-弘経寺-03
    【04】 cm-弘経寺-04
    【05】 cm-弘経寺-05

    巨木と雑記.来迎杉の伝承

     弘経寺の境内中央にそびえ立つ来迎杉。 枝下の位置が高く、湾曲した大枝が特徴。 見仰ぐ位置によっては、腕を振って踊るような姿に見えるのが印象的でした。 主幹上部の梢は、枯損のため約9mほど切断されたという (1992年)。 それでも十分に背が高く、太い根元は力強い。 堂々たる立姿の大スギです。

     来迎杉の伝承 [3] について。 来迎とは、念仏行者が臨終のとき、阿弥陀仏が極楽から迎えに来ること。 その名を冠する由来を以下。 当山住職が二世了暁上人のとき、宗運という優れた若僧がいた。 ある年の開山忌にて徹夜の法要の後、宗運は疲れて不意に深く寝入ってしまった。 そのとき上人は、宗運から尻尾が出ているのを目にする。 上人はたとえ正体が貉 (むじな) でも、熱心に修行してきた宗運を尊く思い、 寺に留める心であった。 それでも宗運は深く己を恥じ、寺を去ることを決意。 境内の大スギに登ると御仏に来迎を祈った。 すると瑞雲がたなびき阿弥陀仏が降臨。 そして…(続く)。

    cm-宗運の供養堂-01 【01】来迎杉の傍らにある小堂は宗運という僧の供養堂。来迎伝説の主人公。
    cm-宗運の供養堂-02 【02】宗運供養堂。近くに彼岸花が咲いていた。

     来迎杉の伝承の続き。 宗運の来迎の神々しさに他の僧たちは、思わず南無阿弥陀仏と唱える。 すると、たちまち光が雷へと代わり、これに打たれた宗運は東の空遠くへ飛ばされた。 数日後、川辺の村に一匹の貉の骸が流れついたという。 以上のような伝承。 なんと哀れな宗運。どうして来迎が天罰に変わるような結末となったのか。 なお伝承では、宗運は事前に他の僧たちへ、御仏が降臨したとき御名号を、 南無阿弥陀仏と唱えないで欲しいと頼んでいた。 来迎を他人に見られるのは禁忌だったか。

     無粋ながら伝承の別件について。 常総市デジタルミュージアム [4] に参考となる情報がありました ( 水海道市史-上 / 第三編-中世の水海道地方 / 第四節-浄土宗と地方文化 / 飯沼弘経寺 )。 聡明で才学に秀でた宗運は、歌舞の達者でもあった。 開山忌 (5月12日) の前日から続く法要では、その歌舞が披露された。 歓喜する村人たちとともに、踊り明かすこともあったという。 文明10年 (1478) の開山忌の後、宗運は疲れて前後不覚となり、十二時 (約24H) ほど寝入ってしまった。 これを恥じた宗運は、小貝川へ身を投じる。 場所は現つくばみらい市の狸淵 (地図) とされます。 記録が残り伝説化するほどだから、宗運の死がとても惜しまれていたのでしょう。 大スギの傍らにある小堂は宗運の供養堂です。 そして大スギには宗運の魂を感じました。手を振り踊っているような見事な枝ぶりに。

    巨木と雑記.境内の彼岸花

     弘経寺は茨城県内でも有名な彼岸花の名所でもあります。 例年での見事は9月下旬。 特に数多く群生しているところは、境内西側の千姫御廟と琴平神社の間。 寺叢の緑の樹下には、密やかに艶美な紅の花園が咲き誇る。 また、御神木の来迎杉の近くにも、彼岸花が咲くこともあるでしょう。

    cm-弘経寺の彼岸花-01 【01】弘経寺の彼岸花。特に数多く群生しているのは、境内西側の琴平神社との間。
    【02】 cm-弘経寺の彼岸花-02
    【03】 cm-弘経寺の彼岸花-03
    【04】 cm-弘経寺の彼岸花-04
    【05】 cm-弘経寺の彼岸花-05
    【06】 cm-弘経寺の彼岸花-06
    【07】 cm-弘経寺の彼岸花-07
    【08】 cm-弘経寺の彼岸花-08
    【09】 cm-弘経寺の彼岸花-09

    巨木と雑記.琴平神社

     弘経寺の境内西側に接して鎮座している琴平神社に参拝してみました。 社殿は中央に琴平神社、右に八幡神社、左に延命稲荷神社の三社並んでいます。 琴平神社の境内から眺める、彼岸花の群生も趣がある。 そして境内社の横にある万人講の石塔と、ご立派な木像が印象的でした。

    cm-琴平神社-01 【01】弘経寺の境内西側に鎮座する琴平神社。 社殿は中央に琴平神社、右に八幡神社、左に延命稲荷神社。
    cm-琴平神社-02 【02】境内社の横に万人講の石塔が建つ。
    cm-琴平神社-03 【03】彼岸花の花園を背景に万人講の石塔とご立派な木像。