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観音寺大欅
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 観音寺大欅 [3] |
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樹種 | ケヤキ (欅) | |||
幹周 | 6.00m [3], 5.50m [4] | |||
樹高 | 20.0m [3], 25.0m [4] | |||
推定樹齢 | 500~600年 [3] | |||
特徴 | 中腹から双幹 | |||
保護指定 | 筑西市指定天然記念物 | |||
所在地 | 茨城県筑西市中舘 | |||
所在施設 | 施無畏山延命院観音寺 | |||
撮影日・状態 | 2022.10.16 : 中腹から分かれた双幹のうち、南側の大枝を折損、主幹の一部に不朽、落枝注意の柵 | |||
アクセス | ||||
車 | 常磐道 :谷和原ICから約42km 北関東道:真岡ICから約15km、桜川筑西ICから約12km 圏央道 :五霞ICから約43km、常総ICから約30km | |||
電車 | 真岡鐡道・下舘二高前駅から約2㎞、JR水戸駅 (水戸線・常総線) から約3㎞ | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 伊達行朝の供養塔 :内容は下記雑記の写真07を参照 ■外部ウェブサイト [2] 観音寺ホームページ :寺の由緒を参照 [3] 筑西市ホームページ :当巨木の情報あり [4] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録) ■少遠景の記録 [5] 三所神社のケヤキ :筑西市内、参道に3本の大ケヤキが立ち並ぶ [6] 新治廃寺跡のエノキ :筑西市内、常陸国新治郡の中心地であった寺院跡、県内最大級のエノキ [7] 遍照寺のカヤ :栃木県真岡市、観音寺に所縁の武将、伊達朝宗の手植えと伝わる |
巨木と雑記
筑西市北部の五行川沿い、境内に城跡もある大きな寺院の観音寺 [2] 。鎌倉時代の有力御家人、奥州伊達氏の祖となる中村朝宗に所縁の古刹。 中村氏の領地にあり、朝宗が奥州へ移った後も伊達氏から庇護。 江戸時代まで伊達氏から伽藍や寺領などの寄進を受けてきました。 五行川のすぐ右岸に拓かれた、南北に長い境内。 江戸期造営の風格ある観音堂から北へ続く参道。 大門を潜った先には立派な本堂が建つ。 傍らには天然記念物の大ケヤキがそびえ立っています。 観音寺の大ケヤキ。五行川段丘の傾斜地に根差している。 中腹まで先細りしない太い単幹で、双幹となり立ち昇る堂々たる姿。 現在は残念ながら双幹のうち南側を折損。主幹の一部にも不朽が見られました。 今後、大きく樹容が変わってしまうかもしれませんが、踏ん張って欲しいものです。
おわりに観音寺の由緒 [2] について。 寺伝によれば6世紀後期 (580年頃)、中国からの渡来僧である法輪獨守居士による開山とされる。 獨守居士は当地に流行していた疫病を鎮め、 後に左大臣・阿倍倉梯の姫君の熱病を平癒させた。 この功により孝徳天皇から延命の号を賜ったと伝わるそうです (院号・延命院)。 鎌倉時代の文治5年 (1189)、当地を領していた中村朝宗が当寺に奥州征伐の戦勝祈願。 後に戦功を挙げた朝宗は伊達郡の領地を得て移り、伊達氏の祖となる。 当領地は子孫・同族が引き継ぎ、当寺も伊達一族から庇護を受け続けることになる。 南北朝時代の延元の元年 (1336)、伊達氏第7代当主の伊達行朝が、 伽藍の新造とともに比叡山より実相坊心海を招き中興。 後、南北朝の争乱のとき当寺は戦場となる。 南朝方の武将として戦った伊達行朝は、 当寺にあった伊佐城に籠り、北朝方の高師冬の軍勢を迎え撃つ。 しかし興国4年 (1343) に行朝は撤退、伊佐城は廃城となった。 江戸初期、2度の大火に遭い伽藍が焼失。 慶安5年 (1652)、当山第18世の厳海上人により観音堂が再建。 元禄10年 (1697)、仙台藩主の伊達氏第20代、伊達綱村により寺領50石の寄進。 その後も参勤交代の度に仙台藩主が参詣するなど、 伊達氏から厚遇されてきた古刹です。
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