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三所神社のケヤキ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 三所神社のケヤキ (仮) |
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樹種 | ケヤキ (欅) | |||
幹周 | ABC : 6.30m / 5.95m / 5.25m [3] ABC : 7.30m / 6.05m / 5.95m (実測) | |||
樹高 | ABC : 22.0m / 25.0m / 25.0m [3] | |||
推定樹齢 | 300年以上 [2][3] | |||
特徴 | (A) 隆起肥大した根本、単幹 | |||
保護指定 | 不明 | |||
所在地 | 茨城県筑西市村田 | |||
所在施設 | 三所神社 | |||
撮影日・状態 | 2022.08.27 : (A) は主幹上部を欠損し樹冠の規模は小さめ、(B) は根本に一部に損傷、(C) は樹勢良好 | |||
アクセス | ||||
車 | 圏央道・境古河ICから約31km、常総ICから約25㎞、北関東道・桜川筑西ICから約15㎞ | |||
電車 | 下館駅 (水戸線・常総線・真岡鐡道) から約6㎞ | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 三所神社由緒 :内容は下記雑記の写真02を参照 [2] 明野町指定保存樹 :内容は上記ケヤキ (A) の写真04を参照、筑西市に合併前の町名 ■外部ウェブサイト [3] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり、1988年度の調査記録、幹周10m、樹高27m [4] 筑西市ホームページ :市指定文化財の一覧、葦間山古墳について ■少遠景の記録 [5] 観音寺大欅 :筑西市内、伊達氏に所縁の大きな寺院 [6] 新治廃寺跡のエノキ :筑西市内、国指定史跡に佇む県内最大級のエノキ |
巨木と雑記
筑西市の下舘駅を囲む市街中心部から南西に約5㎞。 県道14号線沿いにある村田地区の鎮守が三所神社です。 創建は平安時代の初期とされる古社で、大ケヤキの根本に社殿が建てられたと伝わる [1]。 流石に創建時の御神木は残っていませんが、現在も境内には立派な大ケヤキが3本もあります。 最大のものは、長い参道の南端付近にあるケヤキ (A)。 大岩のように隆起肥大した圧巻の根本が特徴です。 現地標記での幹周は10m [2]。 実際、幹にそれほどの量感はなく、根本からスマートになって立ち昇っています。 それでも実測した胸高周囲は、7m以上とかなり太い。 計測位置は、東側の根本にあるコブからすぐ上あたり。 根周りでは15mを超えています。 他2本はケヤキ (A) から北、参道沿いに並びます。 ケヤキ (B) は西側に大きく傾いているのが特徴。 頭上を覆う太い幹、根本から仰ぎ見る姿には迫力があります。 一番若く見えるケヤキ (C) は、特に健全で端正な立姿。 若いとはいっても幹周は約6m。なかなかの巨木っぷりです。 このように素晴らしいケヤキが3本もあり、最大のものは個性も際立っている。 三所神社、県南部を代表するケヤキ巨木スポットのひとつでしょう。
おわりに神社由緒 [1] について。 弘仁2年 (811)、藤原村田による創建と伝わる。 父は藤原鎌足から六世の藤原真作。 鹿島神宮の分霊を芦間山に勧請、大欅の下に社殿を建立し、村田庄の鎮守とした。 元暦 (1184) の頃、大欅の下に村民が集いを雨乞いをし、 龍神の石祠を建てた (現存するか不明)。 延元の元年 (1336)、兵火による社殿の焼失があった。 寛永年間 (1624-1643)、村田庄にある海老江村の香取神社と、 大林村の八幡神社を合祀。三所神社と称するようなる (当初の社名は不明)。 現在の社殿は大正元年に再建されたもの。 最後に由緒記にある芦間山について。 ここから北西の小貝川沿いにある、葦間山古墳 [4] がその場所 (地図リンク) だったりして。 現在地は段丘上でも平坦地、周囲から山のようには見えない。 そして伐採した御神木の記念板にも刻まれた、当地に伝わるという古い歌。 「舟とむる 入江の棹の音すみて 芦間の山に 秋風ぞ吹く」。 小貝川沿いにある大きな墳丘。 規模は県内最大級の前方後円墳。年代は4世紀末~6世紀前半と推測される。 宅地や農地で削られる以前の全長は140m近くあったらしい。 高さは10m以上。 周囲の低地や舟上からは山のように見えます。 古墳の上には小さな社や石碑などがあるらしい。 興味のある人は訪れてみてください。何か手懸りがあるかも。
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